- 作者: 泡坂妻夫
- 出版社/メーカー: 東京創元社
- 発売日: 1994/08/12
- メディア: 文庫
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というわけで端麗な顔立ちでしっかりと身なりを整えて毎度毎度事件に巻き込まれるのは雲や虫の写真を専門とするカメラマン亜愛一郎(あ・あいいちろう)、道行く女たちが思わず顔を赤らめてしまうほどのハンサムでありながら動きがマヌケでノロマで何となく憎めないこの男は事件現場の些細な物証や状況証拠から事件の全貌を極めて論理的に整合性をもって推理、その推理たるや一片の矛盾もなく、複雑な数学の方程式を解いているようで読んでいて頭がクラクラしてしまう。なるほどこれが「本格推理」というやつか。
前に「ミステリー傑作選」の感想文(@幼稚園児並)で書いたように、推理短編物というのはとにかく頁数が限られているから、「事件が起こる」→「事件の前後にはこういう事があった」→「名探偵が『それはこうこうだから、こうこうだろう』と結論付ける」で終わり、読んでいるこちらとしては考える暇もなく気が付けば終わってしまうという置き去り感と物足りなさがあったが、本書ではそのような置き去り感はほとんど感じられない。それがこの小説の展開の巧みさであって、各短編の導入部ではごく普通の小説の描写が重くもなく軽くもなく実に読みやすく続き、やがて事件が発生した前後にふらりと主人公・亜が現れ(というか巻き込まれて)現場のわずかな物証・関係者の何気ない一言に亜は白目を剥いて倒れ、「どうした」と聞くと「あの、犯人がわかってびっくり、いや、何でもありません。ではさようなら」となるものだから居合わせた刑事は「ちょっと待てこら」となるわけである。非常にスムーズなのだ。
本書で展開される謎解きを「数学の方程式のようだ」と言ったが、具体的に言えば主人公の推理は常に「通常はAであるのにBの方法を取った。Bの方法を取るのはCの時だけである。なぜBでなければならなかったのか、またCの時とは本来どういう時か」という風に浮かび上がる疑問を交通整理しながら飛躍させているのであり、まさしく数学なのである。問題と答えだけを見れば突拍子のないものであっても、その間のプロセスの数式の積み上げが俺のような推理小説初心者でも理解できるものであれば、なるほどこのようなわけであったのかと納得できて読後には心地よい疲労感と言うべきものが残る。いかんこれはクセになりそうだ。
また本書の語り口が軽妙ではないにしろそこはかとなくユーモアを漂わせ、それに殺人事件というシリアスな展開がブレンドされ、主人公がふらりとやってきて事件に出くわしてはびっくりしてあたふたして、がまたブレンドされ、最後にその場に居合わせた刑事や関係者が話の展開に加わってくることで何とも形容できない「奇妙な味」が醸し出され、上質と言ったらいいのか高級感と言ったらいいのか、とにかくあの講談社新世代エンタメミステリ何とかでは決して味わえないであろう読後感に浸ることができたのであります。普段あまり近寄らないジャンルの本に手を出すのもいいものです。