まんが文法というフィクション

だからまず、意味が「伝わった」という経験が先行しており、文法は後からそれを分析して構成したものです。この順序はひっくり返りません。

それが機能すると考えたり、文法が一般化できると考えたりするとしたら、それはあくまでもフィクションです。フィクションに、ある種の実用性がないわけではありませんが、厳密に考えるならば、そこには何も保証されたものはありません。

http://homepage3.nifty.com/sasakibara/comic/comic08.htm

内井惣七『空間の謎・時間の謎 宇宙の始まりに迫る物理学と哲学』中公新書

その手の話の入門編で良書。
文芸評論の類で時間の話を持ち込むのに使えると思う。
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31654561

恋愛モノのノベルエロゲーは学園エヴァなんだよ、

俺たちは学園エヴァに浸りたいんだよ、という話は昔は僕が何度か使ったネタですけど、*1エヴァ本編について「アレは少女漫画の人間関係で<シンジ=主人公の女の子><綾波=ロックバンドのボーカルやってるクラスの不良少年><アスカ=隣の家に住んでる幼馴染の少年>なんだよ」という話をして下の世代に「てめえらの昔話に俺の青春を回収するな」的な猛反発をくらったり、サターン版のアレやら鋼鉄のガールフレンドやらプレイしてさんざっぱら手抜きなゲーム内容を味あわされた上でなおかつ鋼鉄2ndを発売当日に買いに行ってこちらの覚悟完了を上回るアレな内容に箱を壁に叩きつけたり、そーゆー経験を積んだ上で言って欲しいなあと思います。
…えーとね、そーゆー文脈でエヴァの名前を出すときはエヴァ本編がそもそも少女漫画ちっくな要素を抱え込んでるていうのが前提にあって、そんで中途半端にロボと少女漫画を混ぜた代物を提示しておいてから「学園エヴァ」を「お前らこーゆーの見たいんだろ」的言い訳に見えてしまうような挿入の仕方で入れる、バカ監督への嫌味として書いてたんですけどね。青春モノは青春モノで、文学モノは文学モノで、ロボ戦闘はロボ戦闘で、俺ら自分がそのとき欲しいモノを勝手に使い分けてそれぞれで消費してるからさ、いかにも越境くさくみせなくてもいいよ、ていう意味の「俺ら学園エヴァでいいから」であって。つーか何ですぐ後に「彼氏彼女の事情」をやったことを忘れてんのかなあ。

*1:俺より先にそういう言い方をした奴は、俺は見たことない。大塚英志の発言はきっと俺のパクリだと思ってるのでよろしう。