Diary Blog of Dary

temtanが書いた文章

「耳をすませば」と「時をかける少女」の違い

kanoseさんところで「耳をすませば」と「時をかける少女」で鬱になる話を見て、そういえば自分は耳すまはちゃんと見ていなかったのを思い出した。

ちょうどレンタルビデオの会員の更新で1本借りれるので耳すまを借りてきて見てみた。いやあ、これは破壊力あるんだろうなあ。自分の場合は、酒を飲みながらブログのネタにするという視点で見ていたので大丈夫だったけど、ちゃんと見たらヤバイのかも。見る前から「耳すま時かけの違いは描かれているテーマが違うんだろうな」と思っていたが、見た後も案の定そうだった。耳すま時かけは中高生時代の等身大の人間を描いている点では共通しているが、その中心としている物が違っている。

耳すまは完全に恋愛を中心として物語が進んでいく。最初は図書館の本の貸し出しカードの名前から気になっていた男子(それも相思相愛)とひょんなことで知り合ってと瞬く間に恋愛が成功していく過程を描いている。途中で他の好きでもない男子を振ったり、他の友人が振られたりとあるが、どれも恋愛の話であり肝心の主人公に関してはびっくりするくらい上手く行っている。他にも進路の話も出てくるが、これも恋愛に絡んで話が展開しているので結局恋愛から離れておらず、どこを切り取っても恋愛が絡んでいる。最後の締めまで恋愛の成功していく過程を描いている。こうなると全体の印象として、「学生時代とは恋愛(それも成功体験)である」との印象を受けるのだろう。これでは学生時代は恋愛なんて全く無かった人間にとってはどこを切り取っても共感がしにくい。特に恋愛に憧れているが今まで成功したことが無い人間にとってはとてもじゃないが共感なんか出来ないし、憧れているが為に成功体験を見せ付けられるのは現実と比較してツラくなってしまうのだろう。

そもそも耳すまはターゲットしている年齢層が自分とは違うような気がする。全体的に70年代、80年代の時代背景を描いているので、見る人はすでに結婚して子供が居るような人が「若いって良いなあ」みたいに見るのを想定しているような気がする。

それに対し時かけはどうか。時かけでも恋愛は描いているが完全に中心になっているとは受け取れなかった。耳すまのテーマが「恋愛」なのに対し、時かけのテーマは「青春」なのだと思う。確かに多くの時間が恋愛について描写しているが、成功を描いていることは少ない。数ある未来の内のひとつとして早川さんが成功しているのを描いているが、これは相思相愛とは言いがたいし、結局タイムリープしてなかった事になっている。主人公の真琴に関しては、告白されたのにタイムリープで無かった事にして恋愛から逃げており、とても成功からは遠い話である。中盤から恋愛に絡んで話は展開するが、それは主人公が中心人物ではなく友人の功介と果穂との話を描く事で、微妙に軸をずらして描いている。この話も結局は告白するまでに至っていないし、相思相愛な訳でもない。話の中で相思相愛になっているのは主人公の真琴と千昭だけなのだが、これに至っては絶対に結ばれることも無く、お互いちゃんと告白することも無く別れるということになっている。結局物語りの中で相思相愛でかつ明確に上手く行っているのは無い。
自分が時かけは「恋愛」だけではなく「青春」を描いていると思った点は、遊びや友情や将来のことも描いている点である。物語は放課後にキャッチボールしたりカラオケしたりといった、(キャッチボールなのかはともかく)「放課後に友人と遊ぶ」という点をしっかり描いているので、その点に関しては共感出来たんだと思う。まあ、学生時代はひとりぼっちだった人も居るだろうけど。自分が思い出すだけでも涙が出てきてしまう一番印象に残っているシーンが、功介が自転車に乗って電車に突っ込むのを真琴が必死に止めようとするシーンなのだが、このシーンは微妙に恋愛が絡んでいるものの、中心としては友情を描いたものだと受け取っている。友情がテーマならば自分も共感できる。

まとめると、耳すまは恋愛が中心となりしかもそれが成功するのを描いているのに対し、時かけは恋愛に関しては殆ど成功といえるものは無く、他の要素もキチンと描いている。恋愛の成功を体験していない人間にとって、耳すまは恋愛に憧れているのに体験できない自分を浮き上がらせる。時かけは恋愛以外の要素により共感できる部分もあり、恋愛に関してはどれも成功いないので、恋愛の成功を体験できない自分が浮き上がることが無い。