社長 長澤のブログ

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2018-04-20

緑の季節

| 06:40

今日、ウォーキングをして、大本山総持寺の境内を歩いていると

緑の香りが、体中にはいる、そういう気持ちになりました


すっかり、葉っぱになった、桜、まだちょっと小さい葉っぱの

イチョウ、常緑のくすのき、新しい季節に「さあ、生きるぞ」と

いわんばかりに、葉っぱを拡げています


大きい木のあるところを、歩くというのは、とても気持ちいいものです

フィトンチッドと呼ばれる、分泌物をだすのだと、学んだことを

思い出します


もう10年以上前、那須塩原に宿をとり、社員旅行にでかけたときに

宿のすぐ裏に古刹があり、そのまわりに、確か杉や楢といった

一抱え以上ある、木々を見ました

そのとき、自分のことを、振り返りたいという自分自身の思いも

あったからか、朝の散歩が気持ちよく、その空気を吸うことで

自分自身が客観的になっていくのを、感じました


牛にひかれて善光寺参り 有名なこの一言、ふっと自分自身のことは?と

思いがめぐったのを、思い出します


自分にとっての、牛はなんだろう。

そうだ、入社してくれた、社員なんだと


社員のみんなが、育つということおが、自分が牛をおいかけて

善光寺まで行く道に見えたのです


こう書いてしまうと、ずいぶん大そうなことを、思ったんだと

そんなふうにも思えてきます


でも、木々がだしてくれる、フィトンチッドがどういうわけか

自分の心身を、静かな状態に導いてくれたのか

どんどん、頭が冴えてくる、そんな気持ちになりました


そうだ、だから、まだ社員の人が育ってないと、思っても

それはそれ。まだまだチャンスはあるぞと

社員のみんな、ひとりひとりが、育ちはじめ、会社を盛り上げ

また会社に貢献できたことで、また自分のことも、改善していける

自己効力感というのを、感じて、変わっていける、そんな

ときがくるにちがいない。


そんなふうな想像が、ふわーっと自分のなかに、芽生えたのです


牛にひかれて、善光寺参り

あれから、十数年。空気感はちょっとかわったとこもありますが

社員が育つことが、自分の道、いわば牛そのもの。


そんなふうに感じれることの、うれしさを、ときどき思いながら

日々歩いているのです

2018-04-19

ディープラーニング

| 08:45

「学ぶ力」 河合隼雄 他


以下引用


ずっと目が見えなかった人が、四十くらいになって目が明けられるようになる

話がでてきます。しかも恋人がいて、これから結婚するという人でしたから

恋人は待ちかねてるわけです。パっと目が明いたら、この人と結婚するんだと

自分の許嫁の美しさに感動すると思いますよね。見て悲観する人もあるかも

しれませんが、普通パッと見たら喜ぶだろうと思って、みんな期待しています。

 

目があいたとき、見えましたかと聞いたら、ハッと一瞬喜びの表情があって

あとは暗い感じになりました。なぜかというと、これはほかでも読んだことが

ありますが、パッと目が明いても、全然見えないんです。ワっと光が見えるだけです

結局触って、これはコップだとわかってから観ると、コップが見えてくる。

その人は、世界は全部触覚や音で覚えておられて、愛でものを見るということを

しておられないわけです。


だから、絵本なんて、全然わからない。見ても何が描いてあるか全くわからない

一生懸命、ここに犬がいるじゃないですかと言ってもわからない。みていて

犬と猫の区別が絶対につかない。しかも、犬というのは、こんなに姿をかえるものですか

ということになります。まっすぐ向いたとき、横を向いたとき、後ろを

向いたときと、全く違うものに見える。まったく違うのものをみながら

どうして犬だとわかるんですかというわけです


その方は触ったら、いっぺんで犬とわかる。犬と猫がきたら、パッパッと触って

こっちが犬、こっちが猫とわかります。でも覚えようとしても

なかなか、覚えられない。とうとうその人は、目が明いたことが悲しくて

悲しくて、だんだん目を開けなくなった。元の目の明かないほうに

返りたいというところがあるんです。


その本の中に、こういう分章があります。われわれが見てこの世界を認知してる

ということは、ものすごく繰り返した学習の結果である。要するに、赤ちゃんの

ときから、ずっと見てるわけです。・・・・


引用終わり


AIのディーブラーニングの話、これはコンピュータが「目」を持ったという

解説を聞いて、↑の文章を思い出しました


人間もAIも気をつけなくてはいけないと思うのが

「認知」ということが、造られるものとしたら、ぜひ、積極的であり

生きたい、生きるのに、いいと思われる、そういうデータをインプットして

おきたいと思うのです


こんな書き方をすると、いいえ、バランスをとれたものにすべきだと

反論が聞こえてきそうです

いいえ、完全に公平なバランスなんてありえない、と思います


思うには、人間でいえば、人柄、積極的で、今後の未来に明るい見通しを

もてて、そのため、その実現のために、行動できる、そういう人と

実際今後、生きていきたいし、仲良くなりたいと思います


だから、そういうデータをAIにもインプットしてほしいと思います


今後、ちょうど、車を使って、生活を便利にしてきたように

AIを使って、いろんなことが、楽に便利にできるようなそんな世界は

造れるのだと思います

だけど、AIの使い方ですね

それが、法律でしょうか、ルールがいるとも思いました

2018-04-18

東山魁夷のアングル

| 06:42

美しいものを、追い求めた東山魁夷

見たもののなかで、美しい一部分を切り取る

そういうことの、達人だということに、気が付きます


東山魁夷と旅するドイツオーストリア」 松本猛


のなかで、以下の説明がある


以下引用


望遠レンズというのは風景を圧縮して見せる。マラソン

中継だどをテレビで見ていると、トップのランナーのすぐ後ろに

後続のランナーがいるように、見えることがある。しかし

これは、望遠レンズのいたずらである。別のカメラでとらえた

画像を見ると、その距離が以外と離れていることがわかる。

望遠レンズが距離感を縮めるということは、立体的な世界を

圧縮して平面的な世界へ近づけることだ。つまり、装飾性が

強調される。


東山魁夷は、おそらくカメラを手に、望遠レンズでこの風景を

切り取った・・・


引用終わり


「京洛四季」のなかの、「花明り」だったり

「年暮る」だったり、ほとんどの絵が

この風景を切り取るという手法を用いてるのがわかる


こうして、一般人の目では、とらえきえない、「美」の

すくいとる、作業を、画家がしてみせて、そうして

いわば、美しいものへの、水先案内人として、画家が

存在するということは、とても、素晴らしいことと思います


そして、ドイツオーストリアの風景も、京都の美しさも

ぜひ、自分の目で、その世界をじかに味わってみたいと言う

気持ちにさせてくれます


画家が、美しいものの、水先案内人になる。このことは

実は、安曇野で、山下大五郎という画家が描いた、絵で

美術館に解説があり、覚えた、楽しみかたです


好きだった安曇野の、またそのなかで美しいと思われる風景が

自分の目では、入り口だったのが、そのさきにある、美しさを

感じれる、誘われる、そういう絵との出合いにより

強固になり、はっきりと、美しいものへ、自分の脳のなかに

美しいものとして、インプットされたということが

わかります


なにげなく、みすごしてしまうなかに、「美」をすくいとる


東山魁夷は、京洛四季で、京都が一番輝いていた、平安の世を

しのぶものを、画家である自分は、感じることができると

いいます


その東山魁夷の、導かれ、美をもっと感じ宅なっています

2018-04-17

今何をしなくてはならないか?

| 06:37

プロフェッショナルマネージャの仕事はたったひとつ 高木晴夫


この本に、マネージャは、プレーヤに会社の考えてる

つまり、経営側の考えてることを、配るのが仕事だと

シンプルに言い切ります


仕事していて、組織の人なら、自分のたつ位置、仕事の状態

会社の状態を知り、いま自分がなにをしなてくはならないかが

分かってるということが、おそらく最大のポイントと

言っていいです


そして、「今」を知るということは、つまりは

通常のときなのか、なにかトラブルがあるのか

はたまた、客との関係は、いいほうに上がってるのか

そして、メンバーの状況はどうなのか

そういうことが、いろいろ、関係しあって、自分が

なにをすべきか、ということがあります


当社で、チームワークのいい、ということ

チームビルディングを意識して、仕事しようという

話をします


for the teamで考えられる、いつもそのことを、忘れない

ということを、繰り返し伝えます


そのためにも、マネージャは、必要な情報を配るということが

大事です。


それでは、必要な情報を配るのには?となると

実はかなり、たくさんのことを、要求されるといっていい

ですね。会社の状態、経営者がなにを考えてるか知るということ

このこと、深いことを思うと、経営者の考えること、ある意味予想が

できるところもないと、間違ってしまうということが

ありそうです


そのために、繰り返し、経営者の考えにはふれて、ときには

意見を言って、確認するということが大事です


観察力ということもあります

自分が見ていることが必要な、プレーヤーの状態を

観察すること。

観察するというのも、「先入観」を持っていると

なかなか、公平かつ、的確な観察というのができません

先入観をもたずに、見れるということが大事です


プレーヤーにとっては、まさにマネージャの利用ということが

大事となります

自分のいまの状態、できること、それをいつも確認し

組織のなかで、どんなことを期待されているのか

確認します


for the teamということ、くりかえすわけですが

ときに、for the teamは個人がしたいことと、相反する

ということが、あることを、覚えておきたいものです


考えの方向、個人がこうしたいと、for the teamは

ちがうことがある

だから、まず、for the teamの視点から、考えるように

習慣化する

そういうことが、大事です

2018-04-16

ビュールレ・コレクション

| 06:30

新国立美術館にて、ビュールレ。コレクションを見ました


ドガ 「ピアノの前のカミュ夫人」


一瞬の表情をとらえた、絵。 美しいとだけで、言ってしまうのは

乱暴でしょう。日常にいる、リアルさ。リアルな表情。

顔を照らす、光の具合のたくみさ


数ある、女性像のなかで、ずっとみていたいと思う作品です


カミーユ・コロー 「読書する少女」


この絵をみて、類似点が多いことで、思い出すのは

黒田清輝のマリアの絵です

去年、黒田清輝を、東京国立博物館でみたとき、一番最初に

マリアがこちらをまっすぐ、みつめる大きな肖像画があり、

そのあと、すぐ、マリアが、赤い上着を来て、読書してる

絵がありました


赤い上着、読書、ほぼ同じ要素の絵です


黒田清輝のマリアのほうが、恋をしてるという事情からか

アピールが強いように思います


このコローの、少女は、思いを胸に秘めた感じがします


絵をみていて、ときどき思い出すのは

絵をみての、見方であり、評価の方法といっても

いいかもしれないです。州之内徹は、自分が

手元において、おきたい、そう思うかどうかの1点だと

言いました。そして、私はそのことを、思いながら、絵をみます


州之内徹の愛でた絵でいうと、海老原喜之助の、ポアソニエール

なんというか、すきとおったような、美しさがあります


黒田清輝のマリアちゃん、今回、コローの読書する少女

ドガの、カミュ夫人。

実際、できれば、手元におきたいという気持ちは

起きました。


画家の女性への、気持ちの持ち方というのが、きっと

絵にはでるのだと思います

コロー、ドガ黒田清輝はきっと、なにかしら、私が思う

女性へのあこがれ、思いに、似てる要素を持ってるのかと

想像します


そういうつながりでいうと、今回のコレクションを作った

ビュールレさん。やっぱりいいなと思った、感性が自分と

似てるところもあるのかなと、推察もします


絵を愛でる気持ちは、解説には、ビジネスで成功することの

証というか、自分へのごほうび的な意味があったのでは

ないかって、気がします

それも、素晴らしい感覚だと、思いました