アサヒグラフ

 10月30日は、某患者団体の事務局長をしている佐々木灰燼からの呼び出しで、徳島に行った。患者さん親子から相談があって、私にも同席せよとのことであったのだが、話し合いの結果満足のいく理解が得られたように思う。病気の種類によっては偏見・差別がまだまだ強く残っている。それが、教育に関わるものの無理解によるのだから困る。
 当日は、少し早く出て、古書店のモウラに立ち寄った。そこで見つけたのが「アサヒグラフ」の古いものだ。大正12年(1923年)1月から発行されている。モウラには大正14年から昭和15年までのものが、50冊ほどあった。発行された当初は娯楽的な記事・写真が沢山あったが、日本が中国への侵略戦争にのめり込むなかで、内容も戦争に関わるものが多くなってきた。写真で紹介したのもその一部である。全部買うわけにもいかないので、3冊購入した。

 昭和12年(1937年)10月のアサヒグラフである。定価は一部25銭。ここには、残酷な場面の写真はないが、当時の戦争の状況が垣間見られる。また、戦時下の子ども達がどのように戦争に組み込まれているかについても理解できる。運動会までも戦争関連のプログラムが採用されている。表紙の写真の説明は「上海閘北戦線に於ける皇軍抜刀隊の残敵捜索(10月27日熊崎特派員撮影」とある。
 昭和12年(1937年)12月の「南京城陥落」という特集では、瓦礫と化した南京城の上で、日章旗を振りかざし万歳をしている日本兵の写真が掲載されている。