紫雲の怪 ロバート・ファン・ヒューリック

 先日、大阪に裁判傍聴に行った時、高速バスの中で読んだのが「紫雲の怪」

紫雲の怪 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1809)

紫雲の怪 (ハヤカワ・ポケット・ミステリ1809)

 原題名は「THE PHANTOM OF THE TEMPLE」、中国語訳書名では「柴光寺」。中国語訳での本の簡単な紹介は、「林木茂密的百年佛寺、深夜一个幽霊在游蕩。与此同時、富商的女儿神秘失踪、二十根金条不翼而飛、無頭尸出現山上。如此奇事拼湊在一起、出現了更為可怕的陰謀・・・」(木の生い茂った百年を経た仏寺に、深夜一つの幽霊がふらつきまわる。これと同時に富商の娘が不思議な失踪をし、二十枚の金の延棒が羽がないのに飛び去り、頭のない死体が山上に現れる・・・)
 訳者後書きでは本書に出てくる、古代中国の武器「戟」(げき)の説明と、密教について簡単な説明をしている。密教については以下のとおりである。
 「空海がもたらした密教は、日本では一貫して国家の庇護をうけたが、元来は過激な教義である。なにせ、釈尊の定めた不淫戒を堂々と破るというのだから。密教揺籃の地はインド。衰退に向かう仏教の活性化をはかって、土俗のヒンドゥー教諸神との神仏習合を試みたもので、本文で新興宗教呼ばわりされたように五世紀から六世紀に生まれた。『大日経』『金剛頂経』の二大経典の成立は七世紀。それ以前の密教を雑密、以後を純密と呼ぶ。」
 仏教も生き延びるためにはウイルスのように変化しなければ存続できないということか。国の庇護を受けられなくなった今の仏教は、葬式・法事に生きる道を求めているのかな。



上の写真は一昨日の晩に咲いた「大輪柱」(と思う)30センチぐらいで一晩しか咲かない。



 上の写真は、宮内フサ(1985年102歳で死去)作品 鯛抱犬 92歳 鯛の頭が下。


俚謡 (湯朝竹山人 辰文館 大正2年刊 1913年)から
  ○涙先立ち 只一言も 言はで別れた 胸の中
  ○影になりたや お前のかげに 離れがたなき わしが身は
  ○余り辛さに 出て山見れば 雲のかからぬ 山もなし