きょうされん徳島支部総会、最後まで残った空海の道、「京の風流・永楽屋の町屋てぬぐい」

 17日(土)はきょうされん徳島支部の総会参加のため、朝から徳島市に車を走らせた。初めて徳島支部の総会に参加したときと比べると、若い職員が増えている。それだけ発展してきているということだろう。参加法人からの報告も、障碍者制度・法律の不備ななかで、いろいろ工夫して規模の拡大、利用者の獲得で、少しでも障碍者が安心して暮らせるように努力していることが実感された。国会請願署名は4,000筆を越え、募金も11万円を越えたと報告があった。
 もう31年もの昔、徳島県鴨島中央病院(精神科)で患者さんへの暴力事件や処遇改善のために労働組合が作られ、その中心的な人たちが解雇された事件があった。解雇撤回支援のための組織が作られ私も協力した。その内一人の看護師が障碍者の作業所を立ち上げ、きょうされんに加盟して頑張っている。解決してから生まれた子どもがそこの職員として総会に参加したが、しっかりした発言で感心した。
 午後からは、きょうされん理事西澤心さんの講演があった。障碍者をめぐる情勢報告やきょうされんらしい取り組みについての話があった。会場で前衆議院議員高井美穂さんに出会った。徳島支部に加盟している法人の理事をしパートですこし働いているとのことであった。今後、障碍者政策を進めていく上でよい勉強になればと感じた。

 18日(日)は「第20回最後まで残った空海の道」に連れ合いと参加した。今朝の徳島新聞記事によると、10番切幡寺から11番藤井寺を経て吉野川市役所までの「平地コース」には156人が参加。連れ合いと参加した11番藤井寺から12番焼山寺を経て鍋岩までを歩く(15.6キロ)「山道コース」には514人が参加した。最初に参加した6年前から比べると参加者数特に女性の参加が格段と増えている。
 今回は前回より少しゆっくり目に歩いた。その上、女性が多いため3ヶ所ある休憩所のトイレは満員。長い行列ができた。おかげで1時間ほど焼山寺に着くのが前回より遅れた。一本杉から焼山寺への最後の遍路ころがしは距離も長い上急なので、いつも大変疲れる。一緒に参加した知り合いの姿は、最初の休憩所長戸庵までですでに見失っている。たくさんのボランティアのおかげで、このコースは安心して歩くことができる。四国88ヶ所をまわる遍路道世界遺産にしようという努力がされているが、この取り組みもその一環として評価されていいと思う。



山道コース


焼山寺

 焼山寺から鍋岩までの3.3キロの坂道を、連れ合いは足の調子を考えてパスに乗車。マイクロバスで下りて来た。私はひたすら歩き続け、ほぼ同じ時刻に鍋岩に到着。大いに汗をかき体が芯まで疲れた山道コースであった。
 帰りには完歩の土産としてくれた7ヶ所の温泉の無料入湯券で「御所の郷」に入り、疲れを癒してきた。確か参加費は1,500円で、全部に入ったら大変なご利益がある。使える期間が5月末までなので、あとは知り合いが関係している「美郷の湯」には行きたいと思う。



 「京の風流・永楽屋の町屋てぬぐい」

 我が家には手ぬぐいが200本余りあり、そのうち10本ほどを手ぬぐい額などに入れて飾っている。手ぬぐいに関する本も10冊余りあり、時おり書棚から取り出しては見て楽しんでいる。本書は文庫本。江戸時代初期からつづく京都の永楽屋・細井伊兵衛商店の手ぬぐいデザインである。5,000点ほどあるコレクションの中から400点余りを紹介している。


 9年前に「京手ぬぐい」という永楽屋の手拭を紹介した本が、PIE BOOKUSから出版された。これも楽しい本であったが、今回のほうが写真もよくその後の新たな手ぬぐいもありうれしさも増した。手ぬぐいの簡単な歴史の紹介もある。本書を見ると、戦争時代のときのデザインがない。手ぬぐいもその時代には楽しいデザインも作られずに冷遇されていたということか。昭和7年のものに、永楽屋の宣伝用の手ぬぐいでベルを持った子どもが看板を肩から下げている図があった。その看板には、「急告!御誂印入 手拭・タオル・ハンカチ 風呂敷 宣傳用旗・幕 印半纏 其他印染一式 是非当店へ」とあった。幻となった1940年(昭和15年)の東京オリンピック昭和11年・12年作)、チャプリンの手拭もあり、歴史も知ることができる。
  

京てぬぐい―永楽屋コレクション (Art)

京てぬぐい―永楽屋コレクション (Art)




我が家ののごみ人形



どどいつ入門(中道風迅洞 1986年 徳間書店
○よしやなんかい苦熱の地でも 粋な自由のかぜがふく
○よしや此身はどほなり果よが 国に自由がのこるなら
○よしや若菜と摘すてらりよが くにに心をつくづくし