愛書日記
閉店1時間前のブックファースト新宿ルミネ1店は、今夜の1冊を求める人でごった返していた。入居しているビルの関係だろう、新宿の書店の夜は早い。紀伊国屋南店は8時、紀伊国屋新宿本店やジュンク堂新宿店は9時閉店。あおい書店新宿店は11時まであいているものの、駅からちょっと遠い。だから、ブックファーストに集中する。
まずは、雑誌の立ち読み。きょう発売の文芸誌の目次をチェック……。とりあえず、きょうのところは、ちょっと。どの雑誌にも気になる記事が数本あるのだが。
「スタジオボイス」2007年12月号。特集は「2007年のベスト・カルチャー・カタログ2007」。こういう特集だとつい買ってしまう。
それから「創」2007年12月号を手にとる。この雑誌、スタンスからしてあまり好きではないのだが、長岡義幸「さらば『ダカーポ』!休刊に至った内部事情」、武田頼政「時津風部屋力士リンチ事件が浮き彫りにした角界の体質」、それに編集部「日垣隆さんからの本誌攻撃をめぐる事実経過」が読みたくて、買ってしまう。嗚呼。
12月に休刊する「ダカーポ」618号。「07年、出版界最新事情 読まれる本の作り方」という記事が気になるものの……きょうは、いいや。次号予告をみると、「頑張れ、雑誌ジャーナリズム」という特集が予定されている。ジミー大西じゃないが、まず、「お前が頑張れよ」。
それから「TVブロス」2007年23号。特集は「きのこにくびっタケ!」「芸能人グルメ裏ミシュラン」「夜の星を見上げてごらん」。
男性誌コーナーで、KKベストセラーズからでている「CIRCUS」2007年12月号(目次はこちら)。「SPA!」の月刊誌版といったところ。この雑誌、意外と連載陣が充実しているのよ。福田和也×石丸元章の対談「揚げたて御免!!」*1、宮沢章夫、ピエール瀧、大槻ケンヂ、田中圭一……。この雑誌、ちょっとだけジャーナリズムに力を入れてくれたら、毎号買うんだけどなぁ。
文庫新書コーナーに移動。朝日文庫、ちくま新書の充実ぶりに、ちょっとうっとり。
ブックファースト新宿ルミネ1店にて
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ああ、週刊誌……。
日付が変わったころに、コンビニに走る。週刊誌の雄といわれる雑誌が、あの一連の騒動をどう報じたかが気になったので。
某週刊誌は、特集記事のリードで、こう書いていた。
政治家・●●●●は死んだ。それは敢然たる事実である。(中略)この特異な人物の“政治生命”は終焉を迎えたのだ。国民が■■辞任に唖然として僅か2カ月足らず。政権奪取寸前だった●●氏は、一体、誰に葬られたのか。
少なくとも、きょうの動きをみる限りでは、葬られるかもしれないのは●●ではなく、ジャーナリズムの領域を逸脱してしまった某新聞ではないのか。
そうそう、私は11月4日の日記でこう書いていた。
新聞読まなきゃと、朝日讀賣の朝刊に目を通す。別に政治に対して(人並みの関心はあるものの)主張はないけれど、久しぶりに新聞を破りたくなる。なんでこの人たちは、紙面を、言葉をこういうふうに使うのだろう? 新聞の一面トップ記事というのが、どれくらいの重みを持っているか知っている――より正確に言えば、一面トップ記事の重みを誰よりも意識している――くせに、こういうふうに使うとは
「いきなり辞任」という点では、ABEと同じだけれど、OZAWAの辞任は、それとはまったく違った意味を持ってしまうだろう。後世、「あのときのOZAWAの判断は正しかった」と判断されるはず(少なくとも、これでOZAWAの政治生命は延命だ)。やれやれ。俺は別にJIMIN支持でもMINSYU支持でもないけどさ、何だかね。
ふふふ。日曜の時点で、私はちゃあんと、某新聞の問題と「OZAWAの政治生命は延命だ」を指摘している。って、俺は「事情通」を自称する某評論家*1かよ!
と書いたけれど、この「予言」は、いつか必ず「的中」すると思って書いた。過去の例を持ち出す必要ない。直近の「選挙=実績」で「大成」をおさめた(=「そこそこの成功」をした)人間は、そのすぐあとで何かしでかしても、「いつか」それなりに評価される。多少なりとも「実績」をあげたということだけで。
逆も、しかり。「実績が大してない」、いや、それどころか「ちょっとした失敗」をした時点で、「これは大問題になる」と指摘した「予言」も的中する。ちょっとした失敗をする人間は、えてして「いつか」大問題を引き起こすから。
それなりにマスコミ馴れしている人間は、私よりももっと経験を積んでいたり、情報も知っていたりするから、どのようなコメントをすればいいか、わかっている。が、「わかっている」と思っているがゆえに、状況を読み誤まる。「わかっている」と思っているがゆえに、脊髄反射だけのコメントをしてしまうから。状況を右から左へ受け流すだけになってしまいがちだから。
私が今回の騒動に、興味が惹かれるところは、ただ一点。そういう「わかっている」つもりなだけの「事情通」があぶりだされるのではないか、という点においてだけ。
さすがに、もう一方の雄は、『官邸崩壊』の著者に執筆を依頼、どのような事態が起こっても大丈夫なような記事に仕上げている。*2
やれやれ、また、こういうことを書いてしまう自分に嫌気がさす。それ以上に、この手のことで、政治が空転することに対しては、もっと嫌気がさすし、我慢がならない。
帰宅後
きょう買った或る月刊誌を、巻頭から順番に読んでいく。巻頭から、やられる。この人の小説を読むと、なんだかなぁと思うことが多いものの、この人の文章はこれからも読み続けていきたい。少なくとも、この人は、この人自身にとってインチキな言葉を口にしないから。
北朝鮮画報(そんな雑誌は、たぶん、ない)のようなひどいグラビアをふっとばし、気になるページを拾い読みしていく。なぜ、こんなに、何かのためのするようなインチキな文章を書くのだろうか? 自分の生活のため? イデオロギーのため? それよりももっと大きな何かのため? 人間誰にもプライドはあるし、生活がある。偏見も当然ある。そのための言葉を、決して否定はしない。でも、だ。「自分の正しさ」を主張したいがためだけの言葉に対して、私は激しい怒りを覚える。いや、その言葉自体にではない。その言葉の背後に垣間見える何かに対して。