冤罪事件とはどうして起きるのか!?――瀬戸弘幸が書かなかったこと


Tomatotic-jellyさん「柳原滋雄コラム日記」目次未満の作成、本当にお疲れさまでした。願望というのは口にしてみるものですねえ。東村山関連記事だけ抜き出してリンクつきの一覧を作るのは、きっと別の誰かがやってくれますよ。リンク集にもさっそく加えておきました。


さて、今日もすでに11月2日のお昼を過ぎてしまいましたが、構わず11月1日付で記事をアップしておきます。引き続き、瀬戸弘幸【連載】朝木明代市議万引き未遂冤罪事件(3):冤罪事件とはどうして起きるのか!?〉について。


瀬戸は、冤罪が生まれる原因として、“目撃者証言に頼り過ぎて物証を無視・軽視すること”と、“見込み捜査”の2つを挙げています。

 物的証拠がなく目撃者の証言だけで、どれほど多くの人が冤罪事件の被害者となったのか。そのことを真剣に考えて頂きたいと思います。どのような事件であっても、目撃者の証言だけで十分だなどということは絶対にありません。
 これまでも、目撃者だけの証言で自白に追い込まれて起訴されて有罪となったケースはたくさんあります。物的な証拠がまったく見つからないというケースは仕方がないにしても物証があるのに、それを証拠として取り上げないなどというのは、これは明らかに間違いです。
〔中略〕
 冤罪は目撃者証言に頼り過ぎた場合に起きると書きましたが、もう一つ重大なことがあります。それは見込み捜査です。最初からその人物を犯人に仕立ててしまうというケースです。


後述するように冤罪の原因論としては非常に不十分ですが、一般論としては首肯できます。


つまり、“朝木明代は創価学会に殺された”などという遺族や矢野の主張を真に受けて、創価学会員を犯人に仕立て上げるような見込み捜査を行なわなかった東村山署は、その限りにおいては正しかったと認めるわけですよね。


また、少年冤罪事件において、「それまでの捜査結果と矢野の姿勢などを総合して、少年を犯人とする矢野の供述には信憑性がなく、むしろ冤罪の疑いもある」と判断して事件を立件しなかった東村山署も、矢野穂積の「曖昧な記憶」以外に裏付け証拠がまったくないことを理由に矢野の申立てを棄却した裁判所も、正しかったということですよね。「矢野さんの言い分」に「なるほど」とうなずいたりせず、そのことをきっちり認めてはどうでしょうか。


さらに、いくら個人的には「朝木直子さんの言葉を信じる」としても、事件について論ずる際にはそんな個人的印象などどうでもよく、主張の裏付けをきっちり示さなければならないということを、ようやく認めたということですよね。


それはそれで結構なことですが、瀬戸は、これまで冤罪が生ずる原因となってきた重大な要素をいくつも見落としています。その最たるものは、“別件逮捕等による身柄拘束”と、密室での取調べを通じた“自白の強要と偏重”です。


瀬戸が紹介している山本弘幸(「ルポ・ライター」)の記事にも、リードで次のように書いてあるではありませんか(この記事のもう少し詳しい背景については、瀬戸弘幸<殺人鬼>で思い出した31年前の記憶:ペンを持つことになった強烈な動機〉2007年7月1日付参照)。


ある日突然“別件逮捕”され、密室の中で執拗に殺人犯として自白を強要されたら、あなたはどのようにして身の潔白を証明できるだろうか…


容疑者の自白を何よりも重視し、虚偽であれ何であれ「自白」が得られればよしとして、物証等の補強証拠を軽視してきたことが、冤罪を生む大きな原因となってきたのではないですか。


朝木明代の場合とは、ずいぶん状況が異なりますね。何しろ朝木明代は一度も身柄を拘束されておらず、最初に任意の取調べ(6月30日)を受けた直後に洋品店を訪れて威迫行為を行なったり(エアフォース〈万引き被害者威迫事件〉参照)、「びっくりドンキー」でアリバイ工作をしたりする余裕があったわけです(関連の判決抜粋その1その2も参照)。


東村山署としても、朝木明代の市議としての立場を考慮し、またまさか市議の立場にある者がここまでやるとは思わずに、逮捕には踏み切らなかったのでしょう。朝木明代を万引き犯に仕立て上げようとする謀略があったなら、とっくに逮捕していたはずです。万引きのような事件で身柄を拘束するのは異例とは言っても、威迫行為やアリバイ工作の件が判明した段階で、「証拠隠滅のおそれあり」として逮捕していてもおかしくはなかった。


いずれにせよ、その後の裁判では、一連の証拠・証言・状況を総合的に考慮して(柳原滋雄コラム日記〈「草の根」の闇10  矢野穂積が「証拠隠滅罪」に問われかけた「アリバイ工作」〉参照)、朝木明代が万引き犯である可能性は相当に高いと認定されたわけです。仮に朝木明代が生きていたら、もっと明確な決着がついていたことでしょう。


ところで、洋品店店主に対する公的謝罪はまだですかね? 瀬戸弘幸は、上述の〈<殺人鬼>で思い出した31年前の記憶:ペンを持つことになった強烈な動機〉で、次のように書いています。

 <殺人鬼>とは罵倒の言葉であっても、その言葉を投げつけられる人にも、他人には言えないつらい過去もあり、人生があることを少しは学ばなければならないだろう。
 それこそが、ペンを持つ者の最低限の資格と言うものである。


「万引きでっち上げの店」などと名指しされ、朝木明代の「謀殺」に加担したかのように非難され、矢野・朝木両「市議」から裁判に引きずり回されてきた洋品店店主の恐怖と人生に想像力を働かせることができないのなら、さっさとペンを折ってしまえばよいというものです(10月3日付〈市民の「恐怖心」に想像力を働かせようとしない公職(志願)者たち〉参照)。