1988年 7月20日 その11

        スティーブン・リー
        1988年7月20日
          午後11時



          獲物だ・・・
ねじくれ焼け付くような感情が近づいてくるのを感じ
パペットマンが声を立てている・・・
それをグレッグが厄介に感じていると・・・
マッキィが壁をすりぬけて寝室に姿を現した・・・
歪んだ身体に歪んだ笑みを張り付かせたその姿には・・・
右腕から肘にかけて赤黒い染みがぶちとなって
こびりついている・・・
おそらく何かやらかしてきたに違いない・・・
        俺の獲物だ・・・
「ホテルの部屋なんてやつぁ忌々しいまでに同じだな・・・」
そう言い出しかけたマッキィに・・・
「今すぐでていけ・・・」
グレッグがそう言葉を投げつけると・・・
マッキィはその潰れたような顔からすぅっと表情をなくして応えた・・・
「あなたに伝えた方がいいと思ってね・・」
いつもよりもドイツ鉛りがきつく感じられる声で続けた・・・
「黒い奴は片づけたんだが・・・あの女は・・・」
       獲物だ・・俺の獲物だ・・・
マッキィの声に被さるようにパペットマンの声が響いてくるのだ・・・
そうしてグレッグの自制を容赦なく打ち据える・・・
何度も、何度も、何度も・・・
マッキィから放射される乱暴な狂気が・・・
毛穴から生肉を思わせる芳香を発してパペットマンにおあづけを
くらわせたようにして刺激しているのだ・・・
弱まった自制が切れる前にとっとといなくなって欲しいところだが・・・
「出て行け」ともかくそう繰り返し・・・
「エレンがいるんだぞ」と言い添えたところで・・・
マッキィは口を歪め・・・
もじもじするかのように落ち着かない様子でうろうろしつつ言い募った・・・
「他の部屋にいるじゃないか、TVを見てるようだな・・・
クリサリスの弔いを流してたぜ・・・
結局出向くことにならなかったが・・・
簡単にばらせただろうにな・・・」
そうして悪戯を告白するように唇を舐めている・・・
その弱弱しい様子はパペットマンを一層刺激してならない・・・
「モーゲンスターンはどこにいるかわからなくなっちまったわけだし・・」
ようやく結論を口に出した・・・
「だったら探したらどうだ・・」
「あなたに会いたかったんだよ・・」
マッキィが囀るように口にしたその言葉は・・・
恋人に思いを告げるような色調を帯びていて・・・
菫色の紙やすりのようにグレッグの神経を逆立てるものだった・・・
蜂蜜漬けの砂糖菓子のように黄金に彩られた甘く芳醇な欲望が感じられて・・・
パペットマンはそれを貪ろうと声を立て始め・・・
グレッグの自制を蝕みだしている・・・
「出ていくんだ」
そして感情のまま怒りをぶつけていたのだ・・・
「ダウンズを逃して、今度はセイラがみつからないという・・・
一体何の役に立ったと言うんだ?
それでは役立たずのチンピラと変わらないではないか・・・
エース能力があろうとなかろうとだ・・・」
これまでマッキィをうまくあしらってきたつもりだった・・・
なだめすかし、自尊心を刺激して・・・
そうやってパペットマンはこの子男を制御してきた・・・
それなのに今グレッグはこの男を扱いかねているといわざるをえない・・・
この男を使うのはニトログリセリンを扱うに等しく危険を伴っているが・・
これまではうまくやりすごしてきたつもりでいたのだ・・・
それが今はどうだ・・・
マッキィの顔は険しく冷たい感情を宿しているではないか・・・
この男の欲望は単純なだけに危険ともいえる・・・
途端にマッキィの右手が振動し始め・・・
大気を震わせ危険な響きを帯び始めたではないか・・・
「違う・・」マッキィは首を振りながら言葉を継いだ・・・
「あなたはそんな人じゃない・・」
そこでグレッグは口調を変えて接することにした・・・
今この男を刺激するのは得策ではないと判断したのだ・・・
「あの二人が危険なのは何も私だけというのじゃない・・
我々二人にとっても危険なんだ・・・
だから何とかしなければいけないと言っているんだよ・・」
マッキーは目を白黒させているようだったが・・・
なんとか気を引くことはできたようだった・・・
「あなたの言葉は身勝手だ・・・」
「いかにも身勝手にもなるさ・・・危険が野放しのままとあっちゃね・・
それは理解できるだろ?」
マッキィはぐっと一歩踏み出してから動きを止めたが腕は上がったままで・・
その指は危険な振動を止めてはいない・・・
そこでグレッグはあえて身を乗り出し・・
少年を見下ろすようにした・・・
それにはかなりの集中を必用とした・・・
なにしろパペットマンはマッキィの感情に同調するようにもはや何をいっているか
わからないスピードでがなりたて続けているのだから・・・
あと数秒でパペットマンが表に出て・・・
グレッグが裏に追いやられる・・・
そうなればマッキィの制御も利かなくなる・・・
文字通り箍が外れるというものだ・・・
正気の箍が外れたならば・・・
あと一歩踏み出しただけで亡き者にされるだろう・・・
その腕の一閃で・・・
グレッグは身震いしながら言葉を搾り出し・・・
「私のところに来るといい、マッキィ・・」
囁くようにして言葉をついだ・・・
「すべてが終わってからになるが、それまでの辛抱だ」
そこでようやくマッキィは手を下ろして・・・
瞳を上げた・・・
その瞳からすでに怒りの感情はかすかなものとなっている・・・
「そうだとも」
マッキィはそう穏かに言い放ってから言葉を継いだ・・・
「それでこそあのお方と呼びに相応しいというものさ、そうとも・・」
そしてグレッグに手を差し出してきた・・・
打って変わって危険はないように思える・・・
グレッグはその手をとった・・・
跳ね返したい誘惑に必死に耐えながら・・・
さらに集中を振り絞り・・・
内にパペットマンを押しとどめながら・・・
それからマッキィは指を伸ばして頬に触れた・・・
奇妙に優しいとも思えるしぐさで・・・
いつでも刈り取れると示しながら・・・
そこでグレッグは目を閉じた・・・
そして再び目を開いたとき・・・
マッキィはすでに消えうせていた・・・
誰もいなかったような静寂だけを残して・・・

ワイルドカード6巻第三章 その12

      メリンダ・M・スノッドグラス
        1988年7月20日
         午後11時


弦の上の指を下らせながら・・・
ヴァイオリンの調べにのせてため息を奏でている・・・
そうしていると私服警備員が胡乱な目つきを向けてきた・・・
タキオンが丁重に頷いて見せると・・・
相手が誰か気づいたとみえて・・・
フルールの部屋の前で足を組んで腰掛けている異星人の元に
あからさまな好奇を態度に滲ませて駆け足で近寄ってきた・・・
騒音で満たされた近くの部屋にまで音が漂ったということだろう・・・
「おや」
「こんばんは」
「私の娘があなたにご執心でしてね・・
もし私があなたにお会いできてサインをお願いしなかったと聞いたら
私はあの娘に責め殺されることになるでしょう・・・
お願いしてよろしいでしょうか?」
「かまいませんよ、喜んでサインいたしましょう・・」
タキオンはポケットからノートを出して訊ねた・・・
「お名前は?」
Trinaトリナです」
トリナへ、愛をこめて
そう言葉を添えてサインして差し出すと・・・
「失礼ながら、こんなところで何をなさっておいででしたか?」という言葉が返されてきた・・
「この部屋のレディにヴァイオリンの演奏を捧げようと思い立ったのです・・」
「ほうそいつぁロマンティックですな・・」
「だといいのですが、ご迷惑でしたかな?続けてよろしいでしょうか?」
男は肩をすくめて応えた・・・
「それでは他の客から苦情が出るまでは多めにみるとしましょう・・」
「御深慮に感謝いたします・・」
タクはそう応えると、顎の下でヴァイオリンを抑えて再び奏で始めた・・・
4年前に習得したのショパンエチュードという曲をソロヴァイオリン用に
アレンジを加えたものだ・・・
そうしていると意識が透明な玉のようになって弦の上を流れているように感じられてくる・・・
岩にぶつかった水が呟くかのように・・・
愉しげな調べの裏に悲しみが顔を覗かせていて・・・
様々な女性の顔がそこに浮かび上がってくる・・・
ブライズ、エンジェルフェイス、ルーレット、フルール、クリサリスの顔だ・・・
さらば、古き友よ
そう呟いているとドアが乱暴に開かれて・・・
あの人の怒りを顕わにした茶色い瞳を見つめることになった・・・
ああ、愛しい人よ
「あなたはこんなところで何をなさっておいでですか?
どうして私をそっとしておいてくださらないのですか?」
そういったその顔はぼさぼさの髪で覆われたままだ・・・
「できなかったのです」
膝をついてすがりつくようにして言葉を投げかけてきた・・・
「どうして私につきまとうのですか?」
「それを私に訊ねるのは酷というものです・・・
いかにそれを言葉に乗せられようか?」
「あなたがかかわったものは皆損なわれ壊れていったというのに・・・
今度は私をそうしたいとおっしゃるのですか?」
否定はしなかった、いや否定できなったというべきか・・・
「お互いに罪の意識があるのではありませんか?
二人ならばそれを薄めることができるのではないでしょうか?」
「そんなことは主以外にはなせないわざです・・」
タキオンは房になってもつれた髪に思わしげに指で触れながら・・・
「あの方と同じ顔を持ちながら・・・
あの方と同じ魂を持ちえないということがあるでしょうか?」と言い募ったが・・・
「おぞましいことを言わないで、あなたが見ているのはもはや存在しない
人間の幻だということがわからないのですか?」
首が乱暴に引かれて・・・
指が頬に触れはしたが・・・
そのしっとりした感触からは・・・
乱暴に引き離されることになった・・・
そうしてフルールは壁の向こうに引き込んでしまった・・・
タクは弓を手にして弦の上を走らせて・・・
そうして演奏することしかできはしなかった・・・
痛みに似た名残をその身に感じながら・・・