ワイルドカード7巻 7月20日 正午

      ジョン・J・ミラー
      1988年7月20日
         正午


ぎらぎら光るコインのような太陽が高く
投げ出されたような空のもと、
重く淀んだ中天に、
朦朧とした靄のような雲はかかっていても、
それ自体に動きもなく、怒るがごとく
照り付ける光の矛先を鈍らせるものではなく、
そのねっとりした息をすることすら重苦しく
感じられる熱さの中、ジェニファーとブレナンは
悲惨なる永遠の女神教会に続く列の中で辛抱強く
待ち続けていた。
ジョーカータウンが常よりも気を使われて扱われて
いるように思えるのは送別されているのがクリサリス
だからであろうか。
人々は這うようにひょこひょこと歩き、入り口に控え
ている胡乱な目をした二人の警官に見守られながら
教会に入っていっている。
子飼いのジョーカーといえるカントをその任に当てる
だけの配慮が働いたのは些かなりとも好ましいとしても、
これだけマスクを被った人々が群れ集っていては充分に
取り締まりができるかどうかは疑問だとブレナンが思って
いると、人々はマスクを被ったブレナンを見るのは一瞬
のことで、すぐに視線をそらして喪服は着ていてもより
見栄えのよいジェニファーの方が気になるようでそちらに
視線は向いている。
教会内は混み合っていて、信徒席などはほぼ埋まって
しまっている。
そこでブレナンは淀んだ空気を掻きまわしているような
換気扇の横の奥に立って参列することにした。
クリサリスの棺は祭壇の近くに置かれていて、絨毯のように
敷き詰められた花で囲まれている。
リビング・ロザリオ会によるクリサリスの魂の安寧を祈る
厳かな聖句が唱えられ、最後の主への祈りがささげられた
ところで式は終わりに近づいていて、
ジョーカーのJesusが彫刻された青銅の螺旋飾りを捧げ持った
二人のジョーカー、一人は口の見当たらない少年で、もう一人は
たくさんの口のある淀んだ大気にうんざりすような甘い香りを
振りまいている吊り香炉を捧げ持った少女、という二人の待者に
先導されて他の従者も後をついていっている。
式を取り仕切っている司祭、烏賊神父も一番上等な聖衣を身に着けて
いる。
それはナットの聖母が振り返って、二人のジョーカーと白い作業着に
身を包んだ小柄な赤毛の男がジョーカーJesusを蝋皮紙にくるんでいて、
それを見つめている刺繍が施されているものだった。
彼らは赤と金のベストを着たタキオンの座っている正面の信徒席の横を
進んでいった。
そこは主賓が招かれているようで、タキオンの横には褐色の肌をした
黒い喪服を着た男が居心地の悪い顔をして座っていて、その横には
死神のような顔をした男が座っている。
チャールズ・ダットンだ。
確かパレスの共同経営者だとブレナンは聞いている。
他にもパレスの従業員もその後ろに座っているが、サーシャと
エルモの姿は見当たらない。
そんなことを考えていると烏賊神父は聖壇にミサ典書を置いていて、
身を翻して信徒の方に向き直ると、大きく手を広げながら、よく通る
穏やかな声で「祈りましょう」とことばを掛けると、
人々はそれに従って祈り始めた。
それはブレナンが子供のころ参加した正教の祈りに近いものに思われたが、
何らかの象徴を仄めかした儀礼であるようにも思える。
一人マスクを外したのに従うように、皆マスクをとって祈り始めたのだ。
そこでブレナンは警官がどう動くか様子を窺ってみたが、彼らは中に入って
はこなかった。
もしかしたら外で何かあったのかもしれない。
そんなことを考えながらも、ブレナンとジェニファーもマスクを脱いでいたが、
誰にも注目されることはないようだった。
ジーザス・クライスト・ジョーカー教会の信仰においては、聖母はいかなる
ものを象徴しているのだろうか、感情の赴くままに祈りを捧げている司祭の
姿は、まるで旧約聖書の怒れる神のようであり、神の手が一方では救いの手を
差し伸べて、もう一方で呪いを振りかける様に怒りをぶちまけているのでは
あるまいか。
そうしていると司祭の祈りの間に、待者の少年少女がいなくなったと思うと、
烏賊神父によって祝福された信徒の作ったパンの詰められた籠をもって戻ってきた。
そこで神父はタキオンを聖壇へと招いて、追悼の言葉を求めている。
タキオンが聖壇に上ったところで、ブレナンには小柄で繊細なたちの赤毛
神父の姿が思いの他、タキオンに似ていると思い始めていた。
一方でこうも考えていた。
タキオンの姿に違和感が禁じえないのは、あの異星の男には、うまく制御
できてはいるものの、かなり強い自我が抑えられていて、それが表面に出た
に過ぎないのではないだろうか、と。
実際タキオンの来ている服で喪服を思わせるのは、右の上腕につけられた
黒いリボンだけであり、黄金のあしらわれた深紅のコートは、ピカピカに
飾られたクリスマスツリーのようであり、葬儀には似つかわしくないもの
といえるが、ブレナン自身忘れがちながら、タキオンは独特な感覚を備えた
異星の文化の継承者であるということをその姿が教えてくれているということ
だろう。
そう考えていると、タキオンは演壇に上がって、ハンカチで目元を拭いていた。
あの深紅のコートでは、教会内はさぞ熱いのではあるまいか。
実際赤銅色の巻き毛に球の汗が滴っているのが見て取れて、顔は赤く、
その目もまた充血しているようだ。
そこでブレナンはタキオンが涙を流していたのにようやく気付いていた。
タキオンは派手ないでたちに気をとられわかりがたくはあるが、実際は
感情を強く抑制しているだけで、他人からはそれが感じとりにくくなって
いるにすぎないということだろう。
そうして感情を表にだせることを羨ましく思う気持ちがブレナンの中にも
あることに驚いていると、
タキオンは聴衆を見下ろすようにして、換気扇の音でかき消されがち
ながら、掠れた優しい声で話し始めた。
「1987年の7月20日に、ザヴィア・デズモンドを弔うために
ここに集ってから、わずか一年しか経っていないわけですが、
そこでも私が弔事を述べました。
ここで再びクリサリスの弔辞を述べることは名誉なことながら、
何度目であっても友を葬らなければならないという事実には憂鬱に
ならざるを得ません。
最後にいきついた場所がここジョーカータウンというのはあまりにも寂しく思えてならないからです。
ここに行き着いたという意味では、私もあなたがたも何ら変わるところは
ありはしないと言えます……そうして一人また一人と失われていくのです」
タキオンはそこで一端言葉を区切ると、思いをまとめ上げるように言葉を継いでいた。
「弔事というものは本来、亡き人を悼むものではありますが、私は別のことを
話そうと思います。
私はクリサリスのことを友と呼んでいましたが、
クリサリスと旅を共にして、そこで頻繁に顔をあわせていたとしても、
私は実際のところ、あの方のことを何も知ってはいなかったのですから。
あの人はクリサリスと名乗っていてジョーカータウンに住んでいた。
知っていたのはそのくらいのことで本名も……どこで産まれたか……
なぜ英国人であるかのようにふるまっていたか……どうしてあんなに
アマレットを好んだかすらも知りはしなかったのですから。
あの人が何に笑い……秘密を好み……何を抱え込んでいたのかも、
クールで近づきがたい雰囲気をまとわなければならなかったかも、
何も知ってはいなかったのです。」


私はこういったことをアトランタからここに向かう飛行機の中で考えていました。
そして悼む言葉すら持ちはしないのではあるまいか。
それでもあの人の行いについてならば少しは話すことができるでのではないかと。
そう思い至ったのです。
あれは一年前、ギャングの抗争が起こってこの街が巻き込まれ多くの人々が危険にさらされたときのことでした。
クリサリスはパレスを開放することを申し入れてくれました……
単なる避難所ではなく、我々の要塞として、
それは当然危険を伴うことながら、そんなことは御くびにも出さずにです。
あの人はジョーカー(不具の身)でありながら……損なわれたものなど
何もないことを態度で示していたのです。
あの人はその顔をけして仮面で包みはしませんでした。
あの人は常にありのままの自分をさらし……毅然としていたものです。
それはある種のナット(普通の身)の傲慢さと、
ジョーカーの持てるある種の勇気をも示していたのです」
滂沱たる涙がタキオンの顔を覆い、話し続けるには声を張り上げなければ
ならなかったが話すことをやめはしなかった。
「祖先を崇めるかのごとく、
タキスにおいては死を悼むことは誕生のときより重い意味を持ちます。

その死は遺された者たちが愚かな行いをしないよう導くと考えられているからです。
それゆえにその人格に係わらずやすらぎと恐れを持って敬われると信じられているのです。
クリサリスの存在はやすらぎよりも恐れをもって受け取られていたのではないでしょうか。
それが何よりも私たちに必要なことと思えるのです。
あの人は殺害されました、その罪は裁かれなければなりませんが、
この国に蔓延するHate悪意を増長する風潮には、
……けして与さず……
隣人が恐れと不安に喘ぎ、飢えと貧しさを抱えているならば、
食と住とやすらぎを持って救いの手を差し伸べたいと思います。
その精神こそがあの人の示したものなのですから」
そうして流れる涙をものとものともしない姿は、紅い目が痛々しくありは
しても、クリサリスの死を悼みに来た聴衆の胸に強い希望を抱かせるものだ、
とブレナンが考えていると、演壇の傍に夥しい灯びがともされて、タキオン
視線を落とし、その一つに寄り添うようにして、再び聴衆に顔を向けて
言葉を継いでいた。
「たった一年の間に」タキオンはそう言って、
「ジョーカータウンは二人もの最も重要な指導者を
失いました。
我々はそのことに恐れと悲しみを抱えています。
それでも我々はここに集うことができたと考えたいのです。
共に手を携え……彼らの勝ち得た栄誉を汚さないようにすること、
それだけで彼らはけして忘れ去られることはないのですから」
タキオンはそこでブーツの鞘からナイフを抜いて、右手の人差し指を一閃し、
キャンドルの炎の上に翳して、血をその上に落とし、
「さらば、クリサリス」そう言って演壇から降り、信徒席に戻っていった。
そこでブレナンは突然気づくことになった。
タキオンと同じように、
ブレナンの頬を涙が伝っていたということに。

ワイルドカード7巻 7月20日 午後1時

       ジョージ・R・R・マーティン
        1988年7月20日
           午後1時


呼び鈴が鳴って<Old Mcdonald had a Farm
ゆかいな牧場>のメロディが流れた。
まさに今の気分にぴったりの曲ではなかろうか。
実際何が出てくるか知れたのじゃないのだから。
そこで家政婦がドアを開け「どなたです?」そう声をかけてきた。
ジェイはいかにも愛想がよいという笑みを浮かべ、
「ボブ・ロウボーイです」と言って片手を差し出して、
「エーシィズ・マガジン社から来ました」と言葉を継ぐと、
「まだ誰も帰っちゃいないわよ」家政婦はそう応え、
ジェシカは学校だし、フォン・デル・シュタットさんの
ご帰宅は7時ですから」
「問題ありません」ジェイはそう返し、馴染みの質屋から
持ち出してきたカメラを掲げてみせると、
ジェシカ嬢の小庭園の写真を何枚かいただきたいだけです
から」
その言葉に家政婦は胡乱な目を向けながら、
「ダウンズさんがすでに写していかれましたよ」
そう投げかけられた言葉に、「それが駄目になったんです」
とジェイは応え、「暗室で現像のミスがありましてね」
そう言葉を添えて、腕時計を見つめながら、
「お時間はとらせません、10分程度で済みますから」
そう畳みかけたが、家政婦は表情を曇らせたままで、
「デル・シュタットさんの許可を得なくてはなりません」
そう言い募ってきた。
「それは構いませんが」ジェイはそう応え、
「私とて30分後に別の仕事が入っていますから、道路
状況によっては、写真なしの記事を出すしかないようですね」
そう言い添えると、
「まぁいいでしょう」家政婦はそう応え、
「数分で済むなら済ませて頂戴」と言ってくれた。
「助かります」ジェイはそう言って、家に入ると、
家政婦は上階に案内してくれた。
農場は最上階にあるのだ。
「踏まないよう気をつけてくださいね」
家政婦は頑丈な防火扉の鍵を開きながら、そう釘をさしてきた。
「ダウンズさんは馬の一つを踏んずけにかかりましたからね」
と言い添えて。
「困ったディガーさんだな」ジェイがそう応えたところで、
扉は開かれて、ジェイは驚いて目を見張ることになった。
ディガーの記事に間違いはなかったわけだ。
屋根裏にアイオワの情景が広がっているではないか。
右を見ると、造花の草を食む本物そっくりの牛達がいて、
左を見ると、電流が流れていると思しきワイアーの施された
柵の向こうに、マウスくらいのサイズの牛がいて、他の動物に
比べると、えらく躍動的で大きいのが見てとれた。
「象のようだね」ジェイがそう言うと、
ジェシカ嬢がクリスマスプレゼントに頂いたものですわ」
家政婦はそう応え、
「写真はお撮りにならないのですか?」と訊いてきた。
そこでジェイは家政婦に視線を据えて、
「写真というものはアートなんだ、わかるかい、そうして
見てられると気が散ってならないんだがね」
そう返したのが効いたと見えて、「あら、そうですね」
老女はそう言って、「10分だけですからね」そう言い添えて、
ドアを閉めて出て行ってくれた。
そこでジェイは窓際に広がっている、細かい作りの農場内の
建物を乗り越えて、羊や小型の放牧犬の群れを抜け、豚の群がって
いるぬかるんだ飼い葉桶を通り過ぎ、玩具のトラクターや
プラスチック製の農夫フィギュアの先には今にも崩れそうな鶏小屋
があって、ジェイがそこに近づいていくと、おはじきくらいの大きさの
鶏が羽をばたばたさせくちばしを突きだしていて騒々しいことこの上ない。
動物たちのサイズはまちまちで、あまり厳密に揃えているというわけでは
ないということか。
そんなことを考えながら、干し草の山に囲まれて、その隣には
伝統的な形の赤い屋根の納屋と丈の高い穀物サイロのある小屋の
前に立っていた。
手間を惜しまず作られた懐かしい感じのする木造家屋で、ドール
ハウス並みの可愛らしく精密な代物だ。
ペンキの塗られた雨戸に触って動かすことのできる風見鶏も乗っていて、
窓には本物の布を使ったしっかりカーテンが掛けられていて、張り出した
玄関には小作人が座っていて、プラスチックの娘を抱き寄せていて、
その前にはレモネードの入ったピッチヤーの乗ったテーブルもある。
ジェイは屈んで、指で正面のドアを開け、中を眺めてみると、リビングに
アンティーク調の家具まであって驚き溜息をついていると、小さなコリー犬が
出てきて、乱暴に吠え出したではないか。
Sonofabitch(なんてこった)」勢いよく向ってきた犬に、そう悪態をついて、
「いい子だから」といなしつつ頚を引っ込めて、
「いい子だから、静かにしてくれないかな」と言ったものの、コリーは
まるでジェイが骨でも持っているかのように、吠え続けている。
「ディガー」囁くようにそう声をかけ「そこにいるのだろ?」
そこで上の階の方で何か動いたような音を聞いたように思ったが、
犬がやかましくて確かめようもなくて、三階の窓から中を覗いてみると、
そこは女性用の寝室のようだった。
そこにはレースとフリルが施された天蓋付きのベッドがあって、淡い蒼い
壁紙では蝶が舞っている。
何も動かないはずにしては妙にとっ散らかった室内だと思っていると、
犬は周りを走り回り喧しく、少し考えて、けがをさせない程度に加減して、
指を弾いて脇に除け、腰を上げ、屋根を持ち上げると、
ディガー・ダウンズがそこにいた。
わずか三インチ程度のディガーが床で縮み上がっていて、窓のない
クローゼットの中に入って、人形の服の陰に隠れようとしていて、
ジェイが見下ろすと、ディガーは悲鳴をあげ、弾かれたように階段に
飛んで行って、逃げようとしていたが、ジェイは手を伸ばし、
襟を掴んで持ち上げると、
「殺さないでくれ」ディガーは小さな声でそう叫んでいて、手足を
振り回してもがきつつ、「ああ、お願いだから、殺さないで」と
言っている。
「あんたに手をかけるつもりはないよ」ジェイはそう言って、
「誰もあんたを殺しはしない、ともかくここから出ようじゃないか、
ああ喧しい」ジェイはそう言いながら、コートのポケットにディガーを
放り込んだところで、家政婦が戻ってきて、「ロウボーイさん」と
感情のこもらない声をかけてきた。
「フォン・デル・シュタットさんと連絡がとれました、あなたに
申し上げたいことがあるとのことですよ」そう継がれた言葉に、
「それには及ばない」ジェイはそう応え、
「もう要は済んだから」といったところで、犬が戻ってきて、
ジェイの靴に脚を掛け、ディガーの入っているポケットに向って
吠えたてながらズボンを登ってこようとしているではないか。
「それで俺に何の用があるのだろう」
それでもジェイは悪びれずにそう応えていたのだ。