消尽したもの

頭脳労働、肉体労働、共に限界まで尽き果てる。今年最後のバイトを終えて意識朦朧としながら「蘊蓄バトル」を見ていた。歴史の屑拾いならぬ知識の屑拾い。
ぼくの働くホテルのオーナーはいくつかアパートやマンションを所有しているのだけれど、今日聞いた話では、部屋を貸していた若い女性がよくテレビに取り上げられたような「ゴミ女」で、いつの間にか家賃を滞納したまま逃げていったということで、不動産屋を介してその女を訴えたらしい。訴訟には勝ったらしくリフォーム代を請求しているということだ。
訴訟についてはそういうことらしいが、ゴミの山の中には赤ん坊の死体が入った瓶があったとかなかったとか…らしい。こういうことが表沙汰になると、所有者にしては百害あって一利なしということだからもみ消しは日常茶飯事に行われる。踏み込んだゴミ女の部屋の浴槽は生理用品がぴっしりといっぱいに詰め込まれていたそうだ。それを聞くとぞくっときた。
ちょっと前に、ぼくが葬儀屋でバイトをしていた時も、腐乱死体の話をよく聞かされた。あるいは仕事の最中に上司の携帯に「その話」が舞い込んでくることがたまにあった。死体のどうしようもない腐臭が染み込んだアパートは、葬儀屋によって安く買い取られ、格安で希望者に分配するらしい。ぼくも一等地のマンションを数百万とかで勧められた。地下では何が行われているか分かったもんじゃない。レイヤーごとに棲み分けられた世界。ぼくが見たり感じたりしているのはその中のひとつやそこらの世界でしかないのだろう。

「初めてペニスを見たのはいつ?」「14歳」

セックスと嘘とビデオテープ』より。今テレビでやってる。全部見たいけど眠いなぁ。何度か見たけど、今のソダーバーグに馴染んだ後だとまた違った印象を受ける。『スキゾポリス』『グレイス・アナトミー』を経た流れで一度きちんと捉えてみたいと思うが…。かつて青山真治が「スピルバーグの時代、キャメロンの時代*1の後はソダーバーグの時代、すなわち泥棒の時代*2なのだ」というような主旨のことを語っていたが、あのネタは有効だろうか?いろいろ考えてみなければ…

*1:いずれも黒沢清青山真治阿部和重樋口泰人、安井豊、塩田明彦稲川方人らによる『ロスト・イン・アメリカ』という本で詳しく論じられているアメリカ映画における時代区分である。

*2:確か青山真治スピルバーグの『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』を取り上げて、ディカプリオ演じる詐欺師こそソダーバーグなのだ!という突飛な説を朗々と語っていた。まあオフレコの場においてだけど。

「俺にとって、マリファナは神様だよ」

資料として何気なく読んでいた市山隆一著『私論・勝新太郎』が終盤に差し掛かってくると異常なほどの「文圧」に魂を揺さぶられてしまい、冷静に読めなかった。読了した昨夜は、就寝が予定より2時間ほど遅れてしまった。その2時間はただ放心しているだけだった。まさに虚を衝かれたという感じだ。

孤独は淋しさとは別のものである。
孤独とは、
自分の到達したレベルで通じ合える人のいないことである。
神との交わりのもたらす喜びがなければ、
まず耐えることのできない重荷である。*1

そのような意味での孤独を生きた勝新太郎。そして、勝新太郎という絶対的な人物との邂逅によってその人生を「不幸」にした市山隆一。「不幸」というのは、芸能界という華やかな場所で様々な人物と巡り会いながらも、勝新太郎を超える人間には決して出会うことなく、一生を勝新太郎の呪縛と共に送らねばならないという意味においてである。自ら勝新太郎の弟子と称して、小説家に転身した市山の『私論・勝新太郎』とは、1978年の最初の出会いから勝新太郎が死去する1997年までに、圧倒され、呆然とし、振り回され、消耗し、苦悩し、必死に理解しようとして、決して真に理解することはできないことを悟り、勝新太郎という人物を知り、邂逅するまでを真摯に綴った物語*2である。
この物語は三人称で綴られ、最後に一人称「私」で語られるという語りの形式を採用している。それに三人称の部分も、最初は「I」という匿名を用いて、彼が勝新太郎について語った部分を挟みながら進行している。次に、といっても中盤を越えた辺りにおいてだが、「市山達己」という著者の本名と思われる人称が与えられる。そして、勝新が亡くなる直前、著者は小説の新人賞を受賞し、作家デビューする。「市山隆一」として。最後の章にかわり、人称はそこで初めて「私」となるのだった。これは、匿名の「I」という人間が勝新太郎を通して作家「市山隆一」として誕生する物語でもあるのだ。
「俺はアラブだ……」黒沢明の『影武者』降板騒動の後、日豪合作のある映画*3でオーストラリアへ発つ際に勝新の言った言葉。サラブレッドとしての市川雷蔵を意識した言葉だった。「……俺は、市川雷蔵だぞ」癌で入院したことを市山に伝える電話で言った言葉。市川雷蔵は若くして癌で亡くなった。自分自身の逃れられない「業」を受け入れ、どんな状況でもまさに「語録」となるような言葉を用いた勝新太郎の凄さは、これだけの言葉を取り上げるだけでも十分伝わってくる。『不知火検校』で初めて映画における自分の道を見出したとされる勝新太郎は、その頃から座頭市がそうであるように「業」を受け入れ、死ぬまでその姿勢を乱すことはなかったのである。

*1:M・スコット・ペック『愛と心理療法』より。市山隆一が『私論・勝新太郎』に引用している箇所。

*2:あえて物語と言いたい。勝新の死は何かの終わりを感じさせる。

*3:『俎上の鯉』というタイトルだったらしいがうやむやの内に頓挫してしまう。