『雁』の中の「言ふ」と「云ふ」

森鷗外の『雁』を読む。新字新かなの新潮文庫版(ISBN:4101020019)。
裏表紙には「極めて市井的な一女性の自我の目覚めと挫折」とあるが、自分は高利貸末蔵を中心に読んだ。金銭的には成功し妾を囲ふものの、そこから生活がちぐはぐになつていく末蔵の描写がうまい。この人物像の中に鷗外自身を強く感じるのだけど、どうなのかな。

「言ふ」と「云ふ」

読んでゐて、「いふ」と云ふ動詞にほとんど「云」の字が使はれてゐるやうな気がしたので、「言」の字を見つけたら、印をつけるやうにしてみた。下の引用部分のやうに混在してゐる部分もある。

お目に掛かっても、物を言うことが出来なくては、どうにも為様がなくなってしまう。一体わたしはあの時なぜ声が出なかったのだろう。そう、そう。あの時わたしは慥かに物を言おうとした。唯何と云って好いか分からなかったのだ。「岡田さん」と馴々しく呼び掛けることは出来ない。そんならと云って、顔を見合わせて「もしもし」とも云いにくい。(P.99)

上の引用部分だけではよくわからなかつたのだが、後で「言ふ」の部分だけ抜き出して並べてみると、一応規則性(?)があるやうだ。

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