佐藤伸治の新曲を聴いたこと/友人のこと/Do You Believe in Magic?

 昨日、わたしは「今日は完全にオフ!」と決め込んで午睡をしていたら、夢のなかで1999年に亡くなったフィッシュマンズ佐藤伸治が新曲を披露してくれた。わたしは嬉しいのと心地いいのと、少し怖いみたいな気持ちで目が覚めた。
 どんな曲、歌だったか今はもう思い出せないけれど、起きた直後は覚えているような気もして、頭のなかで何度か反芻してSNSで呟いてみた。歌詞はよく思い出せなかったが、こんなふうだったかもしれない、と、浮かんできた歌詞を書き留めた。

「ら、ら、らーら、らららーら、らーら」
「い、つ、もぉーの、ように、どこかぁーで、あえたなぁーら」

 歌を聴いて、佐藤伸治(か、あるいは他の誰か)に彼岸、向こう側に呼ばれているような気がしたのは思い当たるふしがある。
 前日、金曜日の夜は近所にあるコーヒー焙煎所でお喋りをしていた。わたしの今いる、実家からほど近いそのNさんの焙煎所は、金曜日だけコーヒーの小売があり、喫茶としてそこでコーヒーを頂くこともできる。19時の閉店後に常連客が集まってくる。8月21日の夜はわたしももう三回め、連続だから三週めだった。

 わたしはその日の午後、久しぶりにフィッシュマンズ佐藤伸治生前の最後のライブ盤『'98.12.28 男達の別れ』を聴いていた。このときのツアーはわたしも大阪で観た。このCDも何百回何千回と聴いて、一人でも聴いたし、ステレオでもヘッドフォンでも聴いたし、わたしたちがやっている「フィッシュマンズナイト大阪」というクラブイベントでも毎年何回もかけて聴いているけれど、このとき初めて、「怖い」と思った。彼岸に連れて行かれるような、もう半分、向こう側に行っている人が歌っているような。

 それで夜、焙煎所へ毎週来ている女性がいて、彼女はわたしより年下だが、彼女も学生時代から数年前まで関西に住んでいたという。わたしの亡くなってしまった大学の同級生は美術史を専攻していた。彼の恩師は今では著名な美術史家で、当時はまだ若く40前後だったのではないか。わたしは友人とは学部が違うが、進路に迷っていたわたしは、彼に誘われてその先生のゼミを聴講させてもらったこともあった。他の教室では経験したことのない熱を持った空気があった。

 友人もまた才気走った男で、わたしたちの所属していた大学の映画研究部で唯一、ビデオではなく八ミリフィルムで映画を撮り続けていた。「まばたきのま」とか、「Do You Love My Music?」というのが彼の映画のタイトルだった。プロダクション名「ガリガリプロダクション」を名乗っていたが、彼は躁鬱の感じがあって、引きこもりと活動期を行ったり来たりして、太ったり痩せたりしていた。広島に平和記念式典の定点撮影に同行させてもらったこともある(わたしがついて行ったときは、寝坊して式典に間に合わなかった!)。
 彼とは、わたしたちが今も続けている、フィッシュマンズを一晩中かけるクラブイベント、「フィッシュマンズナイト」も一緒にやっていた。これにはわたしが誘ったが、彼がバンド活動をしようといって誘ってくれたこともあったし(バンド名は「ゴーストダンス」といった、わたしは結局参加しなかったが、実現したのだろうか?)、彼の主催するイベントにDJとして参加したこともあった。わたしが引きこもりのようになり、フィッシュマンズナイトに直前で参加辞退してみんなに迷惑をかけたとき、説教してくれたのは彼だった。わたしはそのことを、今でもいくら感謝してもしきれない。
 彼もまたフィッシュマンズが大好きで、他にもたくさんの音楽の話をした。今でもわたしの手許にあるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバナナのLPと、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンのLP「アンソロジー」は彼が格安で譲ってくれたものだ。

 彼は26歳で死を選んだ。

 焙煎所で会って話したその女性は、大学で美学を専攻して、彼の恩師の講義を受けたことがあるといった。彼女はわたしたちと大学は違ったが、彼女が大学生の頃、その先生は彼女の大学でも講義をしていたらしい。いつもここでは音楽や芸術や文学や仕事や恋愛や人生やかき氷やコーヒーやゲームや、とにかくなんでも話せる空気があって、わたしはその先生をきっかけに彼の話をして、フィッシュマンズの話をした。彼女は観てきた展覧会の話をしてくれて、それを観る前に読んでおいたらいい、と本を見せてくれて、貸してくれた。90年代の孤独や、今日聴いたフィッシュマンズの「怖さ」の話もした。

 その次の日の佐藤伸治の新曲だった。
 わたしは前述のようにそれをSNSで呟き、幾人かにメールでその話をした。そのなかで、こういうことを言ってくれた人がいた。
 その曲は、佐藤さんと、ご友人と、Sさん(わたしのこと)の共作ですね、と。
 そんなふうにはわたしは考えてもみなかった。とても嬉しかった。

「魔法なんて信じない、でも君は信じる」と言ったのはマンガ家、西島大介(DJまほうつかい)。
「魔法を信じるかい?」と言ったのはラヴィン・スプーンフル
 ラヴィン・スプーンフルを教えてくれたのは、その死んだ友人。彼の映画のエンディングで、「Daydream」を使っていた。
 魔法みたいなことは起こらないけど、魔法は言葉だから、言葉が魔法に繋がることがある。

’98.12.28男達の別れ

’98.12.28男達の別れ