「震災でぼくたちはばらばらになってしまった」

9月1日発売『思想地図beta』vol.2の東浩紀氏の「五ヶ月後の現実」を前にした言葉(p.8)。
その「ばらばら」の状況や再生への希望につき、9/10,9/11両日の『南相馬災害FM』や新聞情報等をもとに、南相馬市を例に点描します。(出典省略にお許しを。)
原町区中心市街地の父から引き継いだ『佐藤じてんしゃ屋』を営む佐藤さんは震災の1ヶ月後から店を再開。みなが放射能を恐れて窓を閉め切っていた頃のこと。すると皆が立ち寄り店でおしゃべり。それが私の地域貢献と佐藤さん。店の前の歩道にマリーゴールドプランターを置いている。『佐藤じてんしゃ屋』は朝日座(⇒7/28,29記事)からも近い。
南相馬災害FMを運営する栄町商店街振興組合理事長の片山さん。平成4年から200回以上連続して実施してきた毎月第三土曜の「ナイトバザール」を、3月はさすがに中止せざるを得なかった。しかし4月に再開。災害FMの中継もその日からスタートした。①店を開けること、②安心安全なものを届けること、③話を聞くことを皆で心掛けている。朝日座も栄町商店街に近い。市民活動サポートセンターもこの商店街の角に立地している。
病院の調理師のSさんは子供(19歳,16歳)の健康を考え山形に避難中。1年間は家に戻らないと決めたが病院は退職していない。(現在、市内の病院スタッフが大きく減った状態にある。)
別の施設の従業員だったIさんは自宅に夫を残し中2の長女ら3人の子供と群馬に避難。けれども長女の高校受験があるので1年後には南相馬市に帰りたい、と。
ガソリンスタンド勤務のAさんの妻と子供3人は仙台に避難中。自宅の除染活動に汗をかくが、値が最近下がりづらくなり個人作業の限界を感じている。まだ連れ戻せないと悔しさがにじみ出る。
従業員のいなくなった会社を経営するBさん。仕事はあるのに。呼び戻そうと電話をかけ続ける姿。「このままいくと街がダメになる」とつぶやく。
最後に、小高区で『森の花やさん』を営んでいたCさん。警戒区域となり店は休業に。しかし皆から「いつ店を開くの?」などの励ましの言葉。10月より、鹿島区の仮設店舗で店を出すまでにこぎつけた。
東氏はこの本の最後の方で「希望ではなく絶望を前にした連帯。未来ではなく喪失を前にした連帯」が必要との思いに至っています(p.193)。