「渡米実業団」日録

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 今から約100年前の1909(明治42)年、東京・大阪など6大都市の商業会議所を中心とした民間人51名が3ヶ月間にわたりアメリカ合衆国の主要都市を訪問し、民間の立場から、日本とアメリカの経済界を繋ぐパイプづくりに大きく貢献しました。
 この日録では「渡米実業団」(Honorary Commercial Commissioners of Japan to the United States of America)と呼ばれた日本初の大型ビジネスミッションの日々の出来事を、『渋沢栄一伝記資料』に再録された資料等で追いながら、過去に遡る形で掲載しています。

 1910(明治43)年1月27日(木) (69歳) 渋沢栄一、自治協会招待会でアメリカ旅行談 【『渋沢栄一伝記資料』第48巻掲載】

栄一、明治四十二年八月十九日渡米実業団を率いて渡米し、十二月十七日帰国す。是日栄一、交詢社に於て開かれたる当協会招待会に出席し、米国旅行談をなす。

出典:『渋沢栄一伝記資料』 3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代 明治四十二年−昭和六年 / 1部 社会公共事業 / 7章 行政 / 1節 自治行政 / 1款 自治協会 【第48巻 p.266】

1910(明治43)年1月27日、渋沢栄一交詢社で開催された自治協会招待会に出席、アメリカ旅行談を行っています自治協会については栄一が語った言葉として『渋沢栄一伝記資料』第29巻に掲載された「一村興隆の手段に就て」という速記録において、以下のように紹介されています。

一村興隆の手段に就て           (渋沢子爵家所蔵)
           「渋沢男爵の講話」(速記録) 明治四十一年九月二十八日
           於埼玉県大里郡八基村大字血洗島血洗島小学校
[前略]
東京に自治協会と云ふのがありまして、其幹事を致して居る長沢徳彦 [長沢則彦?] と云ふ人が私ハ従来知合で、其人ハ各地の自治制度を詳細に取調べて [中略]、或ハ書物に、或ハ雑誌に出して、今日の自治制を発達せしむるに努めて居ります、私も長沢から切りに請求されて、会員の仲間入りをして居ります、先頃何か其自治協会で集会があつた、私ハ差支があつて出席しなかつたのでありますけれども、全国で稍行ハれて居る地方自治の、先づ模範村と言ふべき人々、伊豆の稲取村と云ふ所、それから仙台の生出村、千葉県の源村、此三ケ村の村長・助役、若くハ小学校々長・教員などの人々を招いて、所謂摸範村と云ふことから其功労を表彰したことがあります、[後略]
(『渋沢栄一伝記資料』第29巻p.581-582掲載)



参考:長沢則彦著『模範自治村』 (新公論社, 1905.11)
近代デジタルライブラリー - 国立国会図書館
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/784786