仏語再勉強の軌跡

フランス語の本が楽しめるようにするのが今年の目標

七十路の修羅

2011年、著者74歳の出版です。

雑誌その他に連載していたものをまとめたそうです。仕事その他の身辺の出来事が中心です。

73歳の時に旅先(強羅)で心筋梗塞で死にかけ、手当てが早くて、何とか助かったという経験が詳しい。いわゆる臨死体験はないが、死に対する意識が変わったようです。

53歳の時書いた「死の育て方」では、自分は医師としての判断で脳梗塞・出血で死ぬと思っていた。だから死は、それが来たら考えればよいと書いた。その死は、死ぬとわかってから少なくとも1日、2日はあるとの前提であった。病み、その終着点としての死だ。家族・友人に看取られることもない突然死はあまり考えていなかった。生きているだけの幸せを忘れ、生にも死にも注文をつけすぎる自分は傲慢と思った。死生学は癌死をモデルにし過ぎている。癌死は最も幸運な死だ。

そんなことで、具体的に死の準備を始めたことが書かれています。感想ですが、著者は幸せな人ですね。勿論、本人の努力ですが、精神科医という職業は、まさに、いろいろな人間のよろず相談を引き受けるようなところもあり、真剣に取り組んで生きれば、素晴らしい一生になるでしょう。また、孫からジジと呼ばれ、カブトムシを捕ったという報告を電話で受けることもあります。いろいろ書いたエッセー、職業上の業績、そして、人間という一つの生命種の一員としての使命である子孫も残した。

何も残すものがない自分とは大違いですね。

その他、書いています。原爆投下後の医学調査団による膨大な調査報告書(ノート160冊余に及ぶ膨大なもの)は米軍に差し出され、米軍調査団のものとなった。時が流れ、最近、情報開示された。調査報告の提供は米軍の心証を良くするためであった。実はそのことは、旧満州で人体実験や生体解剖を行った731と絡んでいる。その非道が何故東京裁判をすり抜けたのか?満州で集めた膨大な実験データや資料をそっくり米軍に手渡すことにより特例保護を求める取引が成立したというのが定説。それでも不安で、同じ医学者仲間を救うために、この原爆被害調査報告書も提供された。