古川日出男

 「スローモーション」を読んだ。また過渡期に入ったのか、ただの実験なのか。「アラビアの夜の種族」が好きな人はあまり好まない気がする。ぼくはむしろ最近の文体が好きなのだけれど。「ハル、ハル、ハル」とかもそう。物語がおもしろいのは「アラビアの夜の種族」とか「沈黙」とかなのだろうけれど、言葉がすんなり入ってくるのは最近のものなのだった。
 物語的には筒井康隆の「毟り合い」*1みたいであるともいえるのかもしれないのだけれど、ここで描かれているのは欠落なんだろう。言葉の欠落、文章の解体。実験作っぽいけど、おもしろかった。これが件の執筆中の巨篇にどう飲み込まれるのか、つくづく楽しみだ。

*1:野田秀樹が「the bee」という題名で演劇化、今年英国公演。

ごちゃまぜこんぺ

 何日か前に「名指し感想はたぶん書かない」というようなことを書いたのだけれど、どうにも気になるのがあったので書いてみる。それはNo.16の「《ハジマリ→ハジマリ》」だ。
 「だがちょっと待って欲しい。リーマン君はクラナドやってないのではないのかね。No.16はクラナドも混じっているようだが、それでも感想を書くのかね」と考える方も多いだろうが、ぼくは基本的にネタバレを気にしないし、むしろネタバレ食らってからが本番と考える節もあるので、あまり気にしないのが吉だ。
 とにかくNo.16の「《ハジマリ→ハジマリ》」だ。これは感想ではなくて、本当に気になった部分があったのだった。それは「一人劇」という言葉だ。ぼくは芝居好きで、小劇場が好きだし、コクーンとかパルコの芝居もたまには観るし、歌舞伎だって観る。演劇を志したことはないけれど、戯曲論的なものとか演劇に関する本を読むのも好きだ。ところが、この「一人劇」という言葉は初耳だった。もちろんぼくが知らないだけかもしれない。読んでいて、「何だこれは」と思った。「一人芝居っていうだろ、普通」と思った。
 もしかしたらブレヒトとかスタニスラフスキーあたりがそういう言葉を用いているのかもしれないし、実際、ググってみても2000件以上検索されるのだから、使われない言葉ではないのだろう。でも違和感は残る。あと、芝居の「練習」じゃなくて「稽古」だよな、とか、いつも思うんだけど、本筋とは関係ないし、どうでもいいことだ。ただ気になったから、こうして書いてみただけの話だ。
 ところで、「シンプルな一人劇」という言い方も気になった。一人芝居って基本的に過剰じゃないか。強いエネルギーがないと、ステージ上の空間が埋まらないだろう。一人芝居で「静かな演劇」みたいなのやったら、つまらないんじゃないかと思うんだけど。まあ、それもどうでもいいことだ。
 あとあれよね、「銭形金太郎」というのははっきり書いているくせに、劇団四季とライオンキングは微妙に変えているのが気になった。これが揺らぎというやつか。ちなみにこれはクラナド混じっているので、採点はしませんよ、ハハハ。
 それにしても、見事にどうでもいい部分ばかり気になってしまった。感想でも何でもなく、ただ書きたかっただけ、なので、適当に読み流してくださいね。