『悲しき熱帯』 の冒頭で、”私は旅や探検家が嫌いだ。それなのに、いま私はこうして自分の探検旅行のことを語ろうとしている” と、民俗学者レヴィ=ストロースはやや自嘲気味に書いているが、自分もまた競馬場での出来事をこと細かく記憶に留めることよりは、むしろ馬券が当たることのほうが何倍も望ましいことだと思っている。我が競馬の師であるオケラオーも、”「誰と行ったか」 は覚えていないが、「何が来たか」 は覚えている” という名言を残しているとおり、馬券師とは何処までもクールでドライでなければなれぬものであり、馬券師のささくれた心を慰め支え得るものは馬でも騎手でもJRAでもなく、飽くまでも当たり馬券と明日のレース確定枠順なのである。

それなのになぜ、こうしていつも競馬場に出かけたときの始終をわざわざ仔細に記録しているかというと、つまりそうでもしなければ報われない状況にいつも追い込まれてしまうからなのである。”今日は府中競馬場へ行った。少し儲かったのでそのままタクシーで北海道まで移動。大雪山は美しい……” とか、”今日は府中競馬場へ行った。少し儲かったのでそのままヘリコプターでグァイクルスまで移動。カドゥヴェオ族の刺青は美しい……” とか、本当はそんな風に、さらりと競馬に触れるだけの旅行記が書けるなら、それが一番有り難いのだが、自分の予想は何故か不思議なくらい殆ど当たらないのだ。そのことをなるべく不幸と思わないための、これは何かの代償行為なのかも知れない。

”PM1:00頃を目処に内馬場のいつものところ辺に集合という事でよろしくお願いします。” というメールを頂いたのでそのくらいを目処に家を出る。先週と同じ駅で同じ時刻に武蔵野線に乗ることになったので、目的の電車が来る直前に通過するはずの貨物列車を待ち構えて、デジカメにおさめる。デジカメにおさめる。デジカメにおさめる。先週見たときはうんと長いコンテナ列車だったはずなのだが、今日は短めにタンク車が連なるだけだった。一生懸命にシャッターを押したが、通過する一瞬を捉えたタンクの姿はまるで海底で垣間見る幻の巨大魚の腹のようである。使い物にならない。

JR府中本町駅武蔵野線を降りる。改札を出てから競馬場西門に向かうまでの長い通用路の右半分には、沢山のビニールシートや新聞紙が長々と敷かれていて、その上には可哀想な人たちが疲れきった表情でうずくまっている。たぶん明日のジャパンカップについての何かのために陣取っているのだろうと思うが、馬場の近くまで来ていながら、馬場に入れないというのはやはり何か不条理を感じてしまう。

馬場に入場して、内馬場に向かって降りるエスカレータでパンフレットに目を通していたら、下のほうからY成夫妻に声をかけられた。まことに偶然である。Y成夫人であるN藤女史は、「内馬場のいつものところ辺」 というアバウトな集合指示に対して、携帯電話を持っていないオレさまがどうやって合流するのか心配してくれていたらしい。逢いたいと思うことが何よりも大切だよ、と気取ってみせながら、内心では先週の経験から内馬場は間違いなく閑散としている筈なのですぐに会えると思い込んでいたのに案外にも大混雑していることに動揺しつつ公衆電話が備え付けられてある場所をパンフレットで確認しようとしていた矢先に相手が見つけてくれたのだから、ほらね、やっぱり携帯電話なんか要らない。

地下通路のなかですぐにM野氏にも会えて、ひとまず4名で陣地取りを始める。本当に先週とは違ってもの凄い混雑ぶりである。夏休みの西武園プールくらい混んでいる。さもなくば光が丘公園のお花見くらい混んでいる。さもなくば、まあ、いいか。Y成夫妻が持ってきてくれた2畳くらいはありそうなビニールシートを使わせてくれたので遠慮なく広げて座らせてもらう。彼らのほうはスポーツ新聞紙の上で我慢してくれている。普段のこういうところを競馬の神様は見ているのだろうね。

陣地取りが済むと、Y成夫妻は食料を買い出しに出かけ、M野氏はオッズを打ち出しに出かけた。みんな荷物を置いていったので、自分は荷物番を引き受けたつもりになる。その状態から5分が過ぎ、10分が過ぎ、11分が過ぎ、次のレースの発売締切時刻である13:30に刻一刻と近づいていくというのに、誰も帰ってくる気配がない。まあ、いいか。まあ、落ち着け。この期に及んでも馬券が買えるかどうか、さあそれもまたギャンブルだと思え。間に合えば予想は当たる。間に合わなければ予想は当たらない。きっとそういうことなのだ。そうに違いない。

締め切りまでもうあと5分しかないというところで立ち上がってみると、内馬場の出入口にO田氏の姿を発見した。しめた、O田氏に留守番を代わってもらおう。ここだよ、こっちだよ。心の中で叫んでみる。しかし、O田氏はこちらへ振り向くどころか、周囲を見回すこともせずに、その場で速やかにポケットから携帯電話などを取り出したりしている。そんなことよりこちらに気づいてくれ。熱視線や思念波などを送ってみるが話し中。携帯電話を耳にあててばかり。ほら、僕はここにいるよ。た〜め息だけが、と山崎まさよしも歌っているよ。O田氏を遠くから歯がゆい思いで見つめながら、何度も自分から近づいていこうという衝動に駆られたり。そこへ、Y成夫妻の姿が現われ、3人でこちらへ向かって歩いてくる。がんばれ、早く。思い返せばこのときが、この日のなかで一番何かを応援したときだったのではなかったか。

無事に馬券を買い終わって、ビニールシートに腰かけて発走を待っていると、ふいにM野氏が今日は是政から来たのだと言う。へえ是政ですか。そう。JRですね。いや西武線。ああ知ってます萩山駅とかある線でしょ。無かったなあ。線路に沿って桜が綺麗に咲くやつ。うんまあ桜はたいがい何処にでも植わっているね。そうか分かった西武遊園地駅があるやつだ。いや多摩湖線じゃなくて多摩川線。知ってますよ緑色の線でしょ。緑色だったかなあ。いや車体が緑なのではなくて路線図に緑色で書いてあるヤツ。うん、まあいいや。

そうこうしているうちに8RでM野氏の馬券が的中し、それとは無関係に今回のツアー主催者であるY山さんが押取り刀で出現。一瞬、二人引きでイレ込んでいる競走馬が現われたかと思ったが、よく見ると二人の小さなご子息を引き連れたY山さんだったのである。ははあ、”子連れ狼” 作戦ということか。そういえば公儀介錯人拝一刀が携えていたのは ”斬馬刀” と言われる戦場用の胴太抜きだったな。その刀で、ヴァーミリアンでもドラゴンファイヤーでもバサバサ斬捨御免ということか。うーむ。いまこうして改めて周囲を見回してみれば、あちらこちらに無数の子連れ狼たちが、目に見えない無数の乳母車をコロコロ押しておるではないか。無邪気に野を駆ける大五郎たちも、よく見ればすでに何かを覚悟したような表情をしているようである。確かにここは戦場なのだ。Y山氏の二人の大五郎は、たちまちY成夫人と意気投合したようで、「パパ、いつも当たらないから心配だ」 とか、「パパが応援すると必ず負けるんだ」 とか、「なに買うの?」 とか、いろいろ悩みを聞いてもらっていたようだ。良かった。

9Rはハズレ。10Rでワイドが的中。静かに悦ぶ。残念ながらハズレてしまったセンギョウシュフの単勝馬券は、予定どおりK山女史へのお土産とする。これだけでもう本日の目的の半分は完了した。もう半分は、M川女史のためにヴィクトリーの単勝馬券を忘れずに買うことである。

その本日のメインレースであるジャパンカップダート(G1)のパドックをいつの間に見てきたのかO田氏が、ヴァーミリアンの馬体が際立って良くみえた、と興奮しながら内馬場に戻ってきた。O田氏がそれほどまでに推すのだからとにかくヴァーミリアンは来ない、というのが仲間内で等しく了解するところとなる。いまにして思えば、パドックを観にいったのがO田氏でなかったならと、そのことばかりが悔やまれる。

どういうわけか、あまりレースには興味が湧かない。あるいは逃避モードに突入していたのかも知れないが、ほどほどの予想でほどほどの馬券を購入した後は、色とりどりに掲げられた外国の旗や、いつにも増して整然と歩く誘導馬の美しさや、スタンドを埋める夥しい数の観衆の果てしなく続くパノラマに見惚れつつ、忙しくデジタルカメラのシャッターを押しながら ”シャッター” という呼び方はデジカメの場合は少し違うのではとそこはかとない違和感を覚えつつまたシャッターを押しながら ”コピペ” で良いのではないかとふと気がついてさらに世界はいまも無数のデジタルカメラの小さなディスクへとコピペされ続けているのだという幻想に憑り着かれコピペ!コピペ!コピペ!と叫びながらいわゆるシャッターを押し続けているうちにいつの間にかレースが終わってしまった。大方の予想に反してO田氏の馬券が的中し、自分の馬券がハズレてもまだ、表彰台に立つ武豊の後ろ姿や、忙しく引き回されるG1馬の艶めかしい裸体や、満足げに去り行く報道記者達の後ろ姿を撮り続け、ふと振り向いたら我が友人たちが、畳み終えたビニールシートを抱えたまま黄金色の夕陽を浴びながら、オレさまの正気に戻るのを辛抱強く待っていてくれたのだった。そのまま彼らを無視してもう少しのあいだ監視塔だのゴミ箱だのの写真を撮り続ける。

Y山父子とは競馬場で別れ、残りのメンバーで新宿まで移動。おでんにしましょうというY成君の勧めに従って、新宿西口のおでん屋で2時間ほど反省会。一旦解散したのち、さらにオケラオーと二人で池袋まで戻って第二次反省会。ぐでんぐでんに酔って帰宅。妻に叱られて一人で静かに反省会。