「八紘一宇」の解釈

この「八紘一宇」とは、簡単に言えば、「ひとつの家族のように仲良く暮らして行ける国にしていこうではないか」ということなのですが、昭和13年に書かれた「建国」という書物によりますと、

『八紘一宇とは、世界が一家族のように睦(むつ)み合うこと。一宇、即ち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない。一番強いものが弱いもののために働いてやる制度が家である。これは国際秩序の根本原理をお示しになったものであろうか。現在までの国際秩序は弱肉強食である。強い国が弱い国を搾取する。力によって無理を通す。強い国はびこって弱い民族をしいたげている。世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。日本は一番強くなって、そして天地の万物を生じた心に合一し、弱い民族のために働いてやらねばならぬぞと仰せられたのであろう。』ということです。

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この「建国」という書物は清水芳太郎というマイナー人物が書いたもの。さて日本書紀神武天皇条のどこにそんなことが書いてあるのかといえば、少なくとも俺には全くそんなことが書いてあるようには見えないのである。

世界中で一番強い国が、弱い国、弱い民族のために働いてやる制度が出来た時、初めて世界は平和になる。

などという話がどこから出てきたのか非常に悩むのだけれども、考えた末におそらくこれは

上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心

から来ているのではないのかと推測するのが妥当ではないかと思う。というのも、類似の解釈をしているものがあるからである。

(略)

上の者は国を授けた徳にこたえ、下の者は皇孫の正しき心を養わなければならない。そうすれば国中が一つになり、周囲すべてが一つの家のようになる。畝傍山の東南、橿原の地を国の中心として治めるべきだ」。この月命が下され帝宅の造営が始まった。


 つまり八紘一宇とは、政治に当たるものは皇徳を実践し、人民のための政治を行い、人民は正しい心を養うことで、国中が団結することができる、ということを言っている。

歴史と日本人―明日へのとびら― : 日本書紀より―八紘一宇の意味―


「上の者」を「強い国」、「下の者」を「弱い国」とすればほぼ同じ意味になるだろう。


しかし、

上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心

をそう解釈するのは、かなり無理があると言わざるをえない。


ここでいう「上」とは、神武天皇自身のことではなくて、神武天皇からみて上の存在、すなわち「天」を指していると解釈すべきでしょう。つまり、「上則答乾霊授国之徳」とは「上は天神が皇孫に葦原中国を授けたもうた徳に答え」という意味でしょう。


とすれば「下則弘皇孫養正之心」もそれに対応するものでなければならない。すなわち「下は地上の人民に皇孫が天神から命じられた正当な王だという正しい道を知らしめ」という意味になるであろう。


したがって大正期以降に登場してた「八紘一宇」というのは、本来の意味とは全く違ったものだと言わざるをえないのである。