なんかすでに今日の記憶がない。記憶力ってのはきっと忘れることも記憶力なのであって、確か小学校中学年ぐらいの時に読んだ緋色の研究だかなんとかっていうシャーロック・ホームズって人が主人公の小説に書いてあったと思うんだけど、「俺は推理以外のことは一片たりとも覚えないし見ない聞かない」とかトチ狂ったことを言ってたような気がする。要は余計なことを覚えてても弊害にしかならないっていう詭弁だな。
効率的に忘れることも、確かに記憶力増強には資す。出された情報の中で何が重要かの取捨選択さえしっかりしてれば。つまり、選択肢の数を減らすんだよね。
でも本来的には違うよねー。屁でもない連休中の1日に何してたかなんてのは確かに捨てていい情報だけど。

今日、本屋である本を立ち読みしたときに「朝食は体に悪い」みたいなことが書いてあって、割とすんなりと頭が同調してしまった。
これはスポーツやってたこととも関係があるかもしれない。ちょっと前まではよくプールに泳ぎに行っていたのだけど、仕事から帰ってきて泳ぎに行こうかという時に、食事の支度がしてあって、いや、泳ぎに行くから食えない、っていうと「食ってから行けばいいじゃん」ってなんで食ってから泳げんだよ?!
食べてすぐ動くことってのは別に推奨されてるわけじゃないけど、あんまり意識的に排除されてるわけじゃないんだよな。僕はほんと、食ってすぐってのは動きたくないわけだけど(体を垂直にしておきたい。胃が働いてくれるように。)、昼休みに卓球やったりしてる先輩もいて、よくそんなことできるな、って思う。
よく考えれば、朝もそうなんだよね。どう考えたって、活動が始まる時間。本来食後は消化のために安静にしてなきゃなんないのに。
それがどうして今までは「朝食は健康に良い」のオンパレードだったのだろうか?少なくとも「食ってすぐ動くのは良くない」って視点はあると思うのだけれど。
立ち読みした範囲だけども、朝ってのは前夜の食事が消化されていて、エネルギー的には満ちている状態だという。だから朝食抜きでも活動に支障はない。さらに昔は日本でも1日2食の時代が長く続いていた。相撲取りも2食だ、等々。
かといって今まで長く続けてきた習慣を変えるわけにはいかんし、そもそも食事自体は母がコントロールしているので(本来はもっと自分でコントロールすべきかもしれない。お金に関しても夫が妻に財布を預けるやり方はマズいっていうか怖いと思うので。)明日から朝食をやめれるわけでもない。ただ、そういう考えがあるということは頭に刻んで、少なくとも朝は余裕を持てるように(現時点では朝食終了後30分ぐらいでチャリに乗っている)したい。うわー、そういえば最近は職場で余裕を持つために、家での余裕を減らしたんだった。

とりあえず検索とかしてみた。

「裸のサル」の幸福論 (新潮新書)

「裸のサル」の幸福論 (新潮新書)

デズモンド・モリスって人は有名なので、どんなこと言ってんだろ、と思って買ってみたわけですけども。
進化とかサルとかそういう系統の本を読んでる時に頻出した名前だったと思ったけども、単に過程として出ただけだったのかな。なんというかすごく古い印象で、同一化することはできなかったな。
著者は人間のことを狩猟民族だって強調するのだけれど、あんまり狩猟民族的な部分を強調する人って最近見てないんだよな。どっちかというと採集がメインだってのを見たような。
だから狩猟本能の充足が幸福だって言われると疑問符。なんか西洋っぽい考えのような。基準となるべきなのは西洋も東洋もないもっと昔の人類(から僕らは遺伝的にはほとんど変わってないみたいなので)なのだから、そういう現在のイメージが差し挟まれる余地もないよね。
あと記述が簡単すぎて何も底に敷いてない気がした。この人のバックグラウンドはよくわからないけど、研究の成果ってよりは思索の賜物って感じで。
とりあえず、うすーく参考にしとこう。