『狼と香辛料(3)』の、少し時機を逸した感想文

狼と香辛料 (3) (電撃文庫)

狼と香辛料 (3) (電撃文庫)

あらすじ

ロレンス君とホロさんは、恋愛関係にも依存関係にもないが互恵関係にある旅の仲間。きょうも二人は手に尻尾を持って清く慎ましく北の街クメルスンの冬の大市を目指す。そんな彼らの、この冬の関係を左右するのは<魚商人アマーティ>――? 前回手ひどい目に遭ったばかりというのに、気がつけばのるかそるかの大勝負に出る必要に迫られるロレンス君は果たしてホロさんの心を繋ぎ止めることができるのか? 大好評『狼と香辛料』シリーズ第三弾。

この文章を読む人への注意

ここから先はあなたが『狼と香辛料』シリーズ既刊3巻の内容を予め知っているということを前提として書きます。また、この先を読んでもあなたの人生にも勉学にも仕事にも恋愛にも全く何のプラスにもならないことをお約束します。
あなたには、この先を読まないという選択の権利が与えられています。
あなたは、ここで引き返す勇気があるかどうかを試されています。
もしあなたが、以下の条件の1つでも「ひょっとしたら自分に当てはまるかも」と思い当たる節があれば、このままよそのページに移動するかブラウザを閉じるかして、さっさと立ち去るのが賢明です。

  1. 狼と香辛料』の1巻を読もうと思っているが、まだ読み終えていない。
  2. 狼と香辛料』の2巻を読もうと思っているが、まだ読み終えていない。
  3. 狼と香辛料』の3巻を読もうと思っているが、まだ読み終えていない。
  4. 狼と香辛料』の4巻を書こうと思っているが、まだ書き終えていない。

















……ここまで書いて1週間以上放置していた。
ダメだ。
行き詰まった。
先が続かない。
とりあえず、「なぜ『狼と香辛料(3)』の感想文が書けないのか」ということについて書いておこう。当然のことながら、モロに自分語りになるので、そういうのが嫌いな人はさっさと立ち去ってほしい。読むだけ読んでから「練炭って自意識過剰だな」とかコメントするのは勘弁してください。

二度ある挫折は三度ある

ライトノベルの分野で今年デビューした新人作家のうちで、支倉凍砂ほどネット上でもてはやされた人物はおそらくほかにはいないだろう。当然、『狼と香辛料(3)』も出版即絶讃の嵐となるのが目に見えている。そんな中でふつうの感想文を書いても面白くないので、最初からネタに走るつもりだったのだが、もうちょっとのところで頓挫してしまった。その事情はここで書いたとおり。
その後、気を取り直して、発売日*1に入手して、その翌日には読み終えた。面白かった。
さて……。
ただ「面白かった」と書くだけでは面白くないので、ここはやはりネタに走るという当初の方針を貫くべきだろう。だが、この内容からどんなネタ感想をでっち上げることができるだろうか? すぐには思い浮かばなかったので、再読してからぼちぼち考えよう、と思った。
そこで二回目の挫折が訪れた。そのまま何事もなく再読していればネタにできたはずの話題があったのだが、それに気づく前にとある事情により書けなくなってしまったのだ。その「とある事情」というのはとことん個人的な話で、背景から説明すると長くなるので省略するが、ともあれこのネタはボツにすることにせざるを得なくなった。
そうこうするうちに、予想通りあちこちの人々が『狼と香辛料(3)』の感想をウェブにアップするようになり、あれよあれよと言う間に大絶讃の嵐が吹き荒れた。その嵐に対抗できるだけのネタを、読む人すべてをギョッとさせるすごいネタを……と考え込むうちにどんどんドツボに陥ってしまった。
上の「あらすじ」はその頃七転八倒しながら書いたものだ。この程度のネタでも発売前にアップしていればそれなりに受けたかもしれないが、今となってはインパクトが弱すぎる。抱き枕くらいにしか使えない。
そんなどん底の時期に、ふと閃いたネタがあった。ネタというより切り口と言ったほうがいいかもしれない。みんなが読み、みんなが褒める『狼と香辛料(3)』をちょっと違った観点から見れば、別の評価が考えられるのではないか。その切り口とは、ズバリ、寝取られだ。
「『狼と香辛料(3)』は寝取られ小説の系譜に属する小説である。しかし、その寝取らせ性は十分に展開されていない。寝取られ小説くずれに過ぎない。これではいけない。こんなことでは寝取られの偉い人を十分に満足させることはできない。もっと激しく、強酸が胃壁を灼くような寝取られを!」というような感じで、言いがかりと難癖の技巧を凝らして罵倒しまくれば、少し毛色の変わった感想文になるだろう。うん、よし、これでいこう。
俄然、やる気を出していろいろと考えを巡らせた。文体模写がいいか、それとも文体にはこだわらずにネタの力で押し切るか。持ち上げてから落とすほうがいいか、徹底的に罵倒しまくるほうがいいか。あれこれと迷いは尽きず、なかなか書き始められない。そうこうするうちに、三度目の挫折を迎えることとなった。
いや、当の本人が寝取られの観点から『狼と香辛料(3)』を読んで「十分楽しめました」と書くとは予想していなかった。
かくして、すべてのネタが失われ、あとに残されたのはホロだけとなった。
ああ、ホロが耳と尻尾をパタパタと振っている。そうだ、ネタに走った感想文を書こうなどと考えたのが間違いだった。というか、そもそも読書感想文なんか一文の得にもならない。そんな時間があればホロと遊んでいればよかったんだ……。

脳内妄想が続いている最中ですが、ここでちょっと回想を

以前、平和氏に用事があって電話をしたときに、ちょっとした軽いジョークのつもりで「今、隣でホロが耳と尻尾をパタパタと振っているんですけど」と言った。「目を覚ませ、それは抱き枕だ」というツッコミを期待していたのだが、平和氏は「ああ、そうですか。ホロさんによろしく」と冷たく言い放ってさっさと電話を切ってしまった。
この世の中に、適切なツッコミを入れられずに取り残されたボケほど寒々しいものがあるだろうか。いや、ない(反語)。
回想終わり。

そろそろ脳内妄想から目覚めたようなので、素直な感想をちょっとだけ

前巻の感想文の<『狼と香辛料』は1巻もそれなりに面白かったが、2巻はさらに面白くなった。支倉凍砂はデビュー2作目にして「化けた」。>という小見出しをつけた節で次のように書いた。


なお、2巻でも後半でロレンスは身体的危機に見舞われ、ちょっとした活劇シーンが繰りひろげられる。そのあたりは1巻と似ている。ただ、1巻ではホロの立ち回りが作品全体の山場となっていたが、2巻ではサスペンスを盛り上げるというよりも、ホロとロレンスの関係を掘り下げるという意味合いを帯びている。むしろ特に派手な動きのない商人同士の会話シーンで緊張感が高まる。このような緩急のメリハリの付け方は非常にうまい。支倉凍砂が2巻で化けた、というのはこの事を指している。
もっとも、まだ完全に化けきったとは言えない。耳と尻尾がちらほらと見え隠れしている。なるほどロレンスは「希望」という名の船に乗り込みはした。けれどまだジャンケン勝負はしていない。それは3巻以降の課題となるだろう。
自分で読み返してみても「なんでこんなにわかりにくく回りくどい書き方をしているのだろう?」と不思議に思うくらいだが、書いてしまったものは仕方がない。ここで「ジャンケン勝負」と言っているのは『賭博黙示録カイジ』の「限定ジャンケン」のことで、切羽詰まった状況下で繰り広げられる知的心理戦の喩えだ。
で、3巻はまさにその知的心理戦の息詰まるような緊張を描き出している。「課題」は達成された! あとはそこそこ失敗のないように無事着地することを祈るばかりだ……というふうに考えるのが首尾一貫した態度なのだろうが、読者というのは身勝手で貪欲な生き物なので、期待を裏切られない出来映えの小説を読むと次はもっと面白いものが読みたくなるのだ。たとえば、2巻で登場したノーラが再登場して「恋の鞘当て魔のトライアングル」とか、ニョッヒラの温泉で「嬉し恥ずかしお風呂でドッキリ」とか、ホロが身動きできないときに代わりにロレンスの手助けをするミニサイズの「ちびホロ」とか、そういった「課題」が次から次へと思い浮かぶのだが、だんだん『狼の香辛料』の世界とはかけ離れた何か別のものになってしまいそうな気もするので、これくらいにしておこう。
この調子だと、今後おそらくさまざまな大人の事情により、ホロのヨイツ帰還は遅延されることになるだろう。「林檎の赤、空の青」の感想文でも書いたことだが、支倉凍砂は特に内容のない話でも面白く書く力量がある人なので、今後のストーリー展開にはさほど不安はない。文章面の弱点もかなり克服されていて、もうほとんど拙さを感じることはなくなっている。読む者を酔わせる詩的な美文でこそないが、対象をよく捉えた良文をよく読むと独特な味わいがある。たとえば、91ページ。

道を歩くバトスの体は棺桶を少し縦から潰したような安定感のあるもので、ウニ棘のような無精髭が生えている顔は風と砂埃に鍛えられたなめし革のようだ。握手をした右手ものんびり馬車馬の手綱を握って日々を過ごすようなものではなく、年中重いものを持っていることがすぐにわかるほど。
こうやって引用してみると、特段奇を衒っているわけではないし、誰もがはっとするほど印象深い描写がなされているわけでもないのだが、バトスという人物の存在感が非常に厚みをもったものとして感じられる。むろん、これはただの一例に過ぎない。
2巻の感想文の段階では、支倉凍砂は会話文を書かせるとうまいが地の文は今ひとつだと評価していたが、そろそろ撤回したほうがよさそうだ。
こうやってみると、「支倉凍砂の向かうところ敵無し」という気もするのだが、さすがにそこまで断言してしまうのは時期尚早だ。『狼と香辛料』以外にどのような小説が書けるのか、そしてその時に示される作風の幅の広がりはいかほどなのかがまだ未知数なのだから。
もし支倉凍砂が別媒体、たとえばミステリ・フロンティアに進出したらどんな小説を書くだろうか。米澤穂信桜庭一樹と肩を並べる傑作を物するだろうか、それとも……。まあ、今の状況では実現の可能性はほとんどないだろうが、そんなことを空想してみるのも楽しいものだ。

*1:正式な発売日は10/10だが、三連休の関係で10/6には出ていた。もっと早く売っていた店もあるらしい。