そろそろ『ばけらの!』と『狼と香辛料』について誰も言わなかったことを言っておくか

ばけらの! (GA文庫)

ばけらの! (GA文庫)

おことわり

今回の見出しには誇張表現と誤解を招く言い回しがそれぞれひとつずつあります。

誇張表現
「誰も言わなかったこと」と書きましたが、本当に誰も言わなかったかどうかは定かではありません。ネット上の感想文を適当に流し読みした程度では見あたらなかったという程度の意味でしかないのでご注意ください。
誤解を招く言い回し
「『ばけらの!』と『狼と香辛料』について」という言い回しから、両者の関係がテーマだと誤解するかもしれませんが、そうではなく、それぞれの作品を別々に取り上げます。

なお、以下の文章は『ばけらの!』及び『狼と香辛料IX 対立の町<下>』(とそれ以前の巻)の内容に触れています。これらの作品を未読の人にとって興味深いことは何も書いていないので、既読の人だけ続きを読んでください。

本題の前に

さっき、上の紹介リンクを張るために「はまぞう」で検索語「ばけらの」で検索*1したら、こんな結果*2になった。

『ばけらの!』における時間のねじれ

『ばけらの!』の目次には第一話から第四話までのサブタイトルが記載されているが、実はその後に「あとがき」と称する後日談がある。「あとがき」とはいえ、これは小説の一部であり、本当のあとがきではない。その証拠に「あとがき」の後に「本当のあとがき」という見出しの本当のあとがきがある。
本当のあとがきはさておき、小説内の一章であるところの「あとがき」に目をやると、その末尾には

二〇〇八年七月 杉井ヒカル

と記されている。すなわち、『ばけらの!』の登場人物であるライトノベル作家、杉井ヒカルが、作中時間で2008年7月にこの「あとがき」を書いたということが示されている。しかるに、この「あとがき」で語られているのは「九月も半ばの夕暮れ」から夜にかけての出来事だ。ということは、この「あとがき」は、それが書かれた時点からみて未来のことを書いているように思われる。
もっとも、「あとがき」の文中では何年の「九月」なのかが明示されていないため、たとえばこの小説の作中時間は2007年1月から9月までだと強引に解釈できるのではないか? だが、いずれにせよ、本のあとがきにその本が出たあとのことが書かれているというのはおかしい。従って、「あとがき」を含む『ばけらの!』全体が、作中の杉井ヒカルが仲間内のエピソードを書き留めた実録小説の体裁をとっている、という解釈は成り立ちそうにない。
にもかかわらず、ネット上の感想文をざっと見たところ誰もこの時間のねじれについて言及していない。これは非常に不思議なことだが、いちおう、考えられる可能性をいくつか挙げておこう。

  1. 時間のねじれに気づかず、素直に読み通した。
  2. 時間のねじれには気づいたが、取るに足らないことだと思って割愛した。
  3. 取るに足らないことではないと思ったが、どうせ誰かが既に指摘しているだろうと思い、触れなかった。
  4. その他、事情があって言及できなかった。

もちろん、この4つの場合分けにおさまらない事例もあるだろう。たとえば、自分自身の感想文の場合だと、2が半分、3が半分という感じだつたと思う。今から振り返ってみると、この時間のねじれは当初軽くみていたよりも興味深いし、上で書いたように、言及例が見あたらなかったので、ここで取り上げてみた次第。
本当は『ばけらの!』の時間のねじれについて、整合的で無理がなく、面白くて作品理解に資する解釈を提示できればよかったのだが、これらの条件を満たす解釈はなかなか思いつかない*3ので、とりあえず問題だけ提起しておいた。

狼と香辛料』のヒロインの交替

狼と香辛料』は4巻あたりから間延び感が強くなり、迷走状態が続いていた。本来なら、大人の情事でもってさっさとケリをつけてしまえばいいはずなのに、おそらく大人の事情によりそれがゆるされず、あたかも「終末の遅延」に翻弄される某世界宗教のように迷走しつつ人気を獲得するという皮肉な状況に陥っていた。
その混迷が頂点に達したのが、8巻と9巻の「対立の町」だ……と思いこんでいたので、その反動で9巻を読んだとき『狼と香辛料IX』は意外なことに傑作だった!などという文章を書いてしまった。でも、他の人の感想文を読むと、意外と評判が悪い。いや、意外でもないか。
多くの人が指摘しているのは、第一に商売に関するネタやそれに関わる人間関係がややこしすぎて理解しづらい*4というものだった。これはまあわからないでもない*5
ただ、かなりの人が欠点として指摘したもうひとつの点については異論がある。それは、ヒロインであるホロの見せ場が少ない、というものなのだが……。
「対立の町」の構造を素直にみれば*6、零落した漂泊の姫君をヒロインとした一種の貴種流離譚であり、危機に陥った弱き者を智慧と勇気に溢れた勇者が救い出す英雄譚でもある。すなわち、「対立の町」とは徹頭徹尾、エーブとロレンスの物語なのだ。ホロの見せ場が少ないのは、単にホロがもはやヒロインの座に就いていないからにほかならない。
谷川流の「涼宮ハルヒ」シリーズのヒロインが『涼宮ハルヒの消失』以降、実質的に長門有希に交替したように、『狼と香辛料』のヒロインの座は「対立の町」をもってエーブによって占められることとなったのだ。
ただし、「ハルヒ」の場合には本のタイトルに必ず旧ヒロインの姓名が入るが、『狼と香辛料』の「狼」は人名ではないため、よりヒロインの交替が円滑に進むことに注意されたい。エーブのことを人々が「狼」と呼ぶ*7のは偶然ではあるまい。
次巻以降でエーブがロレンスの私生活上のパートナーとなるかどうかは不明だ*8が、今後ともメインヒロインとして大活躍することは間違いない*9。そしてホロにはせいぜいロレンスのセイフティネット程度の役割しか与えられないことだろう。

おわりに

ここまで書いてから思ったのだが、やっぱり『ばけらの!』の話と『狼と香辛料』の話は分けて書いたほうがよかったかもしれない。

追記(2008/09/20)

狼と香辛料』のヒロインの交替については、ここで異論が提起されているので、興味のある人は参照されたい。

*1:検索先にAmazonを指定し、和書で絞り込みした。

*2:2ページめ

*3:たとえば、後日談に「あとがき」という見出しをつけたのは単なる作者のミス、などという解釈には無理はないけど面白くもないので全然ダメ。

*4:ややこしいと言っても山沢晴雄ほど難解ではないのだが、大部分のラノベ読者はハードパズラーを求めて『狼と香辛料』を読んでいるのではない。

*5:銅貨の箱の話のときにも思ったのだが、人間関係とか取引のシステムとかも、できれば図解入りで説明してほしいと思う。

*6:それまでの『狼と香辛料』シリーズの流れを受けているので、「対立の町」だけ切り出して読んでみろと言ってもなかなか難しいとは思うが。

*7:ホロだけは「狐」と呼ぶ。

*8:大人の事情があるので、たぶんそうはならないような気がする。

*9:ただし、「間違いない」という判断が間違っている可能性は十分にあり得る。