古代ローマに循環濾過装置が設置される日は来るか?

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

テルマエ・ロマエ I (BEAM COMIX)

最近、読んだ本の感想をほとんど書かなくなったこともあり、このマンガについても言及していなかったのだが、さっき『テルマエ・ロマエ』のキケンな「トンデモ優越感」 | 考えるための書評集を読んでふと思い出したことがあるので簡単に記しておこうと思う。
テルマエ・ロマエ』の面白さにはさまざまな要素が含まれるが、古代ローマ人現代日本人のディスコミュニケーションが生み出す蒟蒻問答的面白さがかなりのウェイトを占めるのではないか。その意味ではこのマンガは『暴想処女』によく似ているのではないかと思うのだが、たぶん同意してくれる人は少ないだろう。
ただ、読後すぐの感想は蒟蒻問答とも『暴想処女』とも関係ない。「ああ、これは読者の優越感をくすぐるタイプの物語だなあ。タイムスリップものだと『紺碧の艦隊』に似ているかも。でも『紺碧』に比べるとネタが風呂だけに害はないよなぁ」と思ったのだ。
しかし、しばらく経ってこう考え直した。「いや、風呂ネタだから害はない、と言っていいのか? このマンガは現代日本の風呂は古代ローマより優れたものだという思想が基調となっているが、必ずしもそうは言えないのではないか。たとえば、温泉はどうか。地中1000メートル以上の地層から無理やり汲み上げた湯に浸かって『いい湯だな〜』などとのんきにくつろぐ現代日本人は古代ローマ人より進歩しているのだろうか? むしろ文明の退廃というべきではないか。『テルマエ・ロマエ』は現代日本が抱えている問題を隠蔽し、現状を無批判に肯定することにならないだろうか」と。
むろん、現代日本の病理現象は温泉だけではなく一般の家庭風呂や公衆浴場にもいくつもの問題があるのだが、多くの人は病理を病理として認識はせず、「当たり前」のこととして見過ごすか、逆に好ましいもの、望ましいものと捉えているように見受けられる。『テルマエ・ロマエ』は古代ローマ人を主人公に据えているのだから、現代日本人の思い込みを鋭く突き、冷水を浴びせかける*1ようなエピソードがあってもいいと思うのだが……まあ、無理でしょうな。
と、そこまで考えたところでどうでもよくなってしまい、それ以上考えを進めるのをやめてしまったのだが、

テルマエ・ロマエ』では現代日本の風呂文化が古代ローマより優れていて、先進であると対比され、ローマ人は現代日本にしじゅう教えを乞うという優越感をくすぐられる内容になっている。しかしローマ人はわたしたちとおなじ価値観や発想、感覚をもっていたとほんとうにいえるだろうか。かれらはほんとうに劣っていたのか。わたしたちのモノサシや測り方で通用するものだろうか。わたしたちが優れていて、先進であるというのは私たちの勝手な発想、手前ミソな序列でしかないのではないか。だれか知らない文化や価値観の人にいきなり「おまえたちは劣っている、愚かだ、笑いものだ」とけなされるようなものだ。

という一節を読んで、もう少し深く考えておくべきだったかと反省した次第。
ただし、風呂文化の話を超えて、文化一般にまで射程を広くとってしまうとテルマエ・ロマエ』評としては若干公平を欠くように思われる。

*1:比喩表現です。念のため。