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ディスコミュニケーション

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マンガ

ディスコミュニケーション

でぃすこみゅにけーしょん

植芝理一のマンガ作品。

不思議な少年「松笛篁臣」と、彼をなぜか好きになってしまった少女「戸川安里香」が織りなす“摩訶不思議恋愛漫画”。テーマは「どうして私は松笛くんのことを好きになったんだろう」。通称「ディスコミ」。

概要

植芝のデビュー作で、「月刊アフタヌーン」にて1992年2月号から2000年11月号にかけて連載された。コミックスは本編13巻、学園編1巻、精霊編3巻の合計17巻。本編は初期エピソード群、冥界編、学園編、内宇宙編に分かれている(新装版では初期エピソード群は「冥界編」にまとめられている)。

当初は主に松笛の不思議な要求や言動に戸川が振り回されるという1話完結型のストーリーだったが、2人が冥界を旅する「冥界編」で一気に精神世界を舞台とした長大な物語へと変化。その反動から「学園編」ではゲストキャラクターを交えて一気にコメディ色が強くなったが、学園編の後半では徐々にシリアスなエピソードに移行した。その流れから、続く「内宇宙編」で再び、連載初期に似た松笛と戸川の2人による1話完結型の内省的なストーリーへと帰着。内宇宙編の後半では、またしてもゲストキャラクターを交えた明るめのエピソードが増えていった。

最終エピソード精霊編」は植芝の次作「夢使い」の三島塔子や三島燐子らが中心人物として登場しており、世界観も「夢使い」のものに近づけられている(ただし、「夢使い」との直接的なつながりは無く、設定は「夢使い」の段階でリセットされている)。植芝は精霊編を「キツネのお面の少年からキツネのお面の少女への、主人公の継承の物語」と表現している(キツネのお面の少年とは松笛を、キツネのお面の少女とは塔子を指す)。

オカルト精神世界心理学民俗学などの要素と、YMOに代表される植芝の趣味が渾然一体となってストーリーや背景に込められている。特に背景の書き込みは尋常ではなく、本作の大きな特徴の1つといえる。

1996年にはドラマCDが制作された。また、主役の2人(戸川と松笛)は、2012年に植芝の作品「謎の彼女X」9巻の初回限定版に付属していたOAD(オリジナル・アニメーション・ディスク)にゲスト出演している。キャストはドラマCDと同じ。

2012年10月から新装版(全7巻)が順次刊行された。旧版で単行本未収録だった内宇宙編の「眠り姫」「芝田教授の家庭の事情」「桜に願いを」の3エピソードも6巻に収録されている。

コミックス

新装版

新装版 ディスコミュニケーション(1)冥界編1 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(2)冥界編2 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(3)冥界編3 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(4)学園編1 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(5)学園編2 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(6)内宇宙編 (KCデラックス アフタヌーン) 新装版 ディスコミュニケーション(7)精霊編<完> (KCデラックス アフタヌーン)

旧版

ディスコミュニケーション(1) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(2) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(3) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(4) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(5) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(6) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(7) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(8) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(9) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(10) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(11) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(12) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション(13) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション学園編 (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション精霊編(1) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション精霊編(2) (アフタヌーンKC) ディスコミュニケーション精霊編(3) (アフタヌーンKC)

ゲスト参加

謎の彼女X」9巻 初回限定版に付属のOADに戸川と松笛がゲスト出演。キャストはドラマCDと同じ。

DVD付き 謎の彼女X(9)限定版 (アフタヌーンKC)

一般

ディスコミュニケーション

でぃすこみゅにけーしょん

 コミュニケーションがとれないという意味の和製英語。対人コミュニケーションの不全状態のこと。英語では miscommunication。ただし否定をあらわす接頭辞のために dis-communication と表現しても意味が通じないことはない。

 日本語でのディスコミュニケーションは、鶴見俊輔(1922-)がはじめに使い始めたといわれる。植島啓司伊藤俊治は1988年に同名の本(『ディスコミュニケーション』)を出版している。また植芝理一(1969-)による同名のマンガ作品(1992-2000)がある。ただし後者の作品にはディスコミュニケーションの意味についての解説はない。池田太郎『ディスコミュニケーションを生きる』(2005)という著作があるが、これは現代人の対人コミュニケーションの不全状態についての論評であり、ディスコミュニケーションそのもの理論的解明を試みたものではない。

 大阪大学コミュニケーションデザイン・センター臨床コミュニケーショングループは「あることを理解するということには、認識知の他に、臨床コミュニケーションにもとづく臨床知や実践知という別種の「知」があるにもかかわらず、この事実が忘れられているのです。このような「知」の不十分な理解にもとづくコミュニケーションの失敗や不全を、私たちはディスコミュニケーション(dis-communication)と呼んで」いると、この言葉を定義している(出典:http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/050531discom.html)。

 それに対して同グループのメンバーの1人池田光穂は上述の定義とは別の定義、すなわち「ディスコミュニケーションは、コミュニケーションの不全や不能状態のことをさすのではなく、反コミュニケーション、矛盾コミュニケーション、ゼロ度のコミュニケーションということを想定している。つまり、コミュニケーションの概念で捉えられることは、コミュニケーションがある/ない、よい/わるい、同一の価値体系のなかで判別される概念をさしている。これに対してディスコミュニケーションは、そのような数直線上の概念でとらえない、ゼロ度の状態をさしている」と言っている(出典:http://www.cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/080616miomio.html)。

 次の文献も重要である。

栗原孝「歪められたコミュニケーションコミュニケーションの隠れた次元」『亜細亜大学国際関係紀要』第12巻第3号所収,2003年(http://www2.asia-u.ac.jp/~kuri/sub1/sub2/sub3/dcom&tacitdimension.htm