幻想飛行/ボストン

tsuchiya70s2006-08-17

 夏休み。夕食の買物に妻とつき合い、時間つぶしに書店に立ち寄るとまず目に入る雑誌コーナー。久しぶりに買ってしまいました「ギター・マガジン9月号(700円)」。表紙はエリック・クラプトン。でも、それよりも目を引いたのが、今月の「Featuerd Guitarist」『トム・シュルツ(ボストン)』。。。
 多感なローティーン時代。となりに住んでいた幼なじみのお姉ちゃんの部屋から聞こえてくる「ビートルズ」。『世の中には「ザ・ベストテン」以外にも素晴らしい音楽があるんだ』ということを痛感した私は「ロック」にはまり、「エレキ・ギター」の購入に向けて邁進(?)することになります。
 小遣いとお年玉を貯めて初めて買ったエレキ・ギターはグレコ神田商会)の「レス・ポール・ゴールド・トップ(もどき)」。つまりは当時トム・シュルツが使っていた「ギブソンレスポール・ゴールド・トップ」のコピー版でした。
 トム・シュルツという人は、ノーベル賞受賞者世界一を争っているMIT(マサチューセッツ工科大の、日本的にいう特待生(学費タダ)として学び、卒業後はポラロイド社で働きます(当時、仲間うちではポラロイド・カメラは彼が開発したということになっていました−実際は新商品の開発に携わっていたらしい)。
 こんなに順風満帆の経歴にもかかわらず、何を思ったか、彼は仕事のかたわらバンドを結成。アマチュア・バンドのキーボード奏者となります。幼い頃からピアノを習っていたようですが、ギターは遊び程度。ところが、その後はギターを本格的にマスターし、レコード会社に売り込むためのデモ・テープでは、ヴォーカルとドラムス以外はほとんど彼が演奏するまでになっていました。
 1976年、トム・シュルツは、母校でありメンバーのルーツである「ボストン」というバンド名で「幻想飛行」をリリース。デビュー・アルバムとしては異例の全米3位を記録し、1000万枚を売り上げます。このアルバムにはトム以外の4人がクレジットされていますが、やはり、ヴォーカル(ブラッドリー・デルプ)とドラムス(シブ・ハッシャン)以外はほとんどトムが担当していたようで、もう一人のギタリスト(バリー・ゴードリュー)とベーシスト(フラン・シーハン)はツアー・メンバーに過ぎませんでした。
 当時(中1のころ)、ラジオの「電リク(全米トップ40)」から流れてくる本作のオープニング「宇宙の彼方へ」をたまたま聴いた私は、とんでもない衝撃を受けました。当時としては考えられないほど広がりのあるスペーシーなサウンド、わかりやすいリフ、ハイトーンでジャストなヴォーカル。。。ビートルズに始まり、レッド・ツェッペリンに傾倒していた幼い私にとって彼の音楽はあまりに新鮮でした。
 この番組を聴いた日、私は小遣いを握り締めて西武新宿線武蔵関駅前の「新星堂」に走り、「ボストン?なにそれ?」と言われるや、その足で吉祥寺まで走ったことを今でも覚えています。その後、私は「西中」のボストンの啓蒙者となり、中学2年で結成したバンドの文化祭で、あろうことか「宇宙の彼方へ」を演奏してしまうことになります。ボストンは79年4月に初の来日公演を行いますが、我々にとってはちょうど高校進学時にあたり、中学生の時にチケットを購入していた仲間にとって、そのコンサートは初の「同窓会」にもなりました。 
 私にとってはそれくらい思い入れのあるバンドですが、ロックの歴史において、決して重要な地位を獲得しているわけではないし、いま聴いても懐かしさ以外に感じるものはないのかも知れません。また、トム・シュルツの偏執的ともいえるスタジオ・ワークは本来のロックとは異質なのかも知れません。
 60年代のロックは様々な思想や生き方と不可分でした。それはそれとしてロックの一面ではありますが、ロックをモチーフに娯楽音楽として「昇華」させた彼の作品をゴミのように扱うのは、違うような気がします。