文化とサブカルの微妙な関係−「エロゲを擁護する」とは−

普通、サブカル擁護論(エロゲを差別するのはよくない、とか)は、文学などの「高尚な文化」を特権化している人たちからの「不当な弾圧」に対する抵抗、つまりサブカルと「高尚な文化」を区別するべきではないという文脈で唱えられてきました。しかし、実際にはそうならず、例えばエロゲを擁護する人たちはエロゲを「高尚な文化」として特権化し、差別される側から逆に差別する側へと転換を図ろうとしているのではないか。今日はそういう話をしたいと思います。
まずは議論の土台となる「高尚な文化(以後は単に「文化」と書く)」と「サブカル」の定義を行いたいと思います。
さて、「文化」の存在に人々が気づいたのは、それほど昔の話ではありません。「あれ?文化って昔からあるから文化なんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、昔はあたりまえすぎてそれが「文化」だと意識することが出来なかったんですね。その状況に変化が訪れるのが産業革命以降、大衆文化の登場がきっかけとなります。均一化・低俗化した大衆文化に対するアンチであり、「正典」という厳選された作品を前面に押し出した、国民すべてが共有するべきものとしての「文化」の登場です。
つまり「文化」の定義とは、「すべての国民にとって価値があると認められる」ものであり、大衆文化のアンチということで「本来は少数派」なものです。その「少数派」を大多数の人が共有しているように見せかける点に「文化」の効果があります。そして「サブカル」は「文化」から漏れたものを指す、という定義で話を進めましょう。
サブカル」を擁護するというのは、本来は「文化」と「サブカル」の壁を取り払うことだというのは先述したとおり。では、実際にサブカルを愛好する人々がどのようにしてそれを擁護しているのか、今回はエロゲを例にして見ていきましょう(前置きが長くなったなー)。

「泣けるエロゲ」を周りに薦めてくるやつの話。
紙媒体の小説なんぞ読んだこともなく、エロゲしかやってないようなアレなヲタが、
ちょっと「泣ける」っていう要素を入れたエロゲをやった途端に目覚めて、
これはいい、これはいいと勧めまくってくるってだけの話じゃないのかな。
急に高尚さを求めだした的な。

「泣けるエロゲ」を周りに薦めてくるやつって

発表当初からサブカル擁護論者による多くの批判を招いたこの文章。ここに典型的な「文化」を見るのは正しいでしょう。しかし、この記事に登場する「泣けるエロゲを周りに薦めるやつ」のエロゲ観もまた、「すべての人にとって価値がある」と信じ、泣けるエロゲという、エロゲの中でも「本来は少数派」なものにエロゲを代表させている点で、やはり典型的な「文化」観を共有していることに変わりはありません。
例えば、『Kanon』という作品。これは本来、無数にあるエロゲの中のひとつでしかありません。それにも関わらず、「泣けるエロゲの代表作」としてエロゲ全体を代表する「正典」化される。これをKanonの正典(canon)化とでも呼びましょうか。このような既存の「文化」観の焼き直しがサブカル擁護の実情ではないか、と僕は思います。
もう少し例を挙げましょう、。

歴史を変えた作品、業界の流れを作った作品、ネタについていくための作品、考察のための作品、単純に面白かった作品、自分の記憶に残る作品、笑った作品、ありとあらゆる意味で泣いた作品などなどなど選び方はいっくらでもあります。どこを選んでもいいと思いますがここでは年代記に持っていく意味でも歴史を変えた作品、業界の流れを作った作品を引っ張り出してみたいです。

sixtysevenの日記:SFは1000冊、ではエロゲは何本?

エロゲを語るという行為の中に、個人的なエロゲ体験を語ることだけではなく、「歴史を変えた作品、業界の流れを作った作品」という、全員が共有する(と見せかける)ルーツの探求が含まれていることが興味深い事実ではないでしょうか。個人的経験へと還元されない、「共有化」への試み−これにも「文化」観への依存関係が見て取れます。
以上の事例からはある傾向が導き出せるでしょう。すなわち、「サブカル」の擁護が現実には「文化とサブカルの壁を取り除く」という理念と異なり、典型的な「文化」の再生産に終始していること。この点において、サブカルを擁護することが複数の「文化」同士の対抗関係を作り出しており、擁護者が中立の立場を保っているとは言い難いということ。この2点が挙げられます。
それがいけない、という話ではありません。「サブカルを擁護する」というのは一見するとリベラルな立場に見えますが、そこには既存の「文化」観を強化する危険性、そして容易に特定文化への「えこひいき」へと変換される政治性が含まれていること。それに対して自覚的であることが必要になるのだと思います。
偏向的な人間も迷惑ですが、ガチガチのリベラリストの方がもっと迷惑なのと同じ理屈。