嫌いな食べ物を食べることの必要性

先日、街中で
「○○(食べ物の名前)が嫌いな方でも、これは××が少ないので
おいしく食べられる○○です」
という宣伝を耳にした。


○○がどんな食べ物であれ、○○が嫌いだという人が
××が少なくなった(なくなった)からといって、
その途端に○○をおいしく食べられるものだろうか。


××が無くなったからといって、おいしく○○を食べられるのだとしたら
それまで○○に対して感じていた「嫌い」という感情は、いったい
なんなのだろうか。本来○○に含まれている××という属性を
消してまで○○を好きになる必要はないのではないだろうか。


ま、どうでもいいことですけれど。

亡くなった作家の未読の本

稲見一良『猟犬探偵』のハードカバー版を105円で購入@ブックオフ

稲見作品のほとんどを図書館で借りて読んでいたので
(高校生にハードカバーはそうそう買えなかった)
こうしてときどき思い出しては買いそろえている。
『ガンロッカーのある書斎』は探し中。
『ダブルオー・バック』は人にあげちゃったんだっけ…。

『猟犬探偵』は長らく未読のままだったけど、そろそろ読んでみようと思う。

いたたまれなさ

ブックオフの店内に充満する90年代臭に、いたたまれない気持ちになるのは何故だろう。


特に100円均一のマンガ棚を眺めていると「うわー」とか思う。うわー。
で、追い打ちをかけるようにTRFとか槇原敬之の歌が流れてくるもんだから、うわー。