古くて新しい問題
ひきこもっている人にとって、「仕事」「働く」という言葉自体がトラウマになっている気がする。
「働く」というテーマが、いよいよ中心化してきたように思います。(個々のコメントにはレスポンスできませんでしたが、参考にさせていただきました)
- 「すべて拒絶して閉じこもりたい」 「死にたい」
- 望まざるひきこもりは苦痛に満ちている
- 閉じこもって生き延びるにも金が要る
- いざ生き延びようとした時にはできる仕事がなく、死ぬしかない
- 「経済的自立なしに精神的自立はない」
- 愛情関係は、仕事との関係で調整するしかない
- 性愛も、家族も
- survive ――「自己の先鋭化」と、「どのような事情でも生き延びられる」の両面模索
- 「仕事ができない」 →
- 「弱い立場」に向いた仕事(ノウハウ蓄積の必要)
- 「仕事とは何か」――「稼ぐこと」
- 金さえあれば誰も仕事なんかしたくない(そうか?)
- 「ヤリタイ仕事」なんてあるのか
- どんな仕事でも、いったん引き受けてしまったら果てしなく「巻き込まれる」恐怖がある。業界には業界のシガラミがあって、それが自分の人生すべてを食い物にするのではないか、という恐怖。(自殺は、「もはや巻き込まれたくない」でもある。)
- id:hikilink さんの「外出マニュアル」は、その有用性からいって報酬を得ても良いのではないか。(1例として)
- オタクの人たちには、作品(アニメ・小説・フィギュアなど)を通じて経済的互酬関係があるが、ひきこもりの人には互酬関係がない。それゆえネットワークや共同作業を作りにくい。利用者が代金を払い、作成協力者が報酬を受け取る、というシステムの模索。 → LETSやPICSY(地域通貨)、はてなポイントが使えるかもしれない。
- 生きるためにはお金を稼ぐ必要があるが、日銀マネーを稼げる仕事だけが価値ある仕事というわけではない。
- お互いのニーズをお互いに発掘する必要がある。――「これはいい」と思ったら、積極的に相手の仕事を評価するべき。評価されない取り組みはすぐに破棄される。評価された仕事は、発展的に経済活動の形を取れるかもしれない。
- 容姿・才能・性格 → 「愛情ブルジョア」(人間的環境に恵まれた人)
- 嫉妬による足の引っ張り合いだけはやめたい。頑張れる人はどんどん頑張ればいい。「お前も苦しめ」ではなく、「自分もいい思いをしよう」。
- 変えられること/変えられないこと
- 明確な諦めと、明確な野心が状況を変える。(たいていは、曖昧な諦めと、曖昧な野心)
- 慣例的な希望や目的ではなく、何か自分独自の野心が要る
- 「自分自身のために」はひたすら疲弊する
- ≪貴重なもののために尽くす≫が私を生き生きさせる
- negative 体験を原動力にできるか(positive だけでやれる人との違い)