論点メモ

昨日のネットラジオ出演は、事前に予期していなかった形でいろいろの変化(というか結晶)を私に起こした。 出演時の私の振る舞いそのものは、振り返ってみれば拙劣だったと思う。 でも出てよかった*1
以下、いくつか思考メモ。 社会学などを研究されているかたにとっては稚拙なものだと思いますが…。



*1:出演させてくださった関係者の皆さん、あらためて、ありがとうございました。

弱者同士で語り合っていて現実は変わるのか。

  • 「難解な話」は、意志決定権をもった人たちを説得するために必要。 しかし政治には「多数者の意見」も(票や“世論”という形で)関係する。 → 多数者に向けての平易な説得や共感などのファクターも重要。
    • これは既存の言葉でいえば「理論と実践」、「コンスタティヴとパフォーマティヴ」といった問題意識か。 つまり、「正しいことを言っていても、言説実践として逆影響を持ってしまう」ことがある(ex. 難解なことを言い続けて反感を買う、など)。
    • ヒット作が、既存の文化モードをなぞっただけ(「俗情との結託」)としても、作品の流通経路が状況を変えることがある。 【『冬のソナタ』は、日本人の韓国への言及の仕方を変えたのでは?】
    • 「マイナーであるがゆえに支持を得る」というよじれた回路もある。


  • 「自立」を、精神論だけに還元してはいけない。 「正社員になれない」のは、企業側が正社員を忌避する雇用情勢や、「履歴書の空白を認めない」差別問題がある。
    • 排除・差別の問題に取り組むには、「自分が楽しければいい」とは言えない。 苦痛緩和に向けて現実への影響力を持ち得ない運動は自己満足でしかない。
    • 「なぜ自立しなければならないか」は、個人の問題であると同時に、社会の問題ではないか。 社会に余力がなければ、自立した個人が多数必要になる。






「権力を獲得する」ことと「権利を獲得する」ことはどう違うか。

  • 一人(少数者)の能動的影響力(意思決定権)としての「権力」? ほぼ後天的だが、既得権益層に生まれれば得やすい。 → 階層による不平等。 しかし努力や運次第で後天的に入れ替え可能?
  • 「権利」は、多数者が生まれながらに(or 一定の条件のもとに)持つもの?
    • 「権利と義務」。 しかし「権力と義務」と言える? 【法的義務と道義的義務?】
    • 「恩恵を受ける」という側面。 → 否定していては権利獲得はあり得ない。


  • 弱者が「権利」を獲得するには――「自分が権力を持つ」か「権力者を説得する」かで――「権力にアクセスする」必要がある。 弱者は放っておけばいつまでも弱者。
    • 弱者に対して「権力獲得はいけない」と言っている人は、要するに弱者を放置している。 弱者を放置して構わないと言い張れる人は、その人自身が既得権益層に属し、すでに社会に内部化されている(つもりになっている)。 【それに、「権力はいけない」と言いながら権力(権威)に弱い人がいる。 「権威主義はいけない」と言い張る権威主義者はいくらでもいる。】
    • 当事者の多くが「反権威・反権力」だが、「排除された人間」としてはそれだけではどうにもならないという自覚はあるのか。






「反差別×教育」 : 排除された人を内部化する事業。*6

  • 「内部化する」は「社会化する」*1にあたる。 → 「家の中にいたままの社会化」なのか、「家を出す形の社会化」なのか。
    • 法的に「家の中にいる権利」を主張したとしても、経済の実情がそれを許さない、ということはある(有限の税金財源をどう割る振るか)。 家庭内のひきこもり・ニートにおける「価値観論争から経済的逼迫へ」という展開は、そのまま国レベルにも言える。
    • 経済的にもたないとすれば、全体的破滅を回避するには、どこかで≪教育的≫な強制的要因が必要になるのではないか。(cf. → 「都立高校「奉仕」必修へ」、 記事への言及) 【→ 参照
    • 「目の前の一人への支援」でできること*2。 「制度を変える」ことでできること。


  • 先日のイベントで触れられていたらしいが、これだけ多数の「ひきこもり・ニート」については、「放置する・再教育する」といったことが、「社会的コスト」の問題として検討される。 差別的放置による結果被害が甚大であると判断すれば、人道的観点によって*3ではなく経済的(国益的)観点によって、再教育や「差別撤廃」等々の対処が検討される。 【「ニート税」等々といっても、それが結果的に膨大な数の当事者を追い詰め別の「損害」を生み出すとすれば、わずかに徴収したニート税など吹き飛ぶ。】
    • 「ひきこもり・ニート」が「国益に反する存在」と見なされれば、「非国民」という罵声が浴びせられる可能性はないか。
    • 差別の原因となっている(と思われる)現在の行動属性について、「教育により改変すべきもの」と、そうでないものがある。 「生来のもの」とそうでないもの、「改変可能なもの」とそうでないもの。 それぞれ論争の焦点。 当事者自身にも葛藤がある。 【ex. 「同性愛」と「ひきこもり」のケース比較】


  • 危機的な社会問題への取り組みが正当化される際、その説得は「合理的」に行なわれるとは限らない。 さまざまな「心情的」装いを持つ。 それが「合理的説得」よりも「草の根の説得力」を持ってしまったりする。






*1:=「社会人(member of society)にする」?

*2:既存社会の制度や価値観を「認める」支援者と「認めない」支援者で方法が違う。 「認めない」場合にも、そのレベルはさまざま。

*3:しかし「人道上の理由」は、それ自体で政治要因。