覚え書:「書評:ミケランジェロ 木下 長宏 著」、『東京新聞』2013年12月08日(日)付。
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ミケランジェロ 木下 長宏 著
2013年12月8日
◆混沌を生き抜く人間描く
[評者]榑沼(くれぬま)範久=横浜国立大准教授
著者はルネサンス美術の専門家を名乗らない。専門家の見解も重要だが、専門家は解釈を提示することに懸命なあまり、芸術の発する問い自体を見えなくすることがある。もちろん本書も著者の経験と知識にもとづく観察と考察を紡いでいくが、作品にひとつの謎解きを施すことよりも−解ける謎があるなら、そもそも芸術家は制作を続けない−、芸術と人間をめぐるミケランジェロの弛(たゆ)まぬ自問の在りか、そして彼の作品の複雑な在りかたそのものを見つめることに注意を払っている。
ミケランジェロのことは生半可に書けないという長年の自戒は二○一一年の大きな出来事によって揺り動かされたという。著者は改めてイタリアを巡り、ミケランジェロのフレスコ画に向き合い、彫刻を色々な方向から見つめ、建築や広場に佇(たたず)み、詩や手紙を自らの手で訳出し、ミケランジェロに直に向き合おうとする。
本書の白眉は、終末の「大洪水」を描いたレオナルド・ダ・ヴィンチにではなく、ミケランジェロにこそ混沌(カオス)の芸術家を見出したこと。そしてシスティーナ礼拝堂「最後の審判」や「ノアの洪水」(国立西洋美術館「ミケランジェロ展」では高解像度映像が上映されていた)と、八十九歳まで制作を続けて生涯を閉じたミケランジェロ最後の彫刻「ロンダニーニのピエタ」に、彼が見つめてきた人間の姿の凝縮を見出したことだろう。自然や歴史のなかに生きていながら、突如として、そこから無力なまでに追放されてしまう人間。自然や歴史の破局に曝(さら)され、受難を生きる人間。
ミケランジェロは破局を観察するのでも、受難する人間を遺棄するのでもなく、破局の混沌(カオス)と受難のなかでも生き抜く人間の姿を描き、彫り出している。だからこそ彼の生み出した作品は、現代のわれわれにも強く訴えかけてくるのであり、本書は読者ひとりひとりを、こうしたミケランジェロの作品の壮絶な渦へと向かわせてくれる。
(中公新書・924円)
きのした・ながひろ 1939年生まれ。芸術思想史家。著書『岡倉天心』など。
◆もう1冊
池上英洋著『ルネサンス・天才の素顔』(美術出版社)。ルネサンス社会とミケランジェロ、ラファエロ、ダ・ヴィンチの生涯を描く。
−−「書評:ミケランジェロ 木下 長宏 著」、『東京新聞』2013年12月08日(日)付。
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2013120802000184.html