覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『ヴォルテール、ただいま参上!』=ハンス=ヨアヒム・シェートリヒ著」、『毎日新聞』2015年05月10日(日)付。
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今週の本棚:湯川豊・評 『ヴォルテール、ただいま参上!』=ハンス=ヨアヒム・シェートリヒ著
毎日新聞 2015年05月10日 東京朝刊
(新潮クレスト・ブックス・1728円)
◇ゴシップで綴る新型歴史小説
歴史上の人物の年譜のなかから、これはと思うゴシップとかエピソードを拾いあげ、ひたすらそれを積み重ねていく。そんな手口で小説作品になるのか、頭をひねりながらもどんどん引きこまれていって、その人物が見えてくる気分になる。
その人物というのが、超有名人。フランス十八世紀の啓蒙(けいもう)哲学者、詩人、劇作家、小説家を一身に兼ねたヴォルテールである。これは名づけるとしたら「年譜小説」とでもいうか。年譜がゴシップと合体して新型の歴史小説ができた。
シェートリヒという作家を読むのは初めてだが、訳者によれば東ドイツ系の人で、戦争と東西冷戦によって辛酸をなめた知識人とのこと。ゴシップの拾いあげ方、並べ方が実に巧妙で、人間と歴史を見る目の練達を語っている。
そう長くはない長篇小説の第一部は一七三三年、ヴォルテールがシャトレ侯爵夫人エミリーと熱烈な恋愛に落ちてから、エミリーが死亡する四九年まで。第二部がヴォルテールとプロイセン国王、啓蒙君主と呼ばれるフリードリヒ二世の関係が一応の結末を迎える五四年まで。
ヴォルテール(以下「V」と表記)とエミリーの恋愛の描き方はさらさらと、さっぱりしている。そしてそこが魅力的。
Vは、エミリーを「神のような恋人」と呼び、エミリーの夫シャトレ侯爵のもつシレイ城に二人でこもるように住んだ。エミリーのために物理の実験室をつくり、二人のために二万冊の蔵書を並べて。というのも才媛エミリーは、物理や数学が好きでライプニッツやニュートンを愛読。ニュートンの『プリンキピア』の翻訳を手がけるという貴族出身の女性だった(ちなみに、Vは有力ブルジョワの出)。それでいて賭け事大好きで、王妃やとりまきとカードに耽(ふけ)るという一面もある。
年経て、Vとのあいだが冷たくなると、若い詩人貴族の子供を宿し、出産がうまくいかずに死亡。
Vが、プロイセンの王子フリードリヒから手紙をもらい、招聘(しょうへい)を受けるのを、一貫して冷めた目で見ていたのはこのエミリー。Vの虚栄心がくすぐられているだけのことと思っていた。V「人道的な君主だ」、エミリー「彼は国王なのよ。他の国王と変わりないわよ」という意味の会話が、フリードリヒがプロイセン国王になったときに交わされる。
このへん、噂話(うわさばなし)を重ねるゴシップ的手法で、心理などの深追いをほとんどしない。
エミリーが死んだのが四九年。それでVは軛(くびき)を解かれてふらふらとフリードリヒ二世の宮廷に行き、長期滞在となる。といっても長くはつづかなかった。領地拡張を目ざす国王は、フランスの詩人哲学者なんかが早くも邪魔になり、配下に向かって、「余がヴォルテールを必要とするのは、せいぜいあと一年間だ。オレンジをぎゅうぎゅうに絞って、皮を捨てるようなものだ」といい放つ。この発言はV自身の耳にも入って、Vはプロイセンを離れることを決意する。そして出国するのを王の配下に邪魔されて、さんざん苦労するさまが、Vの金銭への執着と共に描かれるあたり、まさにゴシップ小説の頂点だ。
啓蒙君主が馬脚を現し、ヴォルテールがあわててジュネーブへ去ったところで小説は終わる。十八世紀の人物たちがゴシップのなかにゆらめきつつ現れて、動いたり考えこんだりしている幻燈(げんとう)を見るような思い。ヨーロッパの歴史の一幕がぐんと近くなる。(松永美穂訳)
−−「今週の本棚:湯川豊・評 『ヴォルテール、ただいま参上!』=ハンス=ヨアヒム・シェートリヒ著」、『毎日新聞』2015年05月10日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20150510ddm015070013000c.html
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