My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2005-12-27

[] Web 2.0が嫌われる理由

何か新しい概念が提唱され、新語が定義され、Hypeが生まれ、カネが流れ、そのHypeのまわりに会社がたくさんでき、メディアが騒ぎ出す。それで試行錯誤の末、新しい概念が正しかったことが証明される場合もあれば、間違っていたことが後になってわかることもある。その過程で稼ぐ人もいれば損をする人もいる。こんなことは、IT産業で、これまでに何度も何度も繰り返されてきたごくごく当たり前のことである。

むろんこういうプロセス自身を「嫌いだ」と思う人がいるのは自然だ。IT産業におけるイノベーションのベースにあるチープ革命の進行は暴力的ですらあり、ITは既存の組織や枠組みを壊す性格を持つから、それ自体を好ましくないと思う人たちも数多くいる。

しかし「Web 2.0」を巡る感想・印象の類を聞いたり読んだりして思うのは、どうも普通の新語以上に「Web 2.0」には、ある種の人々から「嫌われる理由」が何かあるようだということである。その「嫌われる理由」を考えることで「Web 2.0」の本質を考えてみようというのが今日の試みである。

補助線として「ロングテール」提唱者クリス・アンダーセンの「The Probabilistic Age」

http://www.thelongtail.com/the_long_tail/2005/12/the_probabilist.html

を読もう。

この題名の「Probabilistic Age」の「probabilistic」は、「ルービン回顧録」

http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050821/p1

を紹介したときにも出てきた言葉だ。

何が面白かったかといえば、ルービンの人生を、「蓋然的思考」(Probabilistic thinking)という一本の筋が貫いているところだった。

「Probabilistic」の意味は、このエントリーも参考にしてください。

さて、アンダーセンは冒頭でこう自問自答する。

Q: Why are people so uncomfortable with Wikipedia? And Google? And, well, that whole blog thing?

A: Because these systems operate on the alien logic of probabilistic statistics, which sacrifices perfection at the microscale for optimization at the macroscale.

「なぜ人々はウィキペディアグーグルブログ現象に、そんなにuncomfortable(居心地の悪い、心地良くない、不安な、厄介な、落ち着かない、気が気でない、警戒感のある)な気持ちを抱くのだろう」という彼の問いは、僕の「Web 2.0が嫌われる理由」を考えてみようという問題意識とぴったりと合致する。

そして彼自身の答えは、「これらのシステム(ウィキペディアグーグルブログ)が「the alien logic of probabilistic statistics」(蓋然論的統計学という異質なロジック)によって動いていて、それはマクロスケールでの最適化を目指し、ミクロスケールでの完璧性を犠牲にするからである」というものだ。なかなかうまい表現で、実に本質をついている。

そしてさらにこう詳述する。

Our brains aren't wired to think in terms of statistics and probability. We want to know whether an encyclopedia entry is right or wrong. We want to know that there's a wise hand (ideally human) guiding Google's results. We want to trust what we read.

When professionals--editors, academics, journalists--are running the show, we at least know that it's someone's job to look out for such things as accuracy. But now we're depending more and more on systems where nobody's in charge; the intelligence is simply emergent. These probabilistic systems aren't perfect, but they are statistically optimized to excel over time and large numbers. They're designed to scale, and to improve with size. And a little slop at the microscale is the price of such efficiency at the macroscale.

要は、人々がこの「異質なロジック」になじむのはそう簡単ではないということだ。いまや我々は、ミクロには人(プロ、編集者学者、権威・・・)が誰も関与しないシステムに大きく依存しようという方向に動いている。この「probabilistic systems」(蓋然的システム)は完璧ではないが、スケールアップのメカニズムが組み込まれていて、大きくなればなるほど統計的には洗練されていく。ミクロスケールでときどき存在するいい加減さや瑕疵は、マクロスケールでの圧倒的効率を得るための代償だという考え方である。

まさに「Web 2.0」の説明を読んでいるかのようである。

マクロスケールとミクロスケールという言葉を、鳥瞰と虫瞰と意訳して話を進めれば、鳥瞰的視点で新しいシステム全体を面白がるタイプの人は、どちらかというと「Web 2.0」を面白いと思い、虫瞰的視点を大切に思う人からすると「Web 2.0」的方向が全体を支配する雰囲気は絶対に許せない、ということになりやすいのである。

さらに詳しくは原文を読んでください。何か得るものがあると思います。

さてこのクリス・アンダーセンの論に、ニコラス・カーが噛み付いてくれていて面白い。アンダーセンはエントリーの末尾でこう追記している。

[Update: Nicholas Carr, who seems to have inherited the Clifford Stoll chair of reliable techno-skepticism, has a clever and well-written response here.]

カーの反論エントリーは「Have faith

http://www.roughtype.com/archives/2005/12/have_faith.php

である。

この文章の最初の数パラグラフは、アンダーセンの論の要約で、そのあとのこの部分がカーの論の要点である。

I confess: I'm an unbeliever. My mammalian mind remains mired in the earthly muck of doubt. It's not that I think Chris is wrong about the workings of "probabilistic systems." I'm sure he's right. Where I have a problem is in his implicit trust that the optimization of the system, the achievement of the mathematical perfection of the macroscale, is something to be desired. To people, "optimization" is a neutral term. The optimization of a complex mathematical, or economic, system may make things better for us, or it may make things worse. It may improve society, or degrade it. We may not be able to apprehend the ends, but that doesn't mean the ends are going to be good.

カーは、「クリスが解説するprobabilistic systemsの働き・仕組みが誤りだとは言っているのではない。彼はその点において正しい」と認める。でも、アンダーセンが(あるいはWeb 2.0信奉者が)、「probabilistic systems」における「システム最適化」「マクロスケールでの数学完璧性」という方向性を、「本当に我々が望むもの、望む方向」なのだ、と暗黙のうちに信じているところが問題だ、と指摘するのである。

勝手にそんな前提を置くんじゃないよ! とカーは言いたいのだ。社会はそれによってよくなるかもしれないけれど、悪くなるかもしれないではないかと。そういうことをすっ飛ばして勝手に信じるな、と言いたいのである。

クリス・アンダーセンとニコラス・カーのどちらに共感するか。カーに共感する人も、かなり多いはずだ。それが「Web 2.0が嫌われる理由」である。

ネット上では、日々この「probabilistic systems」が精緻化してスケールが大きくなっている。大きくなればなるほど洗練されていくという法則の具体的実現を、チープ革命が後押ししている。数年たったらどこまでいくのだろう。カーのような「Web 2.0」懐疑派は、ネット上で進行中の「probabilistic systems」の過激な進行(もうとめられない流れ)に強い危機感を抱いている。カーに共感するタイプの人は、カーほどきちんとした言葉にできずとも「Web 2.0への警戒感」を直感する。よって「Web 2.0が嫌われる」のである。

TaichiTaichi 2005/12/27 18:58 「膨大な情報」とそれを操作する「簡単なIF」を結びつける為には、正確性よりある種の統計処理を持ち込むしかなくなっているんだけど、統計が持つ「情報の切り捨て」という性質に違和感を感じているのではないかと思いました。

AnonymousAnonymous 2006/01/02 14:37 Web2.0の共通概念に関してはオライリーがレビューをまとめています。
それに納得するかどうかは別として、
>>http://japan.cnet.com/column/web20/story/0,2000054679,20090039,00.htm

上記の論議(クリス・アンダーセンとニコラス・カーの)はともに納得いく部分が多いのですが、
個人的には、上の論議の中の「perfection at the microscale for optimization at the macroscale」という表現を、完全なコントロールより効率という解釈をしたとき、自分としては一番納得できる気がします。
最終生成物を中央集権的に完全にコントロールするのではなく、ある程度コントロールできない何か(不特定のユーザだったり、予想外のデータを受けいれること)を許容することで効率を獲得する。
このコントロール不能な何かがあることがWeb2.0(方向性やビジネスそれ以外も含めて)の気持ち悪さにつながっているのではないでしょうか?

outisoutis 2006/01/05 02:05 いや、まさしくこのオライリーの分析こそ、いかにも後付け的で、雰囲気的な納得しかできない類のものでしょう。
1 RSSに代表されるセマンティック性
2 ウェブサービスとリソースの公開・共有・再編集
3 ユーザー参加による「書かれる」ウェブ
4 常時接続を踏まえたウェブのデスクトップ化
5 フォークソノミー的な統計的な最適化
たとえば、思いつくままにあげると、これらは、セマンティックなマークアップと常時接続による頻繁なインタラクションという二つの基幹的なインフラを前提にする、という以上の共通点があるとは思えない。オライリーのミームマップあたりが、どれだけ未整理かというので、うんざりするじゃないですか。よく分析された、有意味な概念なら、少なくとも、三つぐらいまでにはキーワードを限定できるはずでしょう。単に定義するだけで、何で七つも八つも、それ自体解釈がいるような「大きな」キーワードが必要なんです。それはあまりにも未整理な概念だからでしょう。Web2.0は、最低でも、さらに二つか三つの関係しつつも相対的に独立で、ちゃんと意味のある統一性のある概念に分割する必要があるんじゃないかと思いますよ。
家族的類似性を考えれば、たしかにすべての要素を関係付けられるけれども、任意の要素同士を考えたときは、ぜんぜん共通項のないもの同士が含まれてもいる、という状態は概念としてものすごく使い勝手が悪いですよ。中間項を介せば関係付けられるが……というのは、隣接的、因果関係的、同時代性的にたまたまシンクロしただけの要素と、内包的、内容的に必然的関係のあるものが、いっしょくたにされていればこそ、と思われます。

AnonymousAnonymous 2006/01/08 06:49 現時点でのWEB2.0の定義が、
WEB1.0という先行技術を設定した上で、それに対するカウンターパートとして現れてきた技術群を列挙してWEB2.0として定義している。
このような定義の仕方で、言葉が指示しているものが少数のコアとなる概念で上手く表現できてないいいかげんな概念だ、
それこそがWEB2.0の嫌われている理由だというのはそういう考え方もあるのかなとは思います。(自分はWEB2.0のようなとらえ方はありだと思うほうです)
ただ、その批判の対象はWEB2.0という言葉に関するもので

今回紹介されている「The Probabilistic Age」記事の
最初の問いかけである
Q: Why are people so uncomfortable with Wikipedia? And Google? And, well, that whole blog thing?
uncomfortableを感じているような嫌い方とは異なるのではないでしょうか?
この記事で対象とされている批判者はWEB2.0の批判ではなくWEB2.0に現れてくる技術への不安感を表す人を対象にしています。
それは記事内ではWEB2.0としてよく紹介されるWikipedia、GoogleはでてくるけれどWEB2.0という言葉が出てこないことからもわかります。

ただ、現在、WEB2.0という言葉を批判している人とWEB2.0を構成する技術の方向性に不安感を持っている人のどちらが多いかは
興味深い点かもしれませんね。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証