My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-11-22

umedamochio2006-11-22

[] Gファイル

プレジデント」誌連載中から、単行本化を楽しみにしていた本。

届いてすぐ、面白くて一気に読んでしまった。

1994年から1997年まで長嶋茂雄監督を「黒衣の参謀」として支えた河田弘道を描くノンフィクション

Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀

Gファイル―長嶋茂雄と黒衣の参謀

この本を読むと、巨人の、そして日本野球の何が問題で、何故ここまで凋落したのかがよくわかる。いま日本の一流のプレイヤーが次々とメジャーに行くが、腹に落ちてそれが納得できる本だ。

1994年10月8日。本書の中でも描かれる、ナゴヤ球場で行われた巨人中日による同率での130試合目の最終決戦は、僕が渡米する直前に日本で最後に興奮しながら見た試合だった。そしてこのオフに、日本中のブーイングを受けて野茂が渡米して、ストライキで94年ワールドシリーズが中止になり人気が落ちていた米メジャーリーグ入りを目指した。野茂は、ストライキ明けの翌1995年からドジャーズで大活躍することになる。

それから10年以上が過ぎ、日本野球風景は大きく変わった。10年というのは、いろいろなことが大きく変化するのに十分長い歳月なのだと思う一方、10年経っても「何も変わらない」こともたくさんある。打ち捨てられたように「ある部分」は何も変化しない。そういう環境の中にいると、10年はあっと言う間に過ぎていってしまう。

yomoyomoyomoyomo 2006/11/22 04:45 >そしてこのオフに、日本中のブーイングを受けて野茂が渡米して、

渡米する野茂を挑戦者として期待した日本人も多かったと記憶します。少なくとも「日本中のブーイング」というのは恣意的で不当なものだと思います。
というか、当時の日本の報道や世論について梅田さんはどの程度ご存知なのですか?

yomoyomoyomoyomo 2006/11/22 06:13 梅田さんが渡米されたのも確か94年でしたね。
「当時の野茂に対する新聞報道等は本当にひどいもの」でその後「手の平を返した」というのはその通りかもしれませんが、野茂を活かせなかった当時の鈴木啓志監督に対するファンの批判はシーズン中よりあり、また渡米時にしても前回のコメントの通りで、要は「日本中のブーイング」という表現が、まるで野球ファンの大半までもが彼を石もて打つような書き方はあんまりだ、この10年の変化が大きいのは間違いないが、それを語るのに過去の日本人を必要以上に貶めることはないだろう、とカチンときたのだと思います。失礼しました。

hktokyo2017041hktokyo2017041 2017/05/22 22:33 はてなブログID様

はてなBLOGを2017年4月に開設しました、河田弘道です。開設と同時にあなた様以下数名の方々が同じはてなBLOGIDをお持ちで、嘗てGファイルを購読されてその書評を投稿されている事を知りました。私は、そのGファイルに掲載さえています黒衣の参謀でございます。何と不思議なご縁でしょうか。貴殿の書評は、本日初めて拝読させて頂きました。有難うございました、遅まきながらお礼と感謝申し上げます。いつか、本BLOGに書評頂いています方々と共通の話題を持った仲間としてお茶会でも出来ると親交が深まりますね。感謝
ご参考までに、、、http://hatenablog.com/k/keywordblog/%E6%B2%B3%E7%94%B0%E5%BC%98%E9%81%93
河田弘道 2017年05月23日、火曜日、午後

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