My Life Between Silicon Valley and Japan このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-11-07

[] 水村美苗日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。

とうとう、水村美苗長編評論「日本語が亡びるとき」が本になった。

本書の冒頭の三章(280枚)が「新潮9月号に一括掲載されたのを一気に読み感動してから数か月、待ちに待った刊行である。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

この本は今、すべての日本人が読むべき本だと思う。「すべての」と言えば言いすぎであれば、知的生産を志す人、あるいは勉学途上の中学生高校生大学生大学院生(専門はいっさい問わない)、これから先言葉で何かを表現したいと考えている人、何にせよ教育に関わる人、子供を持つ親、そんな人たちは絶対に読むべきだと思う。願わくばこの本がベストセラーになって、日本人にとっての日本語英語について、これから誰かが何かを語るときの「プラットフォーム」になってほしいと思う。この論考に賛成するかしないかは別として、水村の明晰な論理による思考がぎゅっと一冊に詰まったこの本が「プラットフォーム」になれば、必ずやその議論は今よりも実りのあるものとなろう。

水村美苗という人は寡作作家なので、僕のブログの読者では知らない人もいるかもしれないが、五、六年に一度、とんでもなく素晴らしい作品を書く人だ。本書は「本格小説」以来の、水村作品を愛好する者たちにとっては待望の書き下ろし作品であるが、その期待を遥かに大きく超えた達成となっている。

内容について書きだせば、それこそ、どれだけでも言葉が出てくるのだが、あえて今日はそれはぐっとこらえておくことにする。多くの人がこの本を読み、ネット上に意見感想があふれるようになったら、再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。

一言だけいえば、これから私たちは「英語の世紀」を生きる。ビジネス英語が必要だからとかそういうレベルの話ではない。英語がかつてのラテン語のように、「書き言葉」として人類の叡智を集積・蓄積していく「普遍語」になる時代を私たちはこれから生きるのだ、と水村は喝破する。そして、そういう時代の英語以外の言葉未来日本語未来日本人未来言語という観点からのインターネット意味日本語教育英語教育の在り方について、本書で思考を続けていく。とにかく思考が明晰だ。しかも小説のように面白い。明晰な文章を読むと、その内容が厳しいものであっても快感が得られるものなのだ、と改めて思った。

少女時代から漱石に耽溺し「続明暗」でデビューした水村の問題提起は、「たとえば今日2008年11月7日漱石と同じくらいの天賦の才能を持った子供日本人として生を受けたとして、その子が知的に成長した将来、果たして日本語で書くでしょうか。自然英語で書くのではないですか」ということである。放っておけば日本語は、「話し言葉」としては残っても、叡智を刻む「書き言葉」としてはその輝きを失っていくのではないか。「英語の世紀」とはそういう暴力的な時代なのだと皆が認識し、いま私たちが何をすべきか考えなければならない。

この本にこめられた、日本語を愛する水村美苗の「心の叫び」が、できるだけ多くの日本人に届くことを切に願う。

なまえなまえ 2008/11/07 07:01 「頭脳流出」と同じで、英語で書ける人は日本語で書くことを選択しなくなるのかもしれないですね。
英語に堪能な小説家なら読者の多い英語で書きたいと思うのが自然でしょうし、普通の個人が書くブログだって、英語で書いた方が反応豊かで楽しいかもしれない。

albertusalbertus 2008/11/07 07:19 初めてコメントします。

言うまでもないことですが、高等教育の一部では既に日本語は滅びていると言えます(より正確には、「英語に支配されている」?)。自分の論考をできるだけ多くの人々に知ってもらうためには、英語が一番の近道です。ですので、わざわざ日本語で書く必要がもうない、という時代になってしまっています。

このことが極めて重要な問題なのは、中世のラテン語と違い、ネイティブスピーカーがいるということでしょう。そこには、第二言語として英語を習得した人間とそうでない人間との、「越えられない壁」があるのではないでしょうか。

よい本を紹介していただきました。是非熟読して感想も書いてみたいと思います。

inudaishoinudaisho 2008/11/07 14:42 近代より前の日本は中国の漢字の世紀に属しておりました。例に挙がっている漱石も最初は漢文教育を受け、漢文で書いた随筆なんかも残っています。日本のエリートが外国語使いなのは常識に属することでしょう。われわれが日常的に使っている漢語の中には明治期に西洋の概念を翻訳してつくられた新語がたくさんあります。これは漢字の皮をかぶった英語といえます。もし「知的記述を日本語でしない」程度のことがその言語の死を意味するのなら日本語は既に死んでいます。

subversion2subversion2 2008/11/07 15:09 ↑そのとおりだと思います。
無用に不安を煽る木村さんのような人は、宗教団体でも設立する気なのでしょうか?

aa 2008/11/07 16:16 ラテン語が健在だった時代であっても、他の言語は滅びませんでした。
ですから、英語がどれだけ広まっても日本語は滅びることはないでしょう。
実にくだらない扇情的な記事ですね。

xjrshimadaxjrshimada 2008/11/07 17:17 「叡智を刻む書き言葉としての」の定義が曖昧です。
事実上そのような日本語は、時間とともに流動的に変化しています。

そのような感性で漱石先生を引き合いに出してほしくはなかったです・・・

七誌七誌 2008/11/07 22:15 米国経済が今大変なことになっていて、ドルが基軸通貨でなくなるのではないかとか言われていますが、本格的に米国が沈み始めて他の国が台頭し始めたら、英語はどうなるんでしょう?
日本語って1億人以上が使っているんだから、言語としては多い方だと思います。

dellcadellca 2008/11/07 23:07 言語がある存在意義を考えれば答えはおのずとでると思います。

salronasalrona 2008/11/07 23:43 エントリと関係のない話で恐縮です。
「ウェブ時代をゆく」に感化され「ウェブリテラシーを獲得するブログ」を始めました。いつかお暇なときにでも一読していただければ幸いです。

MACKEY32MACKEY32 2008/11/08 00:08 おススメの程有難うございます。
必ず読みます。

ubsp1977ubsp1977 2008/11/08 04:22 「日本語が亡びるとき」に目を通しました。英語がイギリスやアメリカの母国語であるということよりも、英語を用いて知識がインターネット上で蓄積されていくという現実を考えました。そして、そのことが英語を非母国語とする人たちに与える影響について認識するようになりました。実際に、私は科学を学んでいますが、日本語を使う必要性を全く感じないので、高校ぐらいから理系科目は英語で授業をすれば良いのに、と思っていました。

言語というのは、意識して利用していかないと「書き言葉」として成熟できないという水村さんの指摘に考えさせられました。

心情としては、やっぱり日本人が日本語と英語のバイリンガルであったらなあ、と思ってしまいます。

munyuumunyuu 2008/11/08 05:11 日本語はとっくに英語を取り入れています。
未来にはビジンイングリッシュのように、日本語と英語が融合するのでしょう。
英語も日本語を取り入れている部分がありますし。

知的記述にしても、日本語の方が合理的でわかりやすい記述が出来ることは多いです。特に理系科目では、英語よりも日本語の方が理解が早いですよ。

木村木村 2008/11/08 07:59 すみませんこの本はまだ読んません。ですが思うところを少々。
江戸時代には、九州の人間と東北の人間では言葉が通じなかったので漢文で筆談したという話もあります。
書き言葉としての日本語は所詮明治以降、国民国家としての日本のものであり、英語の普遍語化とは単に国民国家の期限切れのような気がしますね。
ラテン語文明がヨーロッパを、アラビア語文明が中東を、シナ語文明が東アジアを覆っていた時代のように、英語文明が世界を覆う新たな時代の始まりとでも言いましょうか。

石川石川 2008/11/09 00:21 漱石と子規との友情や、子規という人が、どういう知的な日本人であったか、伝記を含めて、研究されてみては、いかがですか? ちなみに、子規は、英語をカンニングして東大に入り、英語の試験が嫌で東大を辞めたらしいですよ。

なまえなまえ 2008/11/09 00:32 うえから梅田

ListlessnessListlessness 2008/11/09 00:37 id:munyuu ピジンです。美人じゃなく。
お手軽なところでhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%B8%E3%83%B3%E8%A8%80%E8%AA%9Eあたりをどうぞ。ピジンとクレオール言語の違いなどにも留意しつつ。

OctOct 2008/11/09 03:24 世界の話者数では、中国語が1位で、英語は3位です。
2040年ごろ、米国(カリフォルニア州)でスペイン語の話者が大幅に増える見通しです。
ネット人口では、すでに中国が米国を抜いています。
中国のGDPは、2040年ごろ米国を抜く予定です。
21世紀は、英語の世紀になるのでしょうか?

tofftoff 2008/11/09 04:35 この本をすぐに手に入れられる環境にないのが残念ですが、先般のノーベル賞をめぐって、中国での基礎科学における裾野の狭さについての議論に繋がるような気がしています。
日本と中国の科学教育の最大の違いは、自国の言葉でどこまで学ぶことが出来るかという点にあるという指摘を思い起こします。
中国語はいくら話す人が増えてもそれだけでは科学認識の裾野は拡がらないでしょう。

科学に限らず、思考する言葉としての日本語を残すことを考えるのいう視点は必要だと思います。

nekopanda_tarenekopanda_tare 2008/11/09 04:50 漢文という「普遍語」に対抗して日本語を鍛え上げていった先人たちに学べばいいのです。それと同じことを今後やっていけばいいだけの話です。水村さんもそれは否定していないようですし。ただし、旧かなづかいにこだわるのはいかがかと思います。方丈記も徒然草も、「旧かな」でかかれているわけではありません。

edoraedora 2008/11/09 06:08 日本語と英語、両方が自由に使えるようになりたいですね。
出来れば中国語やスペイン語も。
色んな考え型を取り入れて、発信出来る人が増えていくほうが良い社会なような気がします。もちろん日本語が大事なのは言うまでも無いですが。

hidehide 2008/11/09 07:05 日本語の衰退以前に、日本人は日本語で書かれた書物や文化を世界にきちんと発信する努力をしてきたか?という疑念も感じている者です。

ひじょうに興味深い本なので、
著者の心の叫びを早く読みたいと思います。



この本をさっそく読んでみたいと思いました。

加賀野井さんが好き加賀野井さんが好き 2008/11/09 08:14 munyuuさん
>英語も日本語を取り入れている部分がありますし。

マジですか?TyphoonやSeppukuなどの単語ならともかく、
文法や意味生成の部分で日本語の影響を受けている部分が
あるのならば、是非知りたいです。ヒントでもご教示願います。

KY-waks1KY-waks1 2008/11/09 11:29 どうか、今回の件で気力を失わないでください。

ブログ読者の読む目が育っていないこの状況
において、あなたは読者の低レベルに呆れて
去っていくことを選択しないでほしい。

勝手なことを言ってすみませんが、あなたの
ように素直に心情を話せる人は貴重だと
思いますので、お願いします。

これからも応援します。

プ 2008/11/09 21:40 相変わらずくだらねーな(w

surousurou 2008/11/10 01:28 無理にザワザワさせようとせずに書いた方がいいと思うのですが。
英語で書いてみては、どうでしょう?

比ヤング比ヤング 2008/11/11 06:28 前に一部が雑誌で出てたのは、夫馬も読んだんだけど。
そのときの最大の疑問は

「国語が滅びる!」って言うけど、公教育で使われる
言葉が英語になっちゃうですかね?

ってことだったけどね。

美紀美紀 2008/11/11 07:44 お怒りになるのは、当然でしょうが、それを言ってしまえば、それだけのこと、で、その程度のものだったのか、みたいなふうになるでしょう。損するのは梅田さん御自身であり、ばかなことばかりでしょう、この世は。。。
ネットだけじゃない。生きている間は、どこであろうと。
それをまともに怒るのは、知性的な人には見えません。

sheepsong55sheepsong55 2008/11/11 15:01 この水村さんの議論は何か変ですね。ちゃんと他の人に査読してもらってから出版した方が良かったのでは。今、日本語で書かれている文学と日本語の可能性・限界(そんなものあるのかいな)とを安易に結び付けています。

juna55juna55 2008/11/11 20:09 出版楽しみにしていました。1/3ほどなぜかよみづらく、中盤以降は衝かれたようによんでしまいましたが、あらためてなぜ強く読むべきだと言われていたのかが少しはわかった気がします。何本もの想いが輻輳して走っている様には感じましたが。
−ここしばらく白川静を読んでいるのですが、関連して深く考えさせられます。
−慶應150年で卒業生とはいえ福澤にたいした興味があるわけでもなかったのですが、少し改めて触れなおしてみていると、(また記念式典のinternet中継で天皇陛下の祝辞を聞かせていただいていても)感じるものがあります。
−井上ひさしの”国語元年”、”吉里吉里人”逆にメッセージ性がもっと鮮明なような気もします。
−水村さんすっかりわすれてましたが、続明暗の方だったんですね。”こころ”を中学生のときに読まされてすっかりいやになり全く食わず嫌いだった漱石を読めるようになるきっかけがなぜか22歳ころの”明暗”だったので強い印象があります。。

沢尻エリカ沢尻エリカ 2008/11/12 00:06 沢尻エリカ 問題の露天風呂盗 撮動 画【全編40分】

「本物なのか!?」――。
1本の盗 撮ビデオをめぐり、AVマニアが騒然となっている。
あの“エリカ様”こと女優・沢尻エリカにウリ二つの女性の入浴シーンが隠し撮りされ、闇市場に出回っているのだ。


http://erikasawajiriri.blogspot.com/


実際に映像を見てみると、確かに髪形や雰囲気は沢尻にソックリ。ただ、本物と比べて顔がノッペリしているし、胸も小さいような……。しかし、DVDの途中でこんなテロップが流れる。


http://erikasawajiriri.blogspot.com/

黒バラ黒バラ 2008/11/12 06:52 一連の梅田さんの過剰な反応には失望しましたし、
この本が何でそれ程重要なのかさっぱりわかりません。

英語を母国語としながら、日本語と対峙し続けた片岡義男
の真摯な態度に比べたら、この本の著者の見解はあまりにも
皮相的で底が浅いと感じます。

IDはログからIDはログから 2008/11/12 09:38 >みなさん
これは梅田氏の作戦かと。

>梅さん
よかったじゃないですか。

結果はどうであれ、このエントリーが注目されて尚かつAmazonアフィリ収入もどんどんはいる。
梅田さんは集団心理をよく分かっていらっしゃる。
でも、一つ忘れないように。
こんなところで本など紹介して儲けるよりもあなたが建てた会社の成長に時間をかけなさい。

masamasa 2008/11/13 06:08 本日から連載の、ほぼ日刊イトイ新聞での、
糸井さん、岩田聡さん、梅田さんとのトークの連載のはてに、
今回梅田さんが伝えたかったことがわかるかもしれませんよ。

適切な大きさの問題さえ生まれれば
http://www.1101.com/umeda_iwata/index.html

kinghuradancekinghuradance 2008/11/15 01:51 最初にブックマークの方にコメントさせて頂きました。
ですが、はてなブックマークに寄せられたコメントを読んで梅田さんが立腹したということを聞き、改めて読んでみようと思いました。

水村さんの著書の「日本語が亡びるとき」というタイトルは少しキャッチーでこの本が論じている内容を的確に表しているようには思いませんでしたが、それでも

・彼女がアイオワ大学で世界中の作家と過ごした1か月の間に体験したこと
・「公用語」としてのフランス語の衰退
・出版技術の普及と、ヨーロッパ諸国の国民国家の「国語」の誕生
・「国語」としての日本語の誕生とその特殊性
・世界の叡智が「英語」と「中国語」で蓄積されていることについて

のあたりについては、大変興味深く読ませていただきました。
言語が死なないためには

・その言語が多くの人々によって話され、読み書きされている
・その言語で非常に有用なコンテンツが生産されているので、他国の人もそのコンテンツにアクセスするために学ぶ必要がある

の2点のどちらかが必要になってくると思います。日本語を母語としている私は、何とかして後者の道を選びたいところです。ですが、水村さんも指摘しているように、より多くの受け手に発信するため、「世界の叡智」として英語でアーカイブされているものに付け加えるため、英語で自分のコンテンツを発表しようと試みる人、または日本語と英語の両方で自分のコンテンツを発表しようと試みる人は増えていくでしょう。

最後にここのコメントとはてなブックマークのコメントに目を通した感想ですが、私は日本のマスコミに基本的に不信感を持っているので、新聞も取らず、TVのニュースも見ることはほとんどありません。
興味のある海外のニュースは、海外メディアのサイトを通じて知ることが多いです。
幸い、英語は読むだけならほとんど不自由しませんし、中国語やスペイン語等も翻訳サイトを用いて日本語か英語に直せば大体の意味を掴むことができます。

日本人は日本語で必要な情報を得ることができる環境に安住してきましたが、知的な部分でのexodosを図る人々というのは増加するように思います。

池袋ジュンク堂では、この本の在庫が一時的に無くなるくらいに爆発的な売れ行きであるそうです。今回私は読んだだけで買っていないのですが、お金に余裕ができたら是非とも自分の本棚に加えたい本です。

yujishiina19841226yujishiina19841226 2008/11/15 10:22 初めてコメントします。水村氏の本を読み、関連したエントリーをついさっき、書き終えました。
 私は大学院生です。この本を読んで強く感じるのは、読者が学習者であるならば、読後は何か行動を起こすべき、という思いです。現在の状況について、どれだけ知的に嘆いたり文句を書いたりしても、事態は一向に改善しません。建設的なのは、個人として出来ることは何か考え、行動に移すことでしょう。身近なところから、自分に出来る事を。

gxggxg 2008/11/17 12:46 横文字使わない日はないでしょ??
比率は上がるけど、それだけのことじゃないですか。

okouko39okouko39 2008/11/17 17:30 ああ、お願いですから私のような「愚か者」に解るよう意見を書いてください。

日本語の衰退を嘆いてらっしゃるところ迄はかろうじて読めたのですが。
貴方がそれ程日本語…母国語にこだわるのでしたら。
インターネットの世界から去るべきです。外来語も、英語も洋服も捨てて、
「我は日本人である!誇りは捨てぬ」とでも叫びなさい。

右翼と間違えられそうですが、死に立ち向かった昭和天皇の如く、本当に大切な物とは自己の価値観の押し付けでなく、我々がこれからどうして心安らかに、安全で矛盾のない生活を送れるか。先に考えた方が良いだろうか、私は思うのだが。

RR 2008/11/18 07:43 >加賀野井さんが好きさん
英語が日本語・日本文化を取り入れている例として、俳句もしくは「HAIKU」がありますよ。575の韻を高校の英語の授業で教えたりしています。
これを広く捉えれば、極端にシンプルに表現するミニマリズムの流れに、日本文化の影響を感じることができるような気が
します。

RR 2008/11/18 07:45 >加賀野井さんが好きさん
英語が日本語・日本文化を取り入れている例として、俳句もしくは「HAIKU」がありますよ。575の韻を高校の英語の授業で教えたりしています。

とくとく 2008/11/21 23:56 日本語の将来は、日本経済と深く関係すると思います。人口減少のもとでは日本経済が衰退するでしょうから、日本語の将来もおぼつかないはずです。ただ英語なのか中国語に乗っ取られるのかはわかりませんが。

タケチャンタケチャン 2008/11/30 06:14 明日にでも「日本語が亡びるとき」を買って読まないと。いいナー、最近熱い本が少ない、自分が熱くなれないのかも、、。

XX 2008/12/11 00:48 この本を担ぎ上げる言説が流布しています 日本文化特殊論の焼き直しですが、ハイカルチャー/サブカルチャーという「文化格差」の生産に利用されているような気がしてなりません 無論、水村の日本語論は現代文学を全く無視した地点で成立しており、それ自体ひどいものです 美しい日本語論(というフェティシズム)だと思います 或る人が或るところで書いていましたが、水村は「日本近代文学」を(遺)父と見做している、と 合点の行く言葉でした

tomtom 2008/12/11 05:27 帝国主義を前面に世界へと進出し、19世紀のパックスブリタニカからそれを引き継いだ20世紀のパックスアメリカーナの200年において英語が世界共通語としてデファクトランゲージになりつつあるということなんだと思います。まさにデファクトの主因は言語としての力ではなく、それを第一言語とする国の国力によって決するということであれば、中国のGDPがNo1になり、アメリカのマジョリティがヒスパニックになる時にその様子も変わってくるでしょう。OSが時には過去の遺産を引き継ぎ、時には過去の遺産と決別し移り変わってきたように、英語が22世紀においてデファクトでなくなっている可能性は高いようにすら思えます。その中で今後日本語が守勢に立つのか、攻めているのかは結局経済力によるところが大きいのではないかと思います。人口減少社会において現在の経済力を維持していくためにはそれこそ文化の輸出は欠かせません。これがうまく行けば同時に、言語を広めていくことにもつなげることが出来るのでぜひその方向で進みたいものです。

propro 2008/12/13 17:44 知的水準の高い人は、水村美苗の薄っぺらい内容に閉口するであろう。

t-tanakat-tanaka 2008/12/17 22:01 >多くの人がこの本を読み、ネット上に意見・感想があふれるようになったら、
>再び僕自身の考えを書いてみたいと思う。
そろそろ,いかがですか?

ポルコポルコ 2008/12/24 15:45 梅田氏はブログを”知的ツール”と言われているようですが、本ブログを読む限りでは、”セルフプロモーションツール”であると感じます。このエントリー以後の梅田氏の行動をみるにつけ、賛否含めこの本のプロモーションがここでは成立したと思います。

梅田氏について、”リアルな紙の世界に生きる人。”または、”ネットワークのこちら側の人。”という認識を新たにしました。

punchpunch 2009/03/24 19:48 自分は在米研究者です。
近代日本文学の質を維持することは文学者はさておき一般国民にとってそれほど優先順位の高いことでしょうか。
好むと好まざるに関わらず、英語が科学の共通言語です。英語が出来ないことによる、日本人研究者のプレゼンスの低さはどうしようもないところまで来ています。
日本語も護る、一般の学問水準も護る、そんな良い所取りは難しいではないでしょうか。

ろらんろらん 2009/08/07 22:48 水村さんのこと、今日初めて知りました。

私的には
「世界に通用し共益をもたらせるネタを持たない国の言語は
広く利用されるようにはなれない」と思います。
中国語は昔の歴史的遺産の価値に触れたい人や、商売したい人には大変に重要かもしれません。でも今の中国でどれだけ本当のことを話し言葉で伝えたり、世界に役立てることを発信出来るか?
全て秘密にされてしまうんでしょうね。
ロシアも優れた音楽や文学の遺産がありますけど、現代に交わされるロシア語で、一体どれだけロシアの現実を公開出来るかとても疑問です。

つまるところ、ある言語が受け入れられあまねく伝播するには、普遍的な共益をもたらせるネタがその言語圏に備わっておりかつ政治的に妨害がなされないことによって初めて可能になると。
アメリカはその典型ですが、逆にものごとを単純化し過ぎて言葉の持つ深みが排除され、アメリカ人自身が感情的豊かさを育めない切迫した危機の中で部品化された人生を送っていることから考えても、言葉は情報され伝えられて経済や政治や軍事的競争
に打ち勝つツールになりさえすればよいという思考が日本にも広がってきていると感じます。
言葉を豊かに味わえる環境を与えることよりも、すぐに結果を出せる労働力の促成栽培に重点を置くなら、ブレーキの効かない人間がたくさん生み出されて、言語や文化の価値を知らず知らずに破壊していくことに、、、、、

風 2010/02/09 17:54  概念のピント調整が、むずかしい本ですよね。日を置いて、何回も読んでいれば解かるけど、あの簡潔さを、簡単に読むことなんて出来ませんよね。でも、あれほど常識に近いかたちで、日本語や英語を述べたものは稀有だと思います。たぶん、定着するのに、相当の時間が掛かっても仕様がない。だから、書き言葉の執着から逃れて省みない限り、日本語は亡びるということなのかな。読んでいると、憂国の思いというより、その論理的なところから選択肢を訴えかけて来る気がする。
 とにかく、文学者が批評をすると、ああいふかたちになるかという感銘で読めた、また、読んでいる一冊です。だけど、ラテン語の影響力が強いのか、英語の影響力が強いのか。おそらく、前者だと思う。

二度目の風二度目の風 2010/03/16 05:52  いま、ゲームを創る人たちに、一番読んでもらいたい本です。個人的に言えば、ゲームのストーリーと小説には、そこまでの差はない。表現方法が変わっただけで、近代的だということもない。それなら、言葉に焦点が当たって当然だということになる。秘かに、日本がゲームに担っている未来を見ています。技術力や解像度は、世界の水準で測ることは出来るけど、ストーリーの内容は、国を択ばない。
 悪智慧ですが・・・日本で創ったゲームを輸出するとき、翻訳しないで、海外に出したら、如何になるのでしょうかねぇ。

古井戸古井戸 2010/03/29 21:25 水村の言う「日本語が亡びる」とは、(ほとんどの)日本人小説家が、日本語ではなく英語(普遍語)を使って小説を書く時代がくる、ということだ。これを誤解して、日本列島から日本語が消える!と考えている論者が多いようだ。水村の言い方も誇大すぎるが(作家だから仕方がないか)。
水村は、現地語=母語としての日本語は残る、と言っている。つまり母親は日本語で子供を育て、学校でも、市役所でも日本語が使われる。ただ、日本人小説家が英語を使って小説を書きはじめる。。村上春樹が英語で小説を書きはじめる、など(翻訳によるのではなく。フランス語や中国語、韓国語への翻訳は英語から行われる)。

これは想定の話だから反論も難しい。金谷武洋『日本語は亡びない』(2010/3)のように、宮部みゆきや中島みゆき=Wみゆきは、すばらしい!現代日本文学のフランス語への翻訳はこんなに多い!と、羅列しても反論にはならない。そのうち(100年後?)多くの日本人小説家は英語=普遍語で小説を書き出す可能性が高い!と水村は主張(想定)しているのだから。

逆に、わたしは、日本人小説家が英語で小説を書き出してなにがまずいの?と問いたい。コンラッド(ポーランド人)が英語で小説を書き、リービ英雄(母語は英語)が日本語で小説を書くようなものだ。必然性がアレバ小説家は母語以外の言語を選んで小説や詩を書く。それだけのこと。インターネットが普及し、英語が普遍語になった!よっしゃ!おれも英語で一発当てよう!と小説家は考えるのかもしれない。

将来、日本人が英語で小説を書きはじめることを、「日本語が亡びる」と騒ぐのは非文学的である、とは言えよう。なぜ、作家は母語で小説を書く場合が多いのか?母語を使う必然性はあるのか?(おおむかし、西洋の文人は普遍語=ラテン語で哲学小説詩歌、を書いた。文字のなかった日本人は万葉仮名を使った)。作家はどうやって小説言語を選ぶのか?を問うべきじゃないのか?

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