和装組曲♪

2017-09-21

横笛

月下の陣が終わった。

f:id:umryuyanagi104:20170913083035j:image:w360


で、今琵琶弾き語りしている曲は「横笛
楽器の名前ではない。女性の名前〜♪

横笛は、高倉帝の中宮、即ち清盛の娘徳子(建礼門院)に仕えた女官。
容姿端麗、しかも建礼門院に仕えるのだから、頭脳も芸事一通りもずば抜けている。
清盛が都中から集めた中でも選りすぐりの女性しか建礼門院には仕えられなかったのだから。

平家の若侍たちの思いを一身に集め恋文もそれはそれは多かったとのこと。
中でも小松の内府重盛(清盛の長子)の家臣、斎藤時頼は横笛の艶やかな舞姿を見てからは思いを深め日ごと夜ごとに文をしたためたとか。その数は千通にものぼったとも言われている。
でも横笛はただの一度も返すことはなかった。余りにも浮いた気持ちで横笛懸想する若者からの文が多かったため。横笛は時頼をそんな一人と思ったからだった。


       百夜の榻(しじ)のはしがきに 君の情けは思へども 

       堰(せき)のしがらみ固うして 只飛鳥川明け暮れに 

       思い乱るる果敢(はか)なさよ



時頼は失恋の痛みに耐えかね出家してしまう。嵯峨野の往生院にこもり遁世してしまう。時に23歳の若さであった。


       噂に聞けば片糸の よりても逢わぬつれなさを
 
       恨み給ひて武士を捨て 嵯峨野に隠れ給ふとか





f:id:umryuyanagi104:20170915095234j:image:w360


一方横笛はこの話を聞きつけ、時頼の気持ちが世の常の浮いた心から来るものではないと悟り、つれなく打ち捨て置いたわが身を悔いる。
又時頼の真剣で誠実な心を知り、次第に恋心も湧き密かに御所を抜けて嵯峨野の往生院に尋ねていくのである。


       皆身のためと思ひては 哀れとすだく虫の音も

       心をとがめてやる瀬なく 杖を力に忍路や

       たそがれ時をにまぎれつつ 内裏を一人抜け出でて
  
       嵯峨野の方へぞあこがれける




束ねたら千通もあろう文にただの一度も返しもしなかった自分を責めに責め、ひたすら寂しくわびしい秋の野を一人急ぐのである。


       千づかの文に一言の 返しせざりしつれなさを

       恨み給はば如何にせん 心細さは秋風に

       身も消えぬらん心地して 夜の細道いとどなほ 

       心の闇にすべぞなき
       


この道はあっているのだろうか・・
尋ねる人は果たしてここにいるのだろうか・・・


      暮れ行く秋のならひとて 道柴の露深ければ

      夜寒になりぬ旅衣 あやの重ね衣そばとりて

      招く尾花に恥ずかしと まぶかに被るぬり笠や


f:id:umryuyanagi104:20170916082323j:image:w360


はや夜も更けて月も西に傾き果てしない草ばかりの情景が広がっていく・・
自分のそっけない態度を後悔し、消え入るばかりの心細さに耐えて若き乙女は夜の闇の中を先を急ぐのである。



       茂れる宿はさび果てて なかば破れたる草の門

       往生院と読まるるに 滝口殿よそれぞとて

       喜び勇み立ち寄りて 門ほとほとと打ちたたく


喜び勇んで門を叩く横笛であるが、誰も答える者すらいない。
秋の虫が集くだけである。横笛は耐えかねて泣きながら声をかけるのである。

       小松の君に仕えたる 滝口殿にぞおはすらむ

       横笛申す由ありて 浮き世の嵯峨の奥深く

       迷ひ来たれる哀れさを 聞し召さずやこの門を

       開けさせ給へという聲も おどろ乱れて泣き伏しぬ



流石に中から声がする。

       今は仏に仕ふる身 世の浮き事を百千度

       繰り返しても如何にせん 只何事も夢ならば

       帰り給へと云ひ捨てて 読経の聲かすかなり




f:id:umryuyanagi104:20170916084456j:image:w360


琵琶では往生院に訪ねて行った横笛に時頼は会おうとはせず全て過ぎ去ったこととして御経を読み続けるのである。
恋に悶える乙女と、失恋し浮き世を捨てた男とは所詮合わぬ片糸同士。
いまさら何を・・・出家した男には所詮せんない繰り言にすぎぬ。時は既に遅い、男はひたすら読経を声高くあげる。既に決心は固い。
一方横笛は必死にすがる。


       のうあけてよと幾そ度  呼べど叫べど答えなく

       友に離れし雁の聲悲しげに鳴いて行く

横笛はうるみ声

       遥々きぬる此の我の 心の中も汲みもせで

       ただ此の儘に帰れとは 恥じて死ぬとの心かや




女の心は一変します。
一目もあってくれぬとは・・あなた様は私に自分の行いを恥じて死ねと仰せか・・
いやいや誰もそんなことは言ってはいない。「死ね」などとは一言も。ただ「帰り給へ」と言っただけ。
いつの世も極端から極端に何の違和感もなく即移行するのも又これいつの世でも女の心。
男の頑なな心を知り、女はやがて絶望へと変わっていく。
一目会ってくれたら、何とか誤解も解けように。
その一目すら逢ってはくださらぬ。戸すら開けてはくださらぬ。


       つれなき君にくらべては 月こそ哀れ深けれと

       きぬのたもとも露にぬれ 涙にうらみゆふだすき

       かけて嘆くも哀れなり 

f:id:umryuyanagi104:20170914090453j:image:w360

1人とぼとぼと横笛は失意の夜の道。
あの千の文にせめて一言返事をしていればと思う気持ちも既に遅い。
そして桂川に出る。
今更内裏に帰って何としよう。

       心曇れば烏羽玉の 闇にひかるる後ろ髪

       断つよしもなき此の憂さを 免れ出でんは只一つ

       一つと心細道を 辿りて出でし桂川

       頼む連理の影もなく 消えよと誘ふ水の聲


早く流れる水音は「死ねよ」とまるで自分を誘っているように聞こえる。


因みにその時に横笛が着ていた襲の色目「朽葉色」とは表は朽葉色、裏は黄色。
朽葉色は物凄くバリエーション多いのだが「赤朽葉」「黄朽葉」「青朽葉」と大きく分けて三系統ある。
そのいずれかは不明である。ただその衣を傍らの柳の木に掛けて、横笛桂川に引き込まれるように身を投じる。
その時の語りが物凄く美しい。

       思い定めて水上の 御幸の橋の側近き

       柳の下の病葉(わくらば)や 朽葉色なる衣をかけ

       思ひの文を結い付けて 哀れ十七の花紅葉

       夜半の嵐に誘われて 千鳥ヶ淵の水泡(うたかた)と

       消えて失せしぞ哀れなる


この平家物語横笛を題材にして高山樗牛の「滝口入道」が作られた。時頼の事を「滝口」と呼ぶのは、滝口の侍であったことから。滝口というのは、禁中守護の武士で、禁中の軒下に引いてある細流を溝水(みかはみず)といい、その流れが集まって滝となって流れ出るその滝の口に陣屋を構えて警護した武士である所からこのようにいわれたのである。
この滝口入道時頼は後に高野山に登り、修業を積んだ後名僧となり平家一門滅亡の後追善を営んだと言われている。
もっとも樗牛の作品は横笛出家して尼になるような結末に作られているようだが、琵琶横笛は最後は入水自殺とされている。


そして、そして・・・最後はこう締めくくられる。

       桜散る夜の朧月 時雨に月のひそむ夜は

       今も千鳥の音になきて 哀れに叫ぶ聲すなり




f:id:umryuyanagi104:20170921151008j:image:w360



最後の件には十分な凄みも加わるように作られている。



鬼が出たり、怨霊が出たり、早いばちさばきの見せ場があるわけではなくどちらかと言えば案外地味な曲である。
男の意地、女の誇り・・叶わぬ思いがかすかにすれ違い二人は戸口一枚を間に挟み気持ちはすれ違うまま。
男の決心、女の後悔・・元に戻すこと叶わず右と左に分かれるのである。

今年のこれからはこの曲を練習する。

文中の琵琶の語りの緑色の部分は永田錦心横笛」から原文は物凄く長いので。
随時抜粋させていただいた。

時頼23歳、横笛17歳と言われている。

( 永田錦心作 「愛吟集琵琶歌之研究 巻二 」横笛から適宜抜粋 )


そして今能面は「十六」である。
16歳で討ち死にした能「敦盛」に使われている。
若い女の小面の面は以前完成しこのブログでお披露目したが、今年はこの若武者「十六」に挑戦している。
女の顔のように美しいと言われた敦盛であるが、この段階から既にキリリと見えるのは気のせいか・・
荒くれ日に焼けた精悍な源氏の武将たちとは一線を画し、平家の武者たちは何処までも優美でたおやかではあるのだが、若者はどんな場合でもただひたすらに一直である。
それが美しくもあり、悲しくもあり。

f:id:umryuyanagi104:20170913204923j:image:w360
 
       

2017-09-10

重陽の節句のお食事会

9月9日・・・この日をゆめみ会最後の会と決めていた。

f:id:umryuyanagi104:20170909120729j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143907j:image:w360



伝統ある老舗料亭の中でも最高の部屋。
この部屋からは富士山の形をした大きな石が見える。
それはかつて豊臣秀吉前田利家に与えたもの。
巡り巡ってこの料亭の庭に。
そして時代を超えて私たちがその石を見ながら食事をする・・という機会に恵まれたのだ。
あいにく逆光で写真には写せなかったのだが、この庭の一角にある。


f:id:umryuyanagi104:20170909121344j:image:w360



皆さんはまだまだこれからも続けたいと願っていたようだが、私はこの日を最後・・とはなから決めていた。
引っ張れば引っ張れるし、経営者としては皆が望んでいることはできるだけ続けるのが収入にもつながりそれが一番かもしれぬ。
でも自分の思いもあった。引っ張ることに意味はない。時間とお金の無駄というもの。
一般の人としてはもう十分美しい着姿だし、知識も基本的なものは網羅された・・と信じている。
もし、ご自分が知識はまだまだ・・と思われたら、これから幾らでも自分で勉強できるはず。基礎は既に習得されている。
これ以上のことはプロ養成コースの方々の領域となる。


f:id:umryuyanagi104:20170909121434j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909123126j:image:w360



今回は最後の会と言う事もあり、至れり尽くせりしたアドバイスはしない。それは最初から断言していた。
何度も何度も言われても直せないものは自分で手痛い思いで思い知ることが一番である。

誰の着方が美しいか、
どなたの雰囲気がその方に合っているか、
見せたい自分と着姿がかみ合っているか、
そしてあくまでどこまでも自然体であるか、
最後はご自分の目でチェックすべし。

1人につき、前からと後ろからと計2枚しか写真を撮らなかった。
私に写真の選択の余地はないような設定をした。。

まず1人目


f:id:umryuyanagi104:20170909143414j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143419j:image:w360


2人目


f:id:umryuyanagi104:20170909143430j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143434j:image:w360



3人目


f:id:umryuyanagi104:20170909143449j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143454j:image:w360



4人目


f:id:umryuyanagi104:20170909143504j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143510j:image:w360



ここまではゆめみ会のいつものメンバー。
どなたも姿勢は美しい。
注意するあまりほんの少しやり過ぎの感もある。(笑)
自分に色々な目標を課せられたのだろう。
でもよく直された。
姿勢は中々直しにくいものであるので。
段々自然な雰囲気になればそれはそれで良いと思う。


で、この日私がたってと言って参加を促した方。

それが5人目の方。
この方はこの日のいわばオブザーバー的な存在。
養成コースを既に修了された方。
この方に関しては一言添えておこう。
右肩が脱臼し着物を着るのも、帯も結ぶのも困難な中での参加である。
体のかたがりがあるのはその完治していない肩のせい。まだ右肩に筋肉が十分ついていないからに違いない。


f:id:umryuyanagi104:20170909143525j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143531j:image:w360


6人目の方
この方は1週間前に飛び入りを希望された方。
13年前まだ他所の着付け教室に勤めていた私の生徒さんだった方。
退職間近になり、改めて復習にいらした。
そんな会があるなら参加する…と。
実にポジティブ。2回の練習のみ。


f:id:umryuyanagi104:20170909143543j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143554j:image:w360


7人目
いつもゆめみ会を指導してもらっていた方。

f:id:umryuyanagi104:20170909143609j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143617j:image:w360



この7人に関しては私は同じ場所で同じアングルで写した。
1人につき前後計2枚という条件は同じ。

ここでデジカメを近くの方に渡した。
そして私も写してもらう。

私だけ出さないのも実に卑怯臭い。
写す人と写す場所が変わった。
私の顔がでかいのはそのせいと言う事にしてほしい。(笑)

f:id:umryuyanagi104:20170909143640j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909143647j:image:w360


さあ・・・
皆さん、ご自分の姿は如何?
思ったように写っているかな?
反省も満足も自己陶酔も各自で。(笑)

私はもう触れぬ。
もし「たって・・」と私の参考意見やアドバイス欲しい方はコメント欄でその旨、書き込みしてくだされ。
その方には返しましょう。


最後は全員で料亭の玄関で・・・

f:id:umryuyanagi104:20170909144040j:image:w360


f:id:umryuyanagi104:20170909144104j:image:w360



皆さんは着物姿は、襟が・・とか、帯が・・とか、おはしょりが・・・とか実に細かい事を思われるだろうが
実は和室ではその方の姿勢が一番その方の美しさを決めるのではなかろうか。
また足袋の白さの加減が案外美しさの印象を変えるのではなかろうか。
ブログをご覧の皆さんの参考になれば。


ゆめみ会の皆さん、月1〜2回のお付き合いでしたね、本当にありがとうございました。
これからは皆さん、その着物姿を参考に自信をもって次の趣味の道に進んでください。
オブザーバーとして来ていただいた方、完治していない体でありがとうございます。
復習に来られた方、これからの練習で更なる美しさを目指しましょう。

今回出産や仕事の転勤などで参加できなかった養成出身者の方々・・・次回での参加を期待しています。


f:id:umryuyanagi104:20170904185008j:image:w360

2017-09-03

遮莫(さもあらばあれ)

面白い言葉と出会った。

f:id:umryuyanagi104:20170102142433j:image:w360


琵琶で「月下の陣」という小曲を弾いている。
大曲に取り組む前に時々小曲を取り入れている。
今は秋と言う事もあり、「月下の陣」。

上杉謙信の軍と戦う兵士達が能州(今の能登)で野営をしている時の一夜の景。
冴えた月、儚い秋風、草むらで虫の声・・そんなところで草枕
夜が明ければ散っていく身で家族や故郷を思う歌でもある。

その中に次のような漢詩が出てくる。


       
       霜満軍営秋気清     霜は軍営に満ちて秋気清し   

       数行過雁月三更     数行の過雁月三更

       越山併得能州景     越山併せ得たり能州の景 

       遮莫家郷憶遠征     遮莫家郷遠征を憶う





この漢詩の前後に実に美しく無駄のない秋の風景と兵士の明日の戦いに向かう心境が描かれているのだ。

最後に出てくる「遮莫」と言う言葉。
「さもあらばあれ」と読む。

然も有らば有れ・・・の意味。
もともとは「たとえ・・・でも」の意味があるのだが、
そこから「不本意であるのだが、その通りにしておこう」とか、
「どうあろうとも、ままよ」とかいう意味を持ち
「なるようになれ」とか「なるようにしかならぬ」として使われている。

「なるようになれ」と言うと自暴自棄のニュアンス。
「なるようにしかならぬ」と言うと少し諦めの境地。
この漢詩の中では
戦場という自分一人でどうにもならぬ状況下、
静かに置かれた状況を受け止め、故郷を偲び、草の敷床(しとね)で自分の夢を空ゆく雁に託す。
穏やかにそして花々しく明日の戦いに臨もうとしている様子がうかがえる。
何とも「遮莫」(さもあればあれ)が引き締まった精神を示しているようである。

物凄く心にスッと入ってきた。

そして妙に心にかかる言葉だ。

    遮莫・・・然も有らば有れ


何度もつぶやいてみる。
視野が静かに目の前に開く感じがする。

    遮莫・・・然も有らば有れ



f:id:umryuyanagi104:20170901182533j:image:w360

2017-09-01

ほんのちょっこし・・・人間不信かな?

f:id:umryuyanagi104:20170827093325j:image:w360




何度も裏切られ、
それでも又人を信じて・・・
もうこの年では簡単には人を信じなくなっていたのに。

この性格・・・
一旦、信じたら何処までもトコトン信じてしまう。
誰がどんなアドバイスをくれても・・・見向きもしない。
所詮人の言葉は人の言葉。
自分を信じるのと同じくらいに信じてしまう。

そして又、裏切られる。
本当に懲りない奴。


f:id:umryuyanagi104:20170830084044j:image:w360



正に・・・

馬鹿である。
とんまである。
間抜けである。
たわけである。

も一つ・・・

だらけである。



心がどよーんと落ち込む。
眉間に皺が濃く、深く。

心の痛みから抜けだそう。
耐えがたいような無様で手痛い事をブログで書いた。
自虐もここまでくれば、もう怖いものはない。

     「どうだ!!!参ったか〜!!!」

昔の自分が今の自分を鼻であしらう。


f:id:umryuyanagi104:20170830083834j:image:w360



何の、大した事などない・・さ。
私が勝手に信用し過ぎただけの事。
相手はこれっぼっちも裏切った感ないのかもしれぬ。
こちらの信頼度が山よりも高いので勝手にそう思うだけかもしれぬ。
そうなると、責めは相手にではなく、自分にあるのだ。
そうそう・・(笑)


f:id:umryuyanagi104:20170827092027j:image:w360


で何とか、立ち上がった。(笑)
辛うじて。

チャ・チャ・・チャ〜ーン・・・♪
心でロッキーのテーマ曲を流す。



立ち上がれ…〜♪
立ち上がれ・・♪
ガンダムの曲までおまけ付き。。。

アリーマイラブのテーマ曲も・・・
何てったって、「振り」付きの大盤振る舞い。(笑)

一人大うけでいるが、話についてこれる人はいないだろう・・古すぎ。




月も9月になった。
仕事に励もう。

なんの・・・なんの・・・
一人、一から始めるだけさ。
振り出しに戻っただけのこと。

仕事がある・・
琵琶もある・・
能面だってある・・

何とかなるさ。(笑)


私って、目茶けなげじゃん。(笑)



f:id:umryuyanagi104:20170901182629j:image:w360

2017-08-19

体育祭 〜リベンジ編〜

f:id:umryuyanagi104:20170721090716j:image:w360


前回体育祭のふがいない私の事を書いた。
あのまま終わっては余りに自分が不憫なので忘れないうちにリベンジ編を書くことにする。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪♪・・・・・
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


29歳の時の話・・・・・私にもあった、こんな若い時が。
皆さんも信じられないだろうが、自分が一番信じられない。
人生は一瞬の夢〜幻〜。

子供が2人いた。
2人の子供を寝かしつける時によく絵本を読んだり、色んな話をして寝るまでの一時を私は楽しんでいた。一日のうちで一番好きな時間だった。
その日も3人でお布団の中にいる時だった。子供たちは既に寝息をたて静かな眠りに入っていたし、寝かしつけるはずの私もトロトロした眠気の中にまどろんでいた。
階下で誰か来客か。言い争うような声にも聞こえる。
眠さがまさり、寝返りをうったその時に義母が階段を上がってくるギシギシという音がする。
古い家だったなあ〜。
「起きてる?」
気兼ねそうに尋ねてくる。
「うん、何?」
と私。
「あのね、ちょっと玄関まで来て。お客さん〜」と義母。

カーディガンを羽織り、玄関に行く。
当時体育委員をしていた町会の女性がいた。
何となく険悪な表情だった。
母は後は任せた・・と言う風に居間にサッと行ってしまう。

私が話す前にまくしたてられてしまった。
「今度の体育大会、あなたの出るのはマラソンに決まったので」と。
「はぁ〜?!」
間抜けな返事をする私。
間髪入れずその人は
「あんたね、いつもいつも体育祭の度に逃げて今まで一度も出てないやろ?
今回どうしても人が足りないのでああもこうもないの、マラソンに出てもらう。びりでもいいから。」とのこと。
他の方々にも言われてきたに違いない。あそこの家のねえさんは絶対出んよ・・こうなったら絶対今年は出てもらうようにせんといかん、と。まさに決死の覚悟で我が家に来たに違いない。その方の形相を見れば手に取るように分かる。

校下でも多くの町会があった。若い方が多い団地や体育祭が命のように頑張る町会、お祭りやみこしに心血注ぐ町会、囲碁将棋に頑張る町会・・・どんなに人数が少なくても何とかやりくりして各町会から1人とか、2人とか・・・色んな競技に出ないといけない。そして町会同士が点数を競うのだ。
障害物はもとより、100メートル走、200メートル走、大玉ころがし、借り物競争、2人3脚、親子競争、などなど色々工夫された他のプログラムは何とかなった。
しかし、マラソンのしかも20代の女性出場者がいないとのこと。10代からはじまり、20代、30代、・・・・50代まであるそうな。男性陣は決まったそうだ。
「私は駄目。何とか他の方に。」
といつもなら間髪入れずに断固言う。
ももはや事態はそういうレベルを超えているところまで逼迫しているようだ。
体育委員の方の顔の表情は固まり、絶対譲歩しない風が見て取れた。目が座っていた。頭から湯気が出る勢いだ。

何とかならぬかと善後策を考える私にその方は畳みかけるように言う。
「どうしても嫌なら、誰か代わりの人を自分で探して!!代役の人の名前を実行委員長の所に自分で言いに行って。期限は1週間。印刷に入るから。」と。
実際20代の学生さんなら苦も無く出てくれるはず。しかし、その時にいた20代の何人かは、部活や合宿や、怪我や、旅行で誰も変われなかった。
20代の所に29歳の私かい? 酷くない? しかもその体育祭のすぐ後に30歳になるというのに。
「なんの、出るつもりでも当日病気になるということもある・・人間だから」
と含みを持たせた物言いの後、直ぐ帰られた。

人に言えないような卑怯臭い手は私の選択肢にはない。
何を言っても代わりを見つけるしか方法がない。
次の日から片っ端から聞いて歩く。
「ごめん、その日仕事なんよ」
「駄目駄目、マラソン何て絶対無理」
「子供のスイミングで県外まで送らんといかん」
「妊娠してるの」

挙句の果てには
「腰が悪い」
「心臓が悪い」
「膝が悪い」
まあまあ、ここまで言う? 皆本当? 20代でしょ?
体が悪いと言うとそれ以上は言えない。
だって走って悪化してもどうしてあげることもできんのだから。

f:id:umryuyanagi104:20170817100140j:image:w360


ところが最後のおうちで
「いいよ〜、私で良ければ〜♪」
という軽快な返事。
「走るの好きだから」
とも。
何ていい人、何て素晴らしい。私の目までキラリーン〜☆
神様に見えたよ、その人が。
「で?・・・・ん?・・・・20代のところ?無理無理、私30歳過ぎてるよ。」

がびょ〜・・〜・・・・・(町内一周)・・・・・・・〜・・ん。

万策尽きドヨーンとなる。
あの高校生の時の悪夢がよみがえる。
最後に無様にゴールする私に哀れみの拍手の嵐。
無理・・・無理…・・・又あんなことがあったら私二度と立ち上がれない。


一週間物凄く静かな私であった。
何か方法があるだろう…何かいい知恵があるだろう・・・何か思いつくはず・・・考えないと。

夜子供たちの寝顔を見ていると、事態の深刻さがなんともやるせなく胸に迫る。
高校生の時の一人の恥ではすまない。
この子たちの母親は・・とこの子たちまでずっと笑いものになってしまう。
今の世ならそんなことはあまりない。
親のことで子供まで何時までもとやかくは言われない。
しかし何といっても35年も昔の話。
「出る人がいない体育祭なら止めたらいいのに」
今なら平気で言えるのだが、当時は口が裂けても言えなかった。
何とかよい方法はないか・・
何か・・・何か・・・何か・・・・いい案がきっとあるはず・・・

f:id:umryuyanagi104:20170814132735j:image:w360


なんもない物なのよね。
とてつもなく走るのが好きな人が突然同じ町会に引っ越して私は旗を振って狂気乱舞する・・・・夢まで見たというのに。
結局一週間はあっという間に過ぎる。

腹をくくるしかない。
兎に角できるだけのことをするしかない。
気合いで熱を出して休む・・などという選択肢は私にはない。

大きなカレンダーを破る。
白い裏に細かく表を書く。
体育祭まで二か月ちょい。
横に60日分の日にちを入れ、縦にこなさないといけない事を書き入れる。

  柔軟、腹筋、背筋、脚力、スクワット・・・これは朝
  走行距離、所要時間、・・・これは夜

などをいれクリアできた段階によって×、△、○、◎を。
マラソン距離は3キロだったか、5キロだったか、鮮明ではない。
男性はもっと長かった気がする。
年配者は勿論少ない距離だったと思う。

出ると決まったからには3キロだろうが10キロだろうが走るしかない。
まずは1キロからタイムを計る。次の日はそのタイムを縮める。
1キロから始め2キロ、3キロと進み、最後の方には10キロか15キロくらいまで走った。
2週間もしないうちに腱鞘炎となり痛み止めの注射してもらいながらの練習となる。
「底の厚いシューズにしなさい」
と医者に注意されはしたのだが、もう二度と走ることはないだろうから無駄な事にお金は使いたくなかった。
踵を地面付けないで足先だけでひょこひょこ走り続けた。
踵に負担がない分、腱鞘炎の注射は2〜3日おきだったのが1週間に1度に減った。
「膝や腰に負担がかかる前にやめなさい。」
見透かされて言われた。
「大丈夫、物凄く短期決戦だから」

f:id:umryuyanagi104:20170818093510j:image:w360



2か月しないうちに何とか肩で息をしなくていい位までにはなった。
しかし、他の方のレベルが分からない。もっと速度をあげよう。もっと距離を伸ばそう。
もっと持久力と脚力を付けなければ・・と。バランスよく走るために腕の力もいる。腕立てを組み込もう。筋肉を作るためにタンパク質も多く摂ろう。
雨の日も台風の日も炎天下でも走り続けた。勿論子供がいるので走るのは子供が寝てからの話。
夜なので必ず途中通過として入れた場所

   交番の前、消防署の前、病院の前、柔道場、遅くまで仕事している大きなビルの前

なるべく車の多い大通りを走り、夜間灯の煌々と照らす道を選ぶ。
脚力を付けるため歩道橋があればできるだけ往復で入れた。
遅い時間でも明かりの長くついている場所などできるだけ入れた。
今のように市民マラソンが盛んであったわけでもない。
誰もいない夜、静かに黙々と一人走り続けた。
時間にして2時間は走り続けた。体調によっては途中歩く日も当然あった。
頭を真っ白にしてただ黙々とひたすらに。
それは「行」に近かった。

f:id:umryuyanagi104:20170814181823j:image:w360



雷が鳴り雨がバケツをひっくり返したように降る日、いつものように走りに行こうと玄関に行くと、
「一日休んだからと言って変わるもんでなかろう〜」
と義父がやんわり止めた。
「こんな日に走るなんて無茶苦茶や」
と義母も必死に止めた。

「今の私には休む余裕なんてない」
「走る分には天気は関係ない」
と私は外に出る。決めたら人の言う事など耳を貸さぬ。
ヤッケを着て帽子を被る。
「一概」と「きちがい」は一字違いやとその時に義母にいわれた言葉。
言い得てて妙〜(笑)
その言葉を背で受けて玄関の戸を閉め、土砂降りの雨の夜に走り出す。

もはや気のふれた女だった。
子供たちにまで迷惑はかけられん。
せめてとてつもなく遅れてゴールする無様さは避けなければ。
その一念しかなかった。



     かくて体育祭の日・・・・
         またもや運命の日・・・・私には運命の日が本当に多い。


マラソンは最後のプログラム
何処を走るかは当日まで分からない。
グラウンドから出て街頭、そしてグラウンドに戻る、という。
曲がり角には係の人が立っていて年代別の旗を振り行く方向を示してくれる。
ああ・・どうか行く道を私は間違えませんように。どうかとんでもない方向に行きませんように。実はそれが私には一番の心配事でもあった。

10代の男性、女性
20代の男性、女性

と言う風にスタートを切ったように思う。
老いも若きも、男も女も入り乱れてのマラソンだったように思う。
スタート地点で子供たちが「ママ頑張って」と言う。
義母は、この子たちは任せて、ちゃんと見ているからと真剣な表情でいう。
頼んだよ…本当に。


各町会だけで20は優にあったのではないかと思う。
なので知らない人がほとんどで私の前にいる人が10代なのか20代なのかもわからない。
中年の方は走る距離が少ないので途中から合流するような順路だった。

最初から行ける所まで行け・・・とかっとばす。
最初から全く力をセーブしないと決めていたから。
走れるだけ走る、それしか思っていなかった。
基本、どんなことも駆け引きなどできる私でもない。
心臓が破れるなら破れろ・・とばかりかっ飛ばす。

走っている最中に男性で「心臓が・・」と歩き始めた方もいた。
「足がつった」と腰を下ろしている女性もいた。
もはや距離の長さに諦めて「出るのではなかった」と歩いている女性もいた。
その時の私はといえば、心臓が止まっても構わない、最後になるくらいなら、命も尽きよと自分に言い聞かせていた。

もう順位もどうでもよい。この酷さから抜け出たい…歩きたい・・・時々そんな心の声がする。
そんな誘惑にかられた時、自分を叱咤した。
「何という情けない奴だ、お前は。今までの努力を無駄にするのか」と自問する。
「無駄にしてもいい。疲れた、ひどい、歩きたい。」と言うもう一人の自分。
「けっ!!!あの高校の時の障害物の時の無様さをもう一度味わうがいい!!!」
「トイレでめそめそ泣いたのは誰だ!!!」
「今度は子供たちにもそんな思いをさせるのか」
自分で自分を叱咤する。高校の時のあの惨めな次の日が胸に迫る。本当に辛かった。
ここで死ぬくらいならゴールしてから死ね・・・・・極悪非道の私がいた。
行け・・このまま・・・行け・・・あの子たちに会わせる顔がないだろう〜
子供の事を出されたら頑張るしかない。
たったそれだけを支えに生きていた女だから。

f:id:umryuyanagi104:20170818122751j:image:w360


グランドに戻ってきた。ほとんど前には誰もいない。
「えっ?まさか最後?」
いや、違う。誰もまだのようだ・・すぐ後ろに何人かいる。
綱の張った向こうに子供たちが見える。
義母のびっくり驚いている顔も見える。
「ママ!!」といいながら飛び跳ねる子供の声。
4歳のその子が喜び勇んで綱を乗り越えてコースに出て来た。
義母が止めようとしてつんのめる。
下のまだろくに歩けない子がよろよろと綱を潜り抜けてコースに来る。
おぼつかない足で私の脚にしがみつく。
危ない…後続のランナーたちがドンドングラウンドに入ってくる。
町会の人たちの「早く行け!!後ろに来てるぞ!!!」の声が飛び交う。

私はちょっとためらいはしたが、引き離されまいと必死にしがみつく下の子供を左手に抱え、
4歳のその子に聞く。
「ママと一緒にゴールしよっか?」
「うん!する!!」
右手に上の子の手を引き3人でゴールした。

そのほんのしばらく後で2位の人がゴールしたようだ。

その2位の人の町会の人からクレームがつく。
子供を連れて、ゴールしたのはあれは違反ではないか…と。
あんな順位は認められないだろうと。
あんなマラソン見たことないぞ、と。

委員長を囲んで体育委員が1位として認めるか、失格かで協議が難航しているようでもあった。
知ったことか・・・・私はどうでもよかった。
私は1位でなくてもいいのだ。私は無様な最後だけは避けたかっただけ。
3人でゴールのテープを切れて物凄く満ち足りていた。
失格でも少しも構わなかった。

委員長がマイクを持ち、物言いのついた理由とどういう決着になったかを会場に向けてアナウンスした。
「子供を抱えて、手を引いてゴールしたことは1位になることの障害になっても、あの状況ではなんらとがめられるものではないと判断した」と。
「お〜・・・・!!!」
わが町会からは盛大などよめきと拍手。


大きな景品を頂いて3人席に戻る。
抱えた下の子の胸には一位を示す赤いリボン、
上の子は景品の大きな包みをガラガラと引きづりながら歩いて。
町会の方々から拍手で3人迎えられる。子供2人は何となく照れている。
景品は当時としては珍しい木の蓋付きの大きな四角いおでん鍋であった。
4つ仕切りの有るホーロー鍋で美しい花の模様も付いていた。
ホーロー鍋は当時としては物凄く貴重でしかも高かった。
30年位我が家で重宝して使っていた。

翌日からは会う人会う人ごとに、違う町会の人からも、
「あなたは走る才能をなぜ今まで隠していたのか」と言われた。
「絶対走れない人だと、皆で言っていたのよ」と。
あの強引に私に押し付けていった体育委員の人ですら
「ダントツで見ていてとても気持ちよかったわ〜あなたあんなに早く走れるのね。」と。
走れるのにそれをじっと隠し辞退する、私はいつの間にかとても謙虚な人になっていたようだ。
あり得ない。この私が謙虚? はあ〜? 見る目がなさ過ぎ〜。
謙虚から一番遠い所にいるというのに。(笑)

あの無様なラストから14年後のこと。
高校生の時のトラウマがやっと私の中でほんのすこーし消えた日でもあった。
失敗があるから成功がある。
人生で取り返せない失敗などそうそうないのだと体が教えてくれた日・・・・

f:id:umryuyanagi104:20170814132548j:image:w360



リベンジ編・・・・お・し・ま・い〜♪



     ◇♦♫◇♦・♪*:..。♦♫◇♦*゜¨゜・*:..。♦♪ ♦♫◇♦・*:..。♦♫◇♦*¨゜・♪*:..。
 
                       【参考までに】

      ◇♦♫◇♦・♪*:..。♦♫◇♦*゜¨゜・*:..。♦♪ ♦♫◇♦・*:..。♦♫◇♦*¨゜・♪*:..。
       


     
       

        ※ 稲刈りの思い出
           http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20131014/1381704464

        ※ 稲刈りの思い出〜リベンジ編〜
           http://d.hatena.ne.jp/umryuyanagi104/20150815/1439624962

このリベンジ編の時にブログ友の「瑞閏さん」が「ランナーズハイならぬファマーズハイ」という言葉をコメント欄に書いてくださった。その時にいつか暇な時に無様な高校の時の体育祭の事を書こうと決めていた。決めてはいたのだが、何と二年もかかってしまった。