金平糖(こんぺいとう)

  私・アンクルは現在三つのメールマガジンを出している。その内の一つ、「郷愁の食物誌」は月1、毎25日が発行日だ。この3、4回はかってこども時代親しんだなつかしいおやつを話題に「郷愁のおやつたち」という内容で書いている。

 今月号は、「金平糖(こんぺいとう)」その出だしの部分、数行を紹介しよう。

郷愁のおやつたち・金平糖(こんぺいとう)

 そうそうおやつになったというわけではないが、金平糖は素朴で郷愁感いっぱいのお菓子である。その金平糖のある風景とともに、「いろはにこんぺいとう、こんぺいとうはあまい、あまいはおさとう、しろいはうさぎ、−−−」ずっと続いて「光るは親父のはげあたま」で終わる”わらべ唄”か、はやし言葉も思い出す。

 今のこどもも金平糖は知っていると思うがどうだろうか。確か祭りの露店に、”金平糖専門店”もあったような気がするが。表面に角がいっぱいはえてデコボコしている”小さな星粒”のような砂糖菓子である。ガラス瓶の中で赤、青、緑、紫など、色のついた金平糖は宝石のように見えた。そして口の中で甘く柔らかく上品に溶けて...。

 金平糖は、昭和というよりずっと前の大正・明治の香りもする。ウィキペデアによれば、初めて日本に金平糖が伝わった時期については諸説あるが、1546年(天文15年)にカステラなどとともに南蛮菓子としてポルトガルから伝えられたされるとある。。語源はポルトガル語のコンフェイト (confeito)とか。私の参考書「たべもの日本史総覧」(新人物往来社)には、1569年(永禄13年)、4月、宣教師ルイス・フロイス、二条城に織田信長を訪問し、金平糖などを贈るとある。また、貞享年間(1684〜88)に上方で金平糖がつくられるようになると載っていた。