映画「ゴッドファーザー」

 昨日の晩、BSで放映されていた「ゴッドファーザー」(1972年)を見た。
 シリーズ全3作を数える、マフィア一家の運命を描いた大河ドラマの名作であるが、unizouは今回初めて見た。
 「ゴッドファーザー」とは、マフィアのボスあるいはファミリーのトップへの敬称であるが、本来はカトリックでの洗礼時の代父(名付け親)という意味だそうだ。イタリアなどの伝統的なカトリック世界では洗礼時の代父・代母は第二の父母であり、後見人的な存在として生涯の関わりが続いたことに由来している。アメリカにおけるイタリア系移民社会でも本国同様に代父・代母とのかかわりが重視されていたため、場合によってはイタリア人社会の実力者であるマフィアのボスに代父を頼み、協力を惜しまない代わりに庇護を求めていたという歴史的背景があり、劇中でも「名付け親」であるボスを頼ってくるシーンが幾度も描かれていた。
 映画は第二次世界大戦後のニューヨーク市郊外で行われる、ゴッドファーザーであるヴィトの娘コニーの結婚式から始まる。まぶしい太陽の下でにぎやかに繰り広げられる祝宴と対照的に、暗い室内でファミリーの「ドン」(ボス)に、法で裁けない復讐を願うボナセーラという葬儀屋を経営する男の嘆願の静かな場面がコントラストを描いている。ここでファミリーのドンというものが、いかなる存在であるかが示される。長男、次男は父を手伝っているが、三男のマイケルは家族の仕事を嫌い、第二次世界大戦の英雄となり軍務を終えて大学に通っている。
 やがて他のファミリーの傘下にいるソロッツォから麻薬がらみの仕事が舞い込み、ファミリーはその仕事を断るが、ヴィトはソロッツォの部下によって狙撃される。父ヴィトが重傷を負うことで、これまで家族の仕事を嫌ってきたマイケルが初めて家族のために協力を申し出、兄ソニーが殺害されるにいたって、マイケルが新しいドンとして権力を継承していく姿と、その苦悩が描かれる。
 物語終盤、マイケルがコニーの子供の洗礼式に立ち会う場面と、マイケルの指示によってニューヨークの5大ファミリーのボスたちが次々に殺害される場面の静と動、生と死のコントラストもまた映画史に残るワンシーンである。
 unizouがこれまで「ゴッドファーザー」を見なかった理由のひとつに、単なる犯罪、暴力、闘争といったギャングの物語というイメージが濃かったからだ。しかし、実はこの映画が、ギャング世界を舞台にしながらも、組織、家族を守るために奮闘する男たちの姿が主要なテーマと分かると次第に映画に引き込まれていった。
 特に親子を中心とする一族企業でありながら、一方、父が1代で築くまでに参謀として関わってきた仲間との関係もあり、これは、今の老舗企業等にも通じるものがある。
 他のギャングの息がかかって誘惑され、もといたファミリーを裏切る者、どういう者がファミリーを裏切るか、いち早く察知するボスの資質、右腕としていかに名参謀を育てるか、二代目に譲る際、それまでの重鎮らをどう納得させるかなど、一般企業に通じる場面がいくつもあり、組織論を見ているかのようだった。
 来週、「ゴッドファーザーⅡ」が放映されるそうだ。今からⅡが楽しみだ。