Vertigo

えらいことになった。零細ブログの拙エントリーに複数の方からトラックバックを頂いた。なかには「ARTIFACT@ハテナ系」なんて名前も・・・・。おかげでカウンターが見たことない速さで回りだし、僕は目を回し、頭のなかでは中島みゆきが『時代』のサビをエンドレスで熱唱。トラックバックを寄せてくださった方、拙エントリーを読んでくださった方、本当にありがとうございます。
お恥ずかしいことですが、この半年間、ひたすらノイズばかりを書き綴った月、ノイズをカットしようとしてディスプレイの前で頭を捻りなかなか思うように更新できなかった月、苦し紛れにブログのレイアウトをいじり倒す日々などを経て、消えるか消えないかの瀬戸際で拙ブログを続けてきたにもかかわらず、あまりの零細ぶりにトラックバックを頂く機会はほとんどなく、したがって、今回のように自分のエントリーに対して複数の方からトラックバックを受けた場合、慣例としてどのように対応すばいいのかよくわからず、慌てて方々のブログを巡回してトラックバック作法を小一時間ほど復習した末に、いまこのようにして言い訳がましい書き出しとともに僕は語り始めようとしているのですが、巡回した結果、トラックバックを頂いた際は前置きはそこそこに、すべからく本題に入るべしと学んだ僕は、この時点ですでに失点を重ねているのかもしれません。いやはや。対応に不備がありましたら、どうぞお叱り下さるようお願い申し上げます。
拙エントリー「自己処罰のスパイラル」は、今年2月21日に切込隊長のエントリーをきっかけにしてネットを駆け巡ったある青年のウェブ日記を読み、そこで感じたことを敷衍して書いたものでした。僕は彼の日記に綴られた言葉のなかに自分との否定できない類似点を発見して驚き、またそこに寄せられたトラックバックやコメントのなかに、僕が感じたのと同じ驚きを表明している人たちの言葉を見つけ、一連のエントリーを書かずにはいられなかったのです。(関連エントリーはこちらこちら
「自己処罰」というのはid:kanoseさんが仰るように、確かに意味が把握しにくい言葉だったかもしれません。それに一般に「自己処罰」というと、リストカットやその他の自傷行為を思い浮かべる人が多いことも考慮に入れるべきでした。
ただ一方では、「自己批判」や「自己否定」という言葉にはすでに一定のイメージが定着していて、自分自身に向けられた憎悪や憐憫と共にある、その思考形態を繰り返させてしまう疼きのようなものを「自己批判」や「自己否定」という言葉ではうまく言い表せないような気がしました。批判や否定ではなく、「罰する」という行為のなかに含まれる快感のようなもの。それがこれらの感情と悪循環のなかで重要な意味を持っているように思えたため、僕はそんな心的所作を「自己処罰」と呼びました。
その違いは、わかりにくい例ですが、仮に人間の成長が弁証法的になされるものであるとすれば、自己批判や自己否定は反定立になり得ても、自己処罰は反定立になり得ず、ひたすら対象の成長可能性を毀損し続けるものと言えばいいか・・・。批判も否定も処罰も対象に対して異議を唱えるという点では一致していますが、その自己否定が何らかの目的になり罰することを求めるようになると、批判や否定という言葉では汲み取れない不穏さを帯びるような気がします。もちろんこういったことは言葉の問題ですので、ひとによって同じ言葉から受ける印象も違うでしょうし、あえて強弁するものではないです。
こうやって記事を書いてる間にも新たに多くの方が様々なリンク元から当ブログを参照してくださっており、改めてブログの凄さを実感しています。そのなかのひとつ、kosekiのブックマークで興味深いリンクを見つけました。「何もしない人ほど批評家になる」。id:kosekiさんがコメントで仰っているように、多くの点で拙稿と似ていると思います。というかこれを読むと、「自分は心理学では当たり前のことをもっともらしい顔をして書いてしまったのだな」と面映い気持ちにさえなります。もちろんすべてが同じというわけではありませんので(強いて違いを強調すれば、拙稿の前半部分、自己処罰という虐待性とそれゆえに常態化する点などはリンク先では述べられていないことかと(汗))、合わせてお読み頂くとよいかもしれません。
こういった発見はブログならではと言いますか、これまではてなのサービスを利用してきて、リンク元トラックバックなどの効果を、初めて感じています。また、寄せていただいたトラックバックに刺激される形で、自分が自己処罰について、どのようなものかを具体的にはまだほとんど述べていないのだなということも教えられました。というか、ここに至るまでに何度か説明を試みようと思ったのですが、どうも同語反復になってしまうというか、正直なところ、まだ考えがまとまりません。その点については、今回のように多くの方にいろいろご教授いただく形で考えていければと腰が引けたことを思っています。
かなり強引な幕引きですが、なにせアクセス数が300を超えるという常ならぬことに眩暈は止まず、うまく整理できないでいるのです。プレゼンで30人の前に立つのも足が震える人間ですから(爆)。したがって以上をもちまして、お礼とご挨拶を終えさせていただきたく思います。今後ともよろしくお願いします。