上昇気流

細々とひとりごとを呟き続けています。

まねぶ

「まねぶ」ことから「おぼえる」の段階に到り、最終的には「さとる」の段階に到る。

最初は人の真似事から始まり、次第にそれを自分で活用出来るようになってきて、最終的には教えられなくても自分で判断できるようになる、と。柳田國男が言っていたらしいです。と、大江健三郎の本で読んだ。やはり、何事も最初は真似事から入ってしかるべきなのだと思う。徐々に慣れてきて、どのようなものかわかってきてから、徐々に自分の裁量の下で動かせる範囲が広がってきて、ある程度「自分のスタイル」が出せるようになってくる。狂言にしてもそう。野村萬斎のドキュメンタリーを見たのだけれど、あの世界も完全に「真似事」から入っていく。民俗学と日本古来の伝統芸能という点でかぶっている部分は多いのかもしれないけれど、これは割と広範に当てはまるものの考え方なのだと思う。技を「教える」のではなく、「盗む」という考え方。

自分で活用できる段階になると、今まで半信半疑でやっていたことがどういう意図でやっているのかを次第に掴めるようになってくる。それまでは、「おぼえる」ことも「さとる」ことも必要以上に求めすぎてもいけないのだとおもう。必ず段階を踏んでステップアップするということ。その速さに違いこそあれ、次の段階に進む前には必ず前段階が必要となる。そこで焦るのではなく、必要なことなのだと割り切って耐えること。概して焦って先のものを求めがちだけれども、あくまで物事には順序と段階があるということを意識するだけで、随分と物事が楽に捉えられるのではないかなぁと思った次第です。今いる段階を客観視するのは難しいのだけれどね。

ただ、先に進もうと思う気持ちがなければ先に進まないのは事実。この辺で色々と損している部分があるのも自覚しています。先に進むことを躊躇し続けていること。まぁ、これに関しては、自分の中で答えが出るまで未だしばらく保留を続けるしかないのかな。然るべきタイミングで然るべき道筋は見えてくるでしょう、自然と。

昔の段階の話とはちょっと違うと思うけれど。