100%の理解
内田樹って人が今朝の朝日の29面でいいこといってた。
つきあいを長く続けるこつは「人間関係を理解と共感の上につくらないこと」だそうだ。
人間同士、100%の理解なんてものはそもそも不可能なのだよ。自分自身がなるべくその割合を増やそうと相手に対して努力するのは別に良いと思うけれど、それがあたかも達成可能な出来事であるかのように思ったり、そもそも割合を増やすことが出来ると考えるのが間違っているのだと思う。相手にそれを求めるのも酷だよね。けれども我々はどうしても「100%の理解」なるものが達成可能であると錯覚してしまい、なおかつその幻想を求めてしまう。その結果、色々なところですれ違いや齟齬が生じていくのだね。あるいは、自分自身を苦しめる結果にもつながるかもしれない。
多様性を認めることは非常に大事なことだと思う。これは別に狭い人間関係に限ったことではなくって、割と色んなことに言えると思う。多様性を認めることで自分自身にも余裕が生まれるし、幅が広がると思う。まぁ、「理解というものは、つねに誤解の総体に過ぎない」っていう某小説の一節が頭に残ってるくらいだから、結構僕自身の身に染み付いた考え方なのかもしれないけれどね。読み過ごそうと思えばいくらでも読み過ごせる一文だし…。
あと、これは単なる思いつきなんだけど、これって結構オトコ視点じゃないか??と思う。男の人は結構こう考える傾向が強いように思うのだけれど。その辺からまた齟齬が(ry
工作
久々に工作しました。
ケータイの充電器を改良しました。僕のケータイ、クレイドルにつけてしまうとスライドできなくなって、充電しながらメールが出来ないというまさかの使えなさを発揮していたので、それを打開するために削ることにしました。クレイドルを使わずに直接充電器のプラグをさしこめばメールできるんだけど、なんとなくそのたびにキャップの部分を開け閉めするのも嫌だし、せっかくクレイドルがあるので、スライド式の画面の部分を上にずらすことが出来るように、スライドを妨げていた部分のプラスチックを小刀で徐々に削り取ることにしました。特に配線とかもないし、プラスチックだから削っても問題なかろう、と。また、引っ掛かりの部分がちゃんと出来てるので、うまいこと削れば固定性、安定性にも問題はないということで削ろうと。飛び散った削りかすを集めるために下にチラシを敷き、時期が時期だけにとにかく怪我だけはしないように慎重に削った。久々の工作だったけど、結果的に割とうまいこと出来た。角も丸めて、ひっかかって傷もつかないように出来たし。上出来。
これで、クレイドルを使って充電したまま、メールが打てるようになりました。うん、満足した。かかった時間はだいたい40分くらいかな。文化放送のライオンズナイター聞きながらだったのでさくさく進みました(笑)。今日は素晴らしい試合だった(^^;)。