バースデーディナー@オテル・ドゥ・ミクニ

昨日は家内の誕生日ということでグラン・メゾン(正しくはグランドメゾン)の老舗、オテル・ドゥ・ミクニでディナーを頂きました。JR四ツ谷駅赤坂口から徒歩7〜8分、学習院初等科正門を右手に曲がり塀に沿って歩くと一軒家の瀟洒なレストランに到着です。迎賓館はすぐ目と鼻の先、都心にありながら信じられないくらい閑静な住宅街の一角にあって、まるで隠れ家のようです。


バーカウンターのソファに座るとほどなく厨房内の廊下を通ってゲストルームへと案内されます。パークハイアットをはじめ今ではオープンキッチンは決して珍しくありませんが、ミクニ創業当時の1980年代には相当珍しかったのではないでしょうか、時代を先取りしていたことになります。

平日にもかかわらず8割方席は埋まっていました。ミクニミシュランの星を持っていません。その理由をめぐって毀誉褒貶が激しいことでも有名です。知人のなかには酷評する向きも少なくありません。パリバに勤務していたとき、支店長はミクニで定期的に競合先支店長と会食をしていましたから、本国フランス人の受けは決して悪くはなかったはずなのですが・・・。


さてさて、今宵のお料理はと云うと、アミューズ、冷製じゃがいもスープ、黒鯛とアイナメのグリル、鴨のラビオリ、デザートというコース仕立て。お魚には紫芋のリゾットや蕪が添えてあってミクニ流創作フレンチの真価発揮といったところ。ハンガリー産鴨のラビオリもパセリソースと絶妙なコンビネーション。概してフレンチというとソースがくどく感じる場面がありますが、ミクニ流はバランス重視で日本人の味覚にぴったりです。

というわけで味にうるさい連れも満足のバースデーディナーとなって、先ずは胸をなで下ろしたところです。

人気ゾウの「はな子」逝く

このところずっと元気のなかったゾウの「はな子」が昨日息を引き取りました(推定69歳だったそうです)。自宅から徒歩数分の散歩エリアにある井の頭自然文化園、ちびっ子には動物園と言ってあげた方が分かり易いでしょう。ライオンやトラといった猛獣が飼育されていない代わりに、昭和レトロの風情漂う遊園地を併設しています。


そんな心和む園内で随一の人気者は「はな子」でした。朝刊が「はな子」の死を大きく取り上げているので吃驚しました。井の頭自然文化園にやってくる前は上野動物園にいたこと、そして戦時中に餓死した「花子」というゾウに因んで「はな子」と名付けられたこと、まったく知りませんでした。ゾウ舎から戦後動物園を訪れる家族連れをずっと眺めてきたというわけです。ゾウの歯は4本の巨大な臼歯、生涯で数度生えかわりますが、歯がすり減って食べられなくなると寿命だと云われています。「はな子」は83年からずっと飼育員が拵えた特別食を食べていたと云いますから、日本一の長寿ゾウでした。これから、「はな子」と会えないと思うと寂しいかぎりです・・・

「はな子」の名前の由来を知って、敗色濃厚となった1943年頃、全国の動物園で行われた猛獣殺処分をめぐる悲話を思い出しました。最初に殺処分が行われたのは上野動物園です。飼育員が断腸の思いで3頭のゾウを毒殺しようとしますが、嗅覚の鋭いゾウは餌に口をつけずやがて餓死してしまいます。『かわいそうなぞう』という物語でよく知られている話です。空襲で都市が攻撃されて猛獣が野放しになれば大変な事態です、おまけに物資が乏しくなって餌の遣り繰りも大変だったことでしょう。やむをえない措置だったとはいえ、動物たちを襲った戦時中の心痛む悲劇でした。殺処分の命令を下したのは初代東京都長官、軍部ではありませんでした。

一方、名古屋にある東山動物園では、戦争末期、園内に駐屯することになった三井高孟という獣医大尉が軍の命令に反して秘かにゾウ舎のそばに餌を運び込みました。軍馬の餌を横流ししたのでしょう。ばれれば軍法会議で銃殺刑ものです。園長はじめ飼育員らが<ゾウは人を襲わない>からと精一杯嘆願したことも奏効したのでしょう。三井大尉の命懸けの行為のお蔭で、戦後荒廃した街に思いがけない幸運をもたらします。


こうして助命されたマカニーとエルドが終戦まで生き延びました。戦争前に279種961いた東山動物園の動物は、2頭のゾウのほかにチンパンジー1匹、カンムリヅル、ハクチョウなどの鳥類約20羽だけだったそうです。「はな子」がタイからやってきた1949年、東京や大阪をはじめ全国から「ぞうれっしゃ」に乗って子供たちが次々と東山動物園に押しかけます。ゾウの背中に乗ったり集合写真を撮ったりと、それはそれは大変な賑わいだったそうです。

ゾウの「はな子」もこのマカニーやエルドと同じように、荒んだ戦後から立ち上がろうとする子供たちを励まし続けてきたに違いありません。