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高野山・龍神の旅(1)


早めの夏休みをとって2泊3日の旅行に行ってきた。もっと前、この日休みが取れそうだと気づいたころ、2泊3日であれば、沖縄や北海道、あるいは台湾や韓国にだって行けると思った。しかし、遠くに行って何をするのだろう。買い物。食事。文化。沖縄には去年行った。韓国にずいぶん行った。そうした旅に飽きていた。物理的な遠さではなく精神的な遠さが必要だった。精神的に遠い場所。なぜか第一に高野山が頭に浮かんだ。日本を代表する聖地。日帰りでは行ったことがあるが、どっぷりと浸かってみたい。高野山の雰囲気を味わってみたかった。そこで、高野山の宿坊に一泊し、龍神温泉に足を延ばしてもう一泊する夏休みの計画を立てた。



高野山を訪れるのは3回目となるが、来るたびに本当に良いところだと思う。山の中にある聖地で、ここは下界とは雰囲気が明らかに違っている。コンビニはないし(只今1件建設中…やめてほしい)、スーパーもない。個人商店はあるが、品揃えに限りがあり、はっきりいって住むには不便なところだ。しかし、接する人、みんなが優しくて、穏やかだ。例えば、信号のない横断歩道の前で立っていると、車が停止して渡らせてくれる。私も高野山では自然にそう行動する。自分が自分がとか、早く目的地にたどり着きたいとか、新しい時計を欲しい、とか、そのような欲がなくなってくるようだ。確かにここにいると、ギラギラした気持ちが薄れてくる。顔も穏やかになってくる。穏やかな時間がここでは流れている。時間の流れ方が違っている。


また御朱印。私は御朱印集めが今年の2月から自分の趣味に加わり、できればいろいろなところでいただきたいもので、普段はあっちもこっちもみたいな感じでお参りして御朱印をいただくのだが、高野山では不思議にそんな気持ちにならなかった。お参りして、結果的にいただければそれでよかった。事実、子院を訪ねる時間はもっとあり、もっと行けたはずなのに、急がなかった。じっくりとお参りした。ここでは欲がなくなっているのか。



高野山の中心は壇上伽藍(大伽藍)だ。壇上伽藍は、弘法大師空海密教を広めるためにつくった根本道場で、写真の根本大塔の御本尊は大日如来大日如来金剛界四仏と柱に描かれた堂本印象による十六大菩薩が囲む。さらにそれらを見守るように、空海空海の師・恵果など密教を伝えた8人の人物画が掲げられている。


根本大塔の手前に位置するのが金堂で、こちらには金剛界曼荼羅胎蔵界曼荼羅が左右に掲げられている。


それぞれのお堂にお参りするのに200円の入場料がいるが、入り口に係の人がいるわけではない。自分で200円を賽銭箱に入れて自由にお参りするシステム。面白いのは、南海電鉄発行のミナピタカードがあれば、入場料が2割引きになるということだ。入口に貼り紙がされていて、その場合160円を賽銭箱に入れればよい。お金を入れずにお参りする人はきっと高野山にはいない。高野山を訪れる人は全面的に信用されている。


また内容とは直接関係ないが、高野山内の駐車場は無料だ。金剛峰寺前の駐車場などはそれなりに混雑し、空いていない時間帯も多いが、お金はかからない。霊宝館の駐車場も無料だ。奥之院近くの中之橋駐車場も無料。中之橋駐車場の手前の道路脇にも駐車スペースが相当数あって、こちらも自由に停めることができる。高野山では拝観や移動にお金があまりかからない。


壇上伽藍を拝観し終わったら12時を回っていたので、食事をとることにした。昼食は『花菱』でいただいた。『花菱』は高野山料理を名乗り、私は過去に2回行ってすっかりファンになっている。「ようお参りいただきました」というのがお店のあいさつとなっている。訪れる人に対する気持ちは飲食店のものではなく、高野山の一員としてのものだ。素晴らしいと思う。



妻は『三鈷膳』という精進料理のメニューを、私は『日々好日弁当』という一般的なメニューを選択した。メインの茄子の形を三鈷杵に見立てているのだろうか。高野山以外にありえない、高野山らしいメニュー。



子供向けの『稚児弁当』というメニューがあって、子供用に注文した。ネーミングが秀逸。こんな料亭みたいな店なのに嬉しかった。子供向けとはいっても作りに手抜きは一切なく、子供が食べきれなかったので残りを食べたが、大人が食べてもじゅうぶん美味しかった。


昼食後、奥之院に向かう。奥之院は、空海が入定した御廟があって、いまでも空海は生きてお祈りをしているとされる。高野山では「お大師様は生きている」と普通に言われる。そして「いまでもお祈りをしている」とされる。毎日朝5時半と10時半の2回、高野山の高僧が弘法大師のために食事を持っていく習慣がいまでも続いている。



奥之院は森に囲まれていて昼間でも薄暗い。静寂が支配する。十万以上とも言われる数えきれないくらいの墓石を前に、世の無常を感じる。敵味方関係なく、また宗派も問わず受け入れられている。肉体が消滅した後、皆、弘法大師の近くに居たいのだろうか。



この先が、空海が入定した御廟で、いわば高野山の心臓部である。撮影禁止、脱帽の上、私語も厳禁である。



苅萱堂。苅萱道心と石童丸の物語が知られている。



簡単には説明できない悲哀の物語だが、あえて簡単な説明を試みてみる。

これは、家族を捨てて出家した父の行方を母とともに探していた『石童丸』の話である。
二人は父を探し高野山を目指す。当時の高野山は女人禁制であったために、母を麓に残し、『石童丸』一人で高野山に上る。『石童丸』は、一人の僧に出会う。『石童丸』はその僧に尋ねる。「父を知りませんか」。そして母から聞いた父の特徴を伝える。その僧は言った。「その男は死んだよ。お母さんに伝えなさい。それ、そこがその男の墓だ」。
さらに、下山してみると、麓で待っているはずの母は病死していた。悲しみに暮れる『石童丸』。石童丸は父の死を教えてくれた僧を思い出し、再び高野山に上る。そして僧の弟子となる。
その僧の名は円空。質素な萱の庵で修行する彼は『刈萱道心』という名で知られていた。実はその僧こそが『石童丸』の実の父親だった。今は出家した身であり、自分の息子と会っても名乗ることができず、自分が死んだと教え、適当な墓を指し示したのだった。『石童丸』にとっても、母から聞いた父の面影と重なる部分が強くあったはずだ。二人は親子でありながら、師匠と弟子として、お互いに肉親であることを表に出さず、その後30年以上仏の道に励んだといわれる。


一言でいうと崇高。その舞台となった苅萱堂である。



苅萱堂を訪れた後、宿泊先に向かう。今回お世話になったのは『総持院』という宿坊だ。いままで私は本格的な精進料理を食べたことがなかったが、これがすごかった。以下続く。


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