少しだけ寝坊してからバスでネカフェへ。
途中の長野駅で遅い朝食。
土曜日の午前中の長野駅は観光客がいっぱい。
スキーヤーやボーダーや、
善光寺観光みたいな人達が沢山。
中でも西洋系の外国人スキーヤーやボーダーが目につく。
国際化?
でも、
相変わらず駅東口のバス停に停めるマイカーが多い。
平日のバス通勤でもバカドライバーがバス停に車停めてるからバスの邪魔になってるのをよく見るが、
土日休日も通勤じゃないドライバーが車停めてる。
ロータリーに一般車を停められる場所が少ないのは知ってるが、
だからといってバス停のスペースに堂々と停めてるいい歳した大人のドライバーは何を考えているのだろうか?
「だって他に車を停める所が無いじゃないか!」とか、
「バスなんてそんなに来ないからいいだろうが」とか、
「みんな停めてるし」とか、
「バス来たら退けばいい」とかくらいしか考えてないだろう。
去年バス会社が停留所に「バス停は駐車禁止です」という立て看板を立てたが、
相変わらずモラルの無いバカな大人のドライバーばっかりだ。
県をあげての観光キャンペーンをやったりして、
外国人観光客が増えたりはしている。
でも・・・・、
新幹線の北陸延長で長野を素通りされるんじゃないか?という不安から「北陸新幹線の名称に“長野”の2文字を入れろ」とか、
JRからも地元自治体からも厄介者扱いされた挙げ句に第三セクター化される平行在来線の行く末とか、
そんな事を言う前にやる事や言う事があるのではないのかなあ?・・・。
あらゆる世代のバカな大人を見る度に、
もう既におかしくなっている世の中を憂いでしまう。
手遅れ感とでも言おうか。
今時の若者云々とか、
大人が見本をとか、
もうそういうレベルの話しじゃないと思う。
大人からしてダメなんだから、
「やる」か「やらない」かの二者択一しかないんじゃないの?。
自分は困らないからって奴は「やらない」を選べばいいけど、
ただし世の中がどうなろうと口は出しちゃいけない。
最近こういう世の中になったのではなくて、
既にかなり昔からこんな世の中だったというだけの事。
今更「なんでこんな世の中になってしまったのか」などと問題提起するのは遅すぎるんだよ。
モラルや常識や公共心や、
欲求を我慢する事なんて、
大多数の大人には全部備わっている事が前提の「世の中」なんじゃないの?