内田樹著「下流志向」をめぐる考察(1) 師弟関係から情報産業へ

内田樹先生は、「教育とは、師弟関係によって成り立つ」とお書きになっています。

特に、道のつくもの(武士道はじめ、茶道、書道、柔道など)はそうですが、技の伝授の前にまず絶対的な尊敬に基づく師弟関係がある。弟子は、師匠の人間性に感化され、モチベーションが上がっていきます。一方、師匠のほうも、弟子に対する絶対的性善説を信じており、「今はわからなくても、いつかきっとわかってくれるだろう」と信じて、弟子の成長を待つことができました。師匠に、自分の指導に対する自信があったからできたとも言えます。
これは、別に道がつかないほかの分野の師弟関係でもだいたい同じだったと思います。
「日ごろお世話になっている先生には、盆暮れのあいさつをかかさない」とか、「卒業するときには親子で先生のところにごあいさつにうかがう」という行動がとれたのも、尊敬に基づく師弟関係であったからこそだといえます。

ところが、今、教育は「師弟関係」ではなく、「情報産業」へと構造が変わりました。
内田樹先生が、「公立校より授業料の高い私立校のほうが、学級崩壊する確率が低い」ということを述べていらっしゃいます。まったく同感ですが、最近では、私立の進学校であっても、授業が成立しないことはふつうにあります。さすがに立ち騒いだりはしませんが、「この先生の授業はくだらない」と思ったら、学年トップの成績をとっている生徒でさえ、授業に参加しません。「寝る」「内職する」「しゃべる」など、ほかの、より意味のある行動にでます。

しかし、そんな生徒たちでも、決してサボらず真剣に聞く授業があります。
塾、あるいは予備校の授業です。

塾や予備校は、私立校よりさらに授業料が高いということもありますが、生徒達が塾の授業は決してさぼらないのは、塾や予備校が「合格請負人」だからです。

生徒達にとって一番いい塾というのは、突き詰めて言えば、入試問題を予想してくれて、その予想が当たる塾です。つまり、「最小限の努力で最も偏差値の高い大学に合格させてくれる塾」が一番いいのです。ですから、極端な話、生身の先生というのは、いなくてもいいのです。情報さえあれば十分なのです。

最近、有名予備校の授業を衛星放送で流すサテライトゼミや、有名講師の授業をすべてDVDで視聴する東進ハイスクールなどか人気なのは、まさにそのためです。教材のレベルの高さを誇り、全国に提携教室を展開する四谷大塚なども同じだと思います。

大学受験は、まだ本人の意向が反映される余地がありますが、中学入試では、合否はほぼ母親の情報収集力にかかっています。「どこの塾が一番合格請負人としての能力が高いか」という情報を正確に集めた母親が、受験界で勝ち組の子どもを作ります。

内田樹先生は「こんなことを学んで何かいいことがあるのですか」と教師に尋ねる生徒が出現したとお書きになっていますが、教育現場では、それは、毎日発せられる質問です。

「この科目は受験で必要なの?」「この問題集から入試に出題されるの?」「この単語はテストに出るの?」・・・質問は、どんどんと細分化され、「なるべく課題を厳選していい問題(つまりテストにでる問題)だけを要領よくやった生徒」だけが、勝ち残っていきます。

ですから、教えるほうは大変です。テストを作る方は、受験生が対策をたててくるのは知っているから、なるべくその裏をかこうとする。塾、予備校はそれを予想しようと必死。結局、情報戦に敗れた塾は淘汰されていきます。

生徒の方も、要領よくこの受験パイプラインにのった子はいいのですが、ついていけなくて脱落する子もたくさんいます。大学は全入時代ですが、私立中は定員が少ないですから、かなりの人数が脱落する。最初から、中学受験をあきらめている子はまだいいのです。スポーツをしたり部活をしたり、それなりに人生をエンジョイしていますから、ストレスがない。
でも、途中でついていけないことがわかったのに、母親がその事実を認めないと悲惨です。

内田樹先生は、ニート問題をお書きになってますが、ニート予備軍とも言うべき引きこもりは、母親の期待でがんじがらめになって、身動きがとれなくなった子に多いと思います。

まず、母親は必死になって子どもの受験に心血を注ぐのだけれども、自分自身ちっとも楽しんでいない。だから、「どうしてあなたはお母さんがこんなにがんばってサポートしてあげているのに、できないの」という愚痴を毎日子どもに浴びせかけます。「お母さんは好きなテレビも我慢してあなたの勉強につきあってあげてるのよ」「塾の送り迎えがあるから、自分の時間はないのよ」などなど。そうすると、子どもとしては、もう学校に行けなくなる。

学校に行くからテストがあるんです。だったら、テストなんか受けなければいい。そうすれば、母親もその点数を見て怒ったりできなくなる。引きこもりも自分探しの一種とも言えるが、そうでもしないと母親は自分の話を聞いてくれない。

教育熱心な母親は、子どもの勉強や進路に関して、子どもの話を聞かない人が意外に多い。一応子どもの気持ちも聞くけれど、結局、母親の意向で決まっていきます。それは、子どもが体を張って反抗するまで続きます。昔は家庭内暴力に走ったりする子が多かったけど、今は、何もかも停止してしまう引きこもりが多いんじゃないだろうか。「自分が本当に何をしたいか考えたい」というのは、おそらく彼らの切実な願いなんだろうと思います。

今の教育にまつわる問題は本当にいろんなことが絡み合っていて、とても一言では言えないけれど「教育の情報産業化」「母親に子ども時代を奪われたこどもの引きこもり」は結構重要な問題じゃないだろうか。

感想は、次回にも続きます。

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村
人気ブログランキングへ
FC2 Blog Ranking