第28話 こぼれ話 / But I digress


11月から12月にかけて、ブルキナファソは乾期の訪れと共に圃場での仕事が一段落する。もちろん、国立研究所内にはirrigation (灌漑施設)もあるから、乾期の作物栽培や実験が続けられている。しかし私にはその予定が無いから、専ら雨期のデータを取りまとめたり、レポートの作成などに追われることになる。


ぶっちゃけると、デスクワークばかりで飽きてきた。ちょっと気分転換が必要なのだ。スポーツをして汗を流すには暑すぎる(外は37℃だ)し、本を読むのもいいが、持っている蔵書には限りがある。しかも蔵書のほとんどは仕事用の専門書だ(気分転換に教科書や専門書を読めるなら、私はもっと出世していたであろう)。



そんなとき、仕事で訪れた村々の写真を眺めることがある。普段は仕事の「成果」としてしか見ていなかった写真だが、改めて見ると「おお」と驚くこともある。今回はその中から「種子生産」の話を紹介しよう。





この写真、ただの荒れ地を写しているようですが、何を意味するかは後半で。




かつての日本がそうであったように、ブルキナファソは農業国だ。石油・鉱物資源は乏しく(とはいえ金などは出る)、輸出品目は金がトップだが、すぐ後を綿花などの農作物が占めている。国民に占める労働人口の7割は農業に従事している。にもかかわらず、GDPに占める割合は3割程度でしかない。要するにほとんどの人が農業をやっているけど、儲かっていない。ということになる。


だから、例えば自分たちの畑のすぐ近くで、金鉱などが開発されると、すぐに畑を放棄して金を掘りに出かけてしまう。金鉱がもたらす現金収入はギャンブルのそれに近い魅力を持っているのだ。確かに、金鉱の仕事は魅力的だろう。一日1ドル以下(現地通貨だと500CFA以下)の生活を強いられる彼らにとって、マッチ棒一本分の重さで2500CFA(=5$くらい)の収入になるのだから。


ただし、リスクもある。先進国(イギリスやフランス、オランダなど)が出資して開発している鉱山は大規模で、かつ、洗練されているものの雇われる人数は限られている。少なくとも農村の隣に急に開発されたりしない。中国などもすごい勢いで鉱山の権利を買収したりしているが、鉱夫に現地の人間を雇わない。となると、資材も乏しい小規模な鉱山のみが残されるが(小規模だが数は多い)、ここは設備も整っていないし、安全対策がまことに杜撰である。当然、死亡を含む事故が耐えない。




さらに、国土が小さいために、資源の埋蔵量にも限りがあるし、レアメタルも産出されているが(石油がでないのも理由だろうが)大手の商社はブルキナファソに対して積極的な投資をしていないことから、今後大きく飛躍する分野とは思えない。このことはブルキナファソの政府高官も承知していて、国の重要な産業は農業であると豪語している。




そうなると、重要なのは何か。農機具、トラクターなどのインフラ、農民の組織化や技術の改良などが挙げれるが、それは一番ではない。最も重要なのは「種子」である。農民達が植え付けに使う「種子」こそが実は一番大切なのだ。農機具もトラクターも組織化された農民も、種子が無ければ仕事にならない。そして、日本では農業をする人でないとあまり気にしないだろうし、理学屋の私もさして重要視していなかったのが「品種」である。どの品種の種子であるかが、実はとても大切なことなのだ。植物には2名法とよばれる、科名+種名の科学的名前が与えれている。そのため、理学屋は品種名は普段あまり気にしない(植物学的分類に則ればあまり意味を持たない)。しかし農学においては、まさに品種こそが財産でありうるのだ。


品種は様々な特性を持っている。例えば、早生、中生、晩生などが有名な特性だ。それぞれ、ワセ、ナカデ、オクテと読み、種まきから収穫までの期間が早いか遅いかを示している。他にも収穫物が甘みを強く持っている、病害虫に対して抵抗性を持っている、収量が在来品種よりも有為に増加する、など多くの特性がある。これらの特性ある有望な品種を作り出すのがBreederと呼ばれる育種家達である。たかが品種、たかがちょっと在来種よりも優れているだけでしょ?と甘く見るなかれ。「緑の革命」としてしられる1940年から1970年代にかけて行われた農業革命は小麦の一改良品種の利用から始まって、メキシコ、インド、東南アジアへと波及した。改良品種を作り出したノーマン・ボーローグ博士はその功績でノーベル平和賞を受賞した(詳しくはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/緑の革命)。



ここブルキナファソは、この「品種」の種子を制御する機構が上手く働いていない。品種はもちろん一つの生物種ではないから、簡単に他の品種と混ざってしまう(一代雑種を除く)。そうなると、ある「品種」と思って使っているのもが、実は全く特性の違う雑種であった、なんてことも起こってしまう。本来は国や種子会社がきちんと管理して、品種の特性をきちんと保持した「保証種子(certified seed)」を作り出し販売する必要がある。日本だと、農協やホームセンター、種子会社が販売しているのがこの保証種子にあたる。ブルキナファソにはこの保証種子を作り出す、きちんとした種子生産農家(seed producer)が絶対的に不足しているのだ。



ブルキナファソをはじめとして、西アフリカ諸国は不安定な雨とやせ衰えた土壌によってなかなか安定した収量を確保できないでいる。そこで私が担当しているプロジェクトでは、極早生・早生系統のササゲ種子の普及と同時に種子生産農家のトレーニングを行っている。収穫が早いということはそれだけ干ばつ被害のリスクを軽減できる。しかし、配布できる種子の量は限られているから、それをきちんと増産する種子生産農家が絶対に必要になる。そうしなければ、多くの農民が新しい品種の恩恵を受けることはできないのだ。


ちなみに、この種子生産農家が使う「種子」はどこからくるのか?日本語だと「原種(Foundation seed)」と呼ばれるこの種子はブルキナファソでは国立研究所が毎年新たに作り出している。これが1500CFA/Kgで、市場で手に入る種子(250CFA/kg)とは値段が全然違うのだ。さらにさらに、この「原種」を作るための種子は「原原種(Breeders seed)」と呼ばれ、文字通り品種を作り出した育種家が作り出している。お値段5000CFA/kgなり。もちろん量は、原原種→原種→保証種子の順番で多くなって行き、最初の原原種では数百キロ程度だが、最後の保証種子の段階で何万トンとか何百トンになり、これが市場に出て一般の農民が作付けに使えるようになる。




だいぶ話が長ったらしくなって来たが、いよいよ種子生産農家の話。ブルキナファソでは「種子法」と言われる法律によって種子生産農家が満たすべき条件が決められている。その中に種子生産圃場は3ha以上、という項目がある。これは一般の農民によっては極めて難しい。彼らが持っている土地はせいぜい0.2haとかなのだ。となると、当然種子生産農家になれるのは、一部の金持ちとか土地をもっている人だけになる。そうなると市場原理で、資金が局部に集中してしまう。結果として、一部の大規模種子生産農家が権力と利益をまとめて掻っ攫うということになってしまう。これはこれでビジネスだから我々科学者が介入すべき問題ではないのだが、ここを改良しないといつまで経ってもブルキナの種子環境が改善されない。



そこで、我々はやる気のある農民達を組織化して、新たに種子生産農家となるべくトレーニングを施すことにしたのだ。まず、最低4つ以上の家族がグループにいることを条件にする。これは一つのグループだけだと、ビジネスに失敗したときのリスクが大きすぎるからだ。次に各対象農村の代表者(長老)に彼らに3haの土地を貸してあげられるように交渉する。3ha以上のまとまった土地を管理しているのは、大概その集落の長老一族だからだ。もちろん賄賂などの要求も出てくるが、粘り強い交渉でほとんど無償で土地を借りてしまう。もちろん各種子生産農家が種子の売り上げ代金を得た暁には長老にマージンを支払う、でもプロジェクトから金を出さないというのは結構異例らしい。しかしこれは各村の種子生産というビジネスに関わる問題だ。プロジェクトが手を貸すが、本来は起業を目指す種子生産農家がリスクを負うべき問題であり、私が土地の借用代金を払うのはおかしい。まあ、日本人には当たり前に理解してもらえると思うが、こちらはちょっと事情が違うのだ。



で、最初の写真が借りた土地。4haはあるのだけれど、これって本当に畑に使えるのだろうか?
ただの荒れ地にしか見えなかったのだが。








種子法には国の担当官による圃場のチェックもある。だから事前にきちんと3haの土地を確保しているのかをGPSなどを用いてチェックする。ちょっと見にくいですが、彼はGPSを持って、圃場の外周を走っている。お疲れさまです。







外周を走り終えると、走ったエリアの面積が計測可能に。なんせ、農民の土地は曲がりくねったり、ジグザグだったりと、なかなか正確に測定するのが難しい。そんなとき、GPSは無くてはならない機械だ。








で、時間を飛び越えて、収穫目前の種子生産農家の圃場。








あの荒れ地にしか見えなかった圃場が、見事にササゲの生産圃場になっている。小さな木は切り、ブッシュを焼き、石や岩を除いて、ひたすらに4haを耕したのだ。

  注:ササゲはマメ科の作物で、通常は成熟した種子部分を食します。日本では小豆と同じ様な調理法で食べられています。







ブルキナファソで農業のプロジェクトを行っていると、こことこいつらを変えることなんかできるもんか、と思うことも多い。嫌気も刺すことだってある。でもササゲの生産圃場の写真を見ていると、「やれるかもしれない」という希望が私の胸の中にちょっとだけ戻ってくるのを感じるのだ。










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