長谷川四郎さんが亡くなってから全集の補遺のようなかたちででたのが
「山猫の遺言」であります。一周忌に間に合わせるように作業が進んだと
いうのは、昨日にブログに記したとおりですが、刊行の日付は88年4月
19日となっていますが、これがでたのは、もうすこし後ではなかったかな。
記憶がはっきりとしませんが、なんとなくそのような気がしております。
出版物における刊行月日の取り扱いに、きびしいきまりはあるのでしたか。
このなかには、「札幌函館サイン会」という文章が収録されています。
この文章が発表されていたのは、「北の話」という札幌で刊行されていた
ミニコミでありました。この文章が掲載されたのは、76年6月号です。
たしか、このサイン会は、林不亡(長谷川海太郎)と四郎さんの二人に
しぼっての展示があって、そのスペシャルイベントとして開催されたものです。
「 私には現代の人気タレントの抱くおそれとはまた逆の恐れが無きにしも
あらずだった。つまりサインを求める人が一人もあらわれないかという
恐れだ。わたしは売れない作家の見本のようなものである。考えてみれば
これも当然だ。生活必需品をつくっているわけではないからだ。なくても
すますことの出来るものばかりである。いまはやりの要素はまったくないと
いってよい。
頭のてっぺんから足のさくまで意識的にそうなのだ。在る友人がいみじくも
批評したしたところによれば私は『反時代的人間』なのである。わが存在
証明はそこにあるのだ。初めから売れないこと、金がはいらないことは
覚悟しているし、またそうあるべきものなのだ。・・・・
サイン会のおかげで札幌では天から降ってきたようにわたしは燻製の
シャケをもらったし函館ではこれまた天から降ってきたよういベーコンと
ソーセージをもらった。ともに単純にして豊富な食い物である。工場製品では
あるが漁師や農夫のおかみさんが台所や納屋で手作りで作ったようなもので、
これがなによりのごちそうなのである。」
年譜によると、札幌でのサイン会は76年4月27日とあります。会場はどこで
あったでしょう。すっかり忘れています。出版記念のサイン会ではないので、
持参の本にサインをしてもらうことができました。小生は、みすずからでた古い
「鶴」と「ジプシー歌集」(ロルカ詩集)にサインをしてもらいました。
お礼にとスモークサーモンをもっていったのですが、これがこの文章になって
います。小生は、もちろん四郎さんの顔をみるのは初めてで、緊張していた
せいもあって、言葉もかわせず、あとは遠巻きにして見守るだけでありました。
古いことだ、古いことだ。