学問の春 5

 山口昌男さんのキーワードのひとつに「ノマド」というのがあります。
昨日までが知の迷宮であるとすれば、本日からは「ノマド」となります。
山口昌男さんの「独断的大学論」の第3章は、「大学は再生できるか」というもので
ありまして、それにはサブタイトルには「行き詰まりを打開するためのノマド化の
すすめ」とあります。
「これからの大学はどうあるべきか。この問題に対して、いろいろな人がいろいろな
ことを言っていますが、私の結論は『大学なんて要らない」。・・しかし『大学なんて
要らない」で終わりにしてしますのでは身も蓋もありませんので、人材の育成という
面からこの問題をとりあげてみようと思います。
 今の日本の大学はほとんど崩壊して、21世紀にはまったく通用しないというのは
確かです。では、大学を考え直すにあたって、何を目指すか。これは人によって
ちがってくると思いますが、私の場合のキーワードは『ノマド」ということになります。
 ノマドとは、もともと遊牧民を意味するフランス語で、移動すること、したがって
ノマディズムとは移動主義ということになります。・・・
 私流の言い方をするなら、一つところに定住する農耕社会は、自分の村以外の者は
排除し、中にあってはヒエラルヒーをつくるタテ社会で、そうしたものから自由に
なるには、定住しをやめて放浪するしかない。昔の遊行僧やヤクザなどは、そうやって
ヨコの組織を頼りに全国を放浪してまわっていたわけです。」
 この本「独断的大学論」がでたのは、2000年でしたが、安定した職につくための
就職予備校としての大学の役割は、不況による就職難のためと、企業の変質で見直し
を求められているようです。採用する会社にすれば、終身雇用を求めず、転職指向の
強いノマド系の新卒さんは、ある意味で歓迎となったのかもしれません。
「 私が東京外語大のアジア・アフリカ研究所にいたころ、ある日突然、学生がたず
ねてきて研究生にしてほしいということがありました。聞いてみると、東大の法学部を
卒業したが、まわりの学生のように役人になったり、司法試験を受ける道を選ばず、
東大の国際関係論の大学院の試験を受けたところ、その試験で落とされてしまった。
試験というのはやるほうに欠陥があるから、彼の場合も、落とされる光栄に浴した
といえるかもしれません。そこで、おもしろい人の近くでいっしょに勉強をしたいと
思って見回したところ、東京外語大アジア・アフリカ研究所に山口がいるということ
に気がついた。山口の近くで勉強したらおもしろいだろうと思ってやってきた、という。
それが今日の今福龍太氏だったのです。
 彼は一年間、研究生をやり、その後、民間のシンクタンクの研究員となって中南米
専門にやっていたりしましたが、私がメキシコ大学大学院で教えていたときに、彼も
メキシコに国費留学生として来て、楽しく仲間付き合いをしたという縁があったのです。」
 山口昌男さんは、今福さんのことを「若い世代のなかでは国際的に活躍し、国内では
知的にもトップレベルにいますが、そもそも私が頼んで無理に札幌大学にきてもらった
人です。この人もまた、ノマド的な生き方(クレオール主義)を主張し、貫いています。」
と評しています。
 最近の今福さんはすばらしい仕事を残していますが、これこそノマドの成果といえる
のでしょう。