唯々諾々

絶賛就職活動中ですが、少々自分を見失いつつある時分深夜。
時計の針は1時を45度まわったところです。

自分の軸がはっきりしていればブレないだなんて、よく言ったもので、優柔不断で流されやすい私としては悩みに悩んだ挙句何も決められないのです。

私が本当にしたいことは、今、お絵かきをしたい。
お絵かきの勉強をして、内なる妄想世界を紙面に描き出すことができたら、このほとばしるような飢えから解放されるのに・・・とほとほと思います。

じゃ、描けよ。


と言われたら、それに対する反論を私は幾つも幾つも持っている。

私の小さい頃からの気質だと言わざるを得ないでしょう。

私が本当にしたいこと、欲していることは駄目。

我慢しなくてはならない、という呪いに縛られている。

厳しいプロテスタントの家庭に育ち、TVもゲームも漫画も禁止。
大事なのは世の光となり、地の塩となり、敬虔な神の弟子として教会に奉仕すること。

思わず笑いがこぼれるようなこのお題目が私の物心ついたときからの現実で、与えられた世界の全てでした。もちろん勉強も運動も成績の良し悪しは関係など全くなかった。

当然、世間との折り合いをつけるために板挟みになりよくよく苦しんだものです。

私は絵を描くのが好きだったけれど、本当は漫画のイラストを描くのが大好きで、漫画が大好きだったのです。
しかし、漫画が好きだなどと口が裂けても言えなかった。むしろ絶対にばれないように隠し続けることが私の重大事項でした。

ストレスからか、相当ひねくれた子供で、いじめたし、いじめられました。

中学生になると、明るく元気で運動が苦手な優等生になりました。

我慢強く育てられた私にとって真面目な優等生を演じることは一番楽な生き方だったのです。母親を傷つけず、父親の顔色をうかがって。

しかし、流されるように国立大学の受験になったとき、私は全然勉強なんか好きじゃないし、私は神様の奉仕者に喜んでなりたいわけでもない。という本音がもう隠すに隠せない状況に追い詰められて行き場がなくなってしまった。

私は冷静に時に泣きながら、怒りながら両親に訴えました。
しかし、何も変わらなかった。

それもそのはず、私は今まで両親に反抗したことがなかったからです。
これまでの私の意向は全て両親の反論によって説き伏されてきました。
将来そんなことでは食べていけないよ。
お前に文系の才能はないから理系にしなさい。
運も才能もいるし、相当な努力をしても報われないことの方が多いよ。

私はこのような両親の言葉にしぶしぶながらも了承してきたわけで、自分に自信が持てなかったのです。

こんな子供に育てた両親と環境を呪いました。

子供は親の玩具だと思いました。

親を傷つけないように生きてきた自分を責めました。

私はやりたくもない勉強を続けてきたという意地だけで2浪したあげく、旧帝大には落ちてK大に受かったのでした。

大好きなお絵かきを2年間禁止されたことで、骨抜きになってしまったことに、私は茫然としています。
やっと自由の身になったというのに、描くことができない。

それは私の願いがその程度のものだったと言うことか。
こんなに描くの好きで、一度描きはじめたら止められなくなるという恐怖からか。他人からすればこんな葛藤くだらなくてため息すらでないだろう。

私は器用に生きていくことができないのだと苦く思う。