沖縄四日目

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カヌチャに別れを告げ、向かった先は那覇市内。途中、恩納村の「シーサイドドライブイン」で軽食を。場所はムーンビーチホテル近くの国道58号を南下しつつ、旧道に入ってすぐ、海側。
ここはハンバーガー230円、チーズバーガー280円とリーズナブルなんだけども、なかなか美味かった。あと、180円のスープも。

そこからず〜っと58号を南下していって、沖縄における米軍基地の大きさを目の当たりに。ほんま、どこまでいっても基地が続いてる感じで、ちょっと途切れたと思ったら今度は違う基地が始まってず〜っと続く。嘉手納飛行場に至っては、面積が日本最大の羽田空港の2倍、関空や成田にすらまだ1本ずつしかない4000m級の滑走路が2本あるとか。まぁ、米軍がらみの仕事もたくさんあるということで、基地がいきなり全部なくなったらそれも困るのかも知れないけど、なかなかに衝撃的な光景だった。
那覇についてまず行ったのは首里城周辺。お城に行く前に、琉球王家の墓である「玉陵(たまうどぅん)」へ。

これも立派な世界遺産である。ここに最後に葬られたのは、最後の琉球王・尚泰の長男である尚典の夫人だそうだが、それが1931年。1501年に作られたお墓が、400年以上も実際に使われているというのは驚きだ。ちなみにこのお墓、なかなかに大きいけれど、規模の差はあれ、沖縄の墓は基本的にこういう作りらしい。家族墓であり、塀があって建物のような形をした墓があり、中に入ることができる。法事の時には墓の中で踊るのだとヨメから聞いた。ヨメの母上は沖縄の人である。

三つの建物から成っていて、一番左が歴代の王および王妃の部屋。真ん中は、遺骸が白骨化するまで放置し、その骨を取り出して洗骨をする部屋。火葬じゃないのね。で、右はその他の王族の部屋となっている。
さて、いよいよ首里城へ。首里城は太平洋戦争末期の沖縄戦において日本軍が立てこもり、米軍の攻撃を受けて完全に廃墟となり、貴重な宝物や文書も焼けてしまったという。よって、ほとんど全てが戦後に再建されたものであり、世界遺産の指定も首里城ではなく首里城「跡」。

「めんそ〜れ」という言葉とこの守礼門はセットとなって私の脳裏に焼き付いている。たぶん、十年以上前にもらった沖縄土産の箱にそう書いてあったんだと思うけれども、この門に掲げられている言葉はもちろん「めんそ〜れ」ではない。

「守礼之邦」。沖縄は礼節を重んじる国である、という意味らしい。思ったよりも小さなこの門は、今は首里城の第一の門だけれども、以前はこれよりも外にもう一つ門があったらしい。
いくつもの門をくぐって中へ進んでいくと、広場に出た。御庭と書いて「うなー」と読むこの広場は様々なイベントに用いられたという。…ここまでが無料で、この先の正殿を見るためには観覧料が800円。ちょいと高いが、これからも修復を進めていくには資金が必要。気持ちよく支払うことにした。なお、首里城も玉陵も、沖縄モノレール「ゆいレール」の一日乗車券があればかなりの割引が受けられるので、ゆいレール首里城に興味があるならば一日乗車券の購入をお勧めしたい。

これが首里城の正殿である。私の日頃の行いがよいこともあって、見事なまでの快晴に恵まれた。まるで絵はがきのような赤と青のコントラストが、何ともおめでたい雰囲気を醸し出している。

左右対称の美しさを持つ正殿を、あえて斜めから撮ってみた。こういう所へ来ると、一眼レフが欲しくなる。なおこの二枚とも人っ子一人写っておらず、ほぼ雲一つない天気だが、レタッチは全く加えていない。ただリサイズしただけである。
このあと琉球舞踊の実演を少しだけ見て、ホテルへ荷物を置いたあと、ヨメのお祖母さん宅で軽食とケーキを頂いた。16時頃だろうか、この中途半端な時間に若干重いものを食べながらも、夕食は「ジャッキーステーキハウス」へ。
ここは31年前、私がまだ豆粒のような胎児だった頃に両親と訪れた店。もちろん、当時の記憶は私にはない。が、父から行ってこいと言われたので仕方なく行くことにした。さてどんな店なのか、開店して50年にもなるというが、一人10,000円もかかるような高級店だったらどうしようかなどと思いながらタクシーに乗った。
運転手さんによると、たしかにジャッキーという店は今も営業中だが、数年前に移転したとのこと。儲かっているのか、手狭になったのか、それとも建物が老朽化したのか。そう思いながら、着いてみたら店の看板がこれ。

どう見ても高級感はない。一安心。店内に入るとたくさんの待ち行列と、芸能人のサイン色紙があった。実にチープな雰囲気で、メニューの価格も非常に安い。これなら経済的な問題はないが、あまりお腹が空いていないこの状況でチープなステーキを胃に収めることができるのかという新たな不安も頭をよぎる。ソースもアメリカンなバーベキューソースで、肉質もスーパーで安売りされているレベルだ。なかなかにつらかったが、二人で200gのステーキとハンバーグを平らげた。
ジャッキーは実に庶民的な店だった、と両親に報告すると、下記のような返信が来た。

父:庶民的?かつては那覇市きってのステーキハウスだったんだよ。
母:30年前のジャッキーもかなり庶民的なお店だったと記憶しています。

…なんだ、この意識の違いは。普段、母の遠い記憶はあまりあてにならないことが多いが、今回ばかりは母が正しいと思った。充填率120%の腹を抱え、しばらくは寝付けなかった。